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隣人  作者: 麩天 央
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≪寒川視点≫



「子犬に懐かれた。」


複数抱えていた執筆作業にようやく目途が立ち、最終確認をするための担当者との通話中に、ふとそんな言葉が零れた。

担当が「最近変わったことはありませんか?」と聞いてきたから、疲れ果てた脳が何も考えずに返答してしまった。

案の定、担当は「先生、動物お好きなんですか?」と言葉を拾い、更に広げようとしてくる。

ここ数日脳を全力で稼働させ執筆し、ようやく終わりが見えてきたというのに、また脳を酷使させる気か。俺は「そんなものだ」と適当に返し、早々に話を切り上げ、通話を終了させた。


深く椅子に座り直し、俺はふうと背もたれに体重を預けた。その時、丁度窓際をガサガサとビニール袋のすれる音が過ぎ、ガチャガチャと扉の開閉音が響いた。どうやら子犬、いや隣人が帰宅したようだ。

机上の時計に目を向けると、時刻はそろそろ日を跨ごうとしていた。この隣人は平日に仕事があるようで、朝早くに出勤し、日が変わる頃に帰宅している。それでいて休日の朝は早く、7時台には我が家のドア前に立っている。


あいつは一体いつ休んでいるんだ。


溜息をつき、俺は机上のカップに手を伸ばした。が、手に取ったカップの中身は空で、さっき飲み切ったのだと思い出した。このくだりは3回目か。

仕方ない、と俺は腰を上げキッチンに向かい、冷蔵庫から取り出したボトルをカップへと注いだ。

一口飲んだところで、俺の視線はリビングに置いた容器へと移動した。先週末、隣人が持ってきた容器で、中には最近書き始めた感想を添えた付箋を貼ってある。


隣人が食事を届けるようになって1年くらいだろうか。

俺の不摂生に巻き込まれ、隣人は俺の世話を焼くようになった。

当初、なんの見返りも求めず、甲斐甲斐しく食事を届ける姿は正直不気味に感じた。

それに、価値観が俺とは違いすぎる。

初対面で助けて貰った立場でいうのも何だが、散乱した荷物をまとめ、自宅まで届けることに何の益があるというのか。それも無償で。

二回目もそうだ。ほとんど面識もない俺に声をかけ、医者からの言葉を真剣に聞く。その行為の理由が分からず、隣人の言動すべてが奇妙だった。

翌日から始まった食事の提供も、正直不信感が勝ち、早々に終わらそうと何かと理由をつけて断っていた。

それでも隣人は諦めず、俺が受け取りやすい理由を提案し始めた。この攻防に先に根を上げたのは俺の方で。

隣人の提供が週末だけになり、同時期に複数の執筆依頼が来たことから、これを落しどころとした。

それでも、週末に届けられる食事に手を付ける気にはなれず、半年くらいは破棄して容器だけを返却していた。

隣人との対応も玄関前で接するだけに留め、最低限のものとした。流石に失礼だと自覚はあったが、これで諦めて提供も終わるのではとの期待も少しあった。

そんな俺の思惑とは裏腹に、隣人はめげることなく提供を続けていた。


毎週末、インターフォン越しに笑顔を向け、空の容器を嬉しそうに持ち帰る姿や、平日の激務の様子を窓越しに感じているせいか、段々と罪悪感が増し始めた頃。

丁度執筆作業が忙しくなり、食事をとる時間がまた消えていた。今回も冷蔵庫内の食材は痛み、口にできそうもない。また倒れても億劫だなと、買い出しに行こうかと玄関に向かった所で、インターフォンが押された。そこには隣人がいて、今日が食事の提供日だと気づかされた。



いつものことだが、渡された荷物には3食分の食事が入れられており、そのうちの一つ、朝食用にと用意したであろうフレンチトーストを俺は口にした。ほんのりとした甘みが口内に広がる。

丁寧に焼き色を付けまぶされた粉糖、その横にはちょこんと蜂蜜を入れたボトルまでが添えられている。フレンチトーストはまだほんのりと温かく、朝早くからせっせと隣人が作った事が容易に想像できた。


「美味い、な。」


初めて口にした隣人の食事は、自分の生きてきた中で一番美味いと感じる物だった。

自分のためを思って作られた料理というのは、こんなにも美味いものだったのか。

その日、俺は隣人に対してこれはただの好意だと、ようやく結論付けることが出来た。




「なんで破棄なんかしたんだろうな。」


リビングへと足を運び、容器を手に取りながら俺は独り言ちた。

あれ以降、隣人から届く食事は全て食べるようになった。

食べ始めたからか、隣人の作る料理にはどれも俺への栄養や健康等への配慮がなされていたことに気づかされた。

例えば、味付けの濃紺は食事ごとに変え、俺が飽きないようにと和洋中様々なメニューが提供されていた。季節に合わせた食材や、食べやすさに配慮した調理法にも触れ、破棄し続けた半年に深く後悔した程だ。

また、ここまで隣人に気にかけられておきながら、再度倒れては示しがつかないと、今では意識して食事を摂るようにしている。

そんな1年を振り返りながら、手にもつ容器を眺めていると口元が緩んでいたことに気づいた。

容器を置き、コップに口をつける。


「あの子犬は本当にへこたれないな。それにお節介で…」


なんて愛情深いんだろうか。その一言は再度コップに口をつける事で、言葉として発することなく胸の内へと仕舞い込んだ。




お読みいただきありがとうございました。

ゆっくり更新ですが、頑張って書いていきますので、ぜひ二人の展開を見守っていただけると幸いです。

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