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そして現在、1年経っても寒川さんとの交流はほぼ俺の一方通行ではある。しかし、最近ちょっとした変化が出てきた。
寒川さんから容器を受け取り帰宅した俺は、机上に置いていたノートを開き、そこへ容器内から取り出した付箋をそっと貼り直した。
付箋には、丁寧ながら短文で「うまかった」と綴られている。
最近、返却される食器類に付箋が貼られ、なおかつ感想が返ってくるようになったのだ。
今回で5枚目。
ノートに貼った付箋の文言はどれも同じだけど、俺にはこの付箋が家宝と思える位の価値がある。
だってあの寒川さんが、無口で視線もほぼ合わないあの寒川さんが、俺のお節介に反応してくれた!
もうそれが嬉しくてたまらない。
「いつか話ができると良いな。」
緩んだ口からはうへへへへっと声が漏れ、引き締まらないにんまり顔で俺は再度ノートを眺めた。
あれから更に2か月後、付箋回収が定番となり感想も「うまかった」から「ありがとう」や「また食べたい」など、綴られる一言が豊かになってきた。
この付箋を通して、前よりも寒川さんとの距離がグッと近くに感じるし、仲良くなってきたと思う。まだ名前を呼ばれたことはないけど。
そんな休日の朝、今日も今日とて俺は何を作ろうかなと考えていた。腕を組み、目を瞑ってうんうん唸りながら食べたい物を捻りだそうとするが、特に思い浮かばず。
「仕方ない、ここはもう設定を変えて、直接本人にリクエストを貰おう!」
そうと決まれば即行動とばかりに、俺はエプロンを外すのも忘れ玄関を勢いよく飛び出し隣のドアへと急いだ。
「寒川さんおはようございます。急なんですけど、今日食べたい物とかってあります?」
いつもの様に鷹揚のない返答をインターフォン越しに受け、俺は質問を投げかけた。一応、作りすぎたと毎回言い訳を伝えていたが、流石に違うことは分かっているだろうし、こっちとしてもそろそろ食事のネタも尽きてきた。これは関わり方を変える良い機会かもしれない。
それに、寒川さんの好みに近い朝食に改善されるわけだから、お互いの利害も一致するはず。
俺の質問に対し暫く無言が続いているが、俺はにこにこ笑顔をインターフォンに向け、辛抱強く返答を待った。
それから1分ほど経って、ガチャリとドアロックを外す音が響き、少しだけドアが開かれた。そこから気持ち程度寒川さんは頭を出してくれた。
「おはようございます寒川さん。何かリクエストはありますか?」
そう再度声をかけると、寒川さんの頭が更にドアから出てきて、そっと顔を上げた。そこには久しぶりに見る寒川さんの顔があり、バチっと目が合うと眉間にしわを寄せ、すぐに目を逸らされた。見すぎたようだ。
「……フレンチトースト」
「あ、前に作ったことありましたね。分かりました、今から作ってきますね!甘さや量って希望ありますか?」
凄い、寒川さんの口から名詞が聞けた。俺は嬉しくなって、更に質問を重ねた。同時に、俺の脳内ではフレンチトーストを作る手順の確認が始まった。気持ちも含め体を自宅へ向けようとしたところで、ボソボソと寒川さんの声が続く。
「君の食事はどうしてるんだ?」
なんてことだ、寒川さんの口から疑問文まで出てきた。
知り合って今日まで、今日ほど彼の声を聴いたことがない。寧ろ会話のキャッチボールが初めてだ。
「もちろん食べますよ。寒川さんに届けてから、俺も一緒のやつを食べます。」
そう答えると、寒川さんは今まで見たことが無い動きを始めた。具体的には、逸らしていた視線を戻し、俺を見てはまた逸らし、あ、とかう、とか声を出すけど次に続かず、要はとてもおろおろしている。
そういえばリクエストを聞いたのに、俺は何も確認せず帰ろうとしてたな。
俺はにっこり笑みを浮かべ、できるだけ穏やかな声を意識して「大丈夫ですよ、話したい事ぜひ聞かせて下さい。」とゆっくり続きを促した。
すると、寒川さんは一度深呼吸をして、意を決したように今まで見たことのない真剣な眼差しを俺に向けた。
「…良かったら一緒に食べないか。」