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後ろで大きく手を振るハルさんの声を無視し、とにかく距離を取ろうと無心に歩き続けた。
俺はハルさんの、人との距離感がおかしい所に少し苦手意識を持っている。仕事はできる人なのに。
俺だって入社当初は苦手とは思わなかったし、同僚と一緒にあの人は凄いだの、一緒のチームに加わりたいと思える程度には、憧れの先輩ではあった。それがいつしか、社内で俺のことを「なっちゃん」と呼び、ある日を境に嫁や彼女などと吹聴するようになった。周りは、ハルさんの性格を知っているからただの愛称とか、愛情表現だと思っている。
確かに、俺にも大学・職場に自称俺の子供・孫がいるから、表現としては同じなのかもしれない。あれ?てことは俺が気にしすぎなのか?
子供も孫も、嫁も皆家族なわけだし、もしや仲良しの最上級の誉め言葉だったのか?ん?あれ?段々わからなくなってきたぞ。
「君はどこまで行く気なんだ?」
俺の思考が段々とおかしな方へ傾き始めた時、寒川さんの静かで落ち着いた声が耳に入ってきた。
その声はどこまでも穏やかで、とても聞き心地が良い。寒川さんの声は俺の心の中にストンと降りて、強張っていた筋肉をいっきに解していった。
「あ…すみません。」
大きく息を吐いて、俺は改めて周囲を見回した。目の前には青々と茂る桜の木が並び、中から噴水の音と子供たちの笑い声が微かに聞こえてくる。
どうやら俺は、さっき話題にした大型ショッピングモール横の公園にまで寒川さんを連れて来ていたらしい。
ハルさんから離れたい一心で、申し訳ないことに結構な距離を寒川さんに歩かせてしまった。
「ごめんなさい、沢山歩かせちゃいましたね。寒川さん疲れてないですか?ここ、確か自販機があるんで少し休憩しませんか?」
俺は公園を指さし提案をしてみた。すると、寒川さんからは「それは構わないが…」と、どこか歯切れの悪い返答が返ってきた。もしかして疲れてないから休みたく無かったのかな?
首を傾げ、意図を理解しかねたまま寒川さんを見上げると、彼は視線を左右に動かし、どこかそわそわとし始めた。もしや早く帰りたいとか?
俺とハルさんで身内ネタのようなやり取りをしたから、もしかして居心地を悪くさせてしまったのかもしれない。
「もしかして、休むより帰る方がいいですか?」
ここからだとアパートまで距離があるし、何ならタクシーを利用して帰りしましょうか、と続ければ「そうじゃない」と返された。若干語気が強くて、俺は吃驚した。
「あ、いや、そうじゃないんだ。別に帰りたい訳じゃなくて……そろそろ手を離しては貰えないだろうか?」
「…あ。」
手元へ目を向ければ、俺の手はがっちりと寒川さんの腕を掴んだまま。そうだった。ハルさんから離れる際、呆然自失な寒川さんを動かすべく腕を引っ掴んだから、今の今までこの状態で過ごしていた。
寒川さんは尚も視線を彷徨わせていて、俺はやっと彼が困っていることに気付いた。
慌てて手を離すと、寒川さんからあからさまにホッとする気配を感じ、俺の胸の奥が少し傷んだ。
どうやらよっぽど不快だったらしい。
「ご迷惑おかけしてすみません。あ、俺ちょっと飲み物買ってきます。公園入ってすぐの辺りにベンチがあるんで、寒川さんはそこで休んでてください。」
俺はへらりと笑い、ベンチがある辺りを指さしながら自販機の元へと駆けていった。
ちょっと無理やりすぎたかな。でも、今の状態で寒川さんと一緒にいるとまた悲しくなりそうだと自分に言い聞かせ、彼の反応も確認せず背を向け走り出した。
「しまった、飲み物の好みを聞き忘れた。」
自販機前に立つことしばし、ジュースに炭酸、お茶にコーヒー、紅茶と多種多様なラインナップを前に、俺は自分のうっかり具合を呪った。
振り返れば、その少し先で寒川さんが言われた通りちょこんとベンチに座っていた。きょろきょろと周囲を見回し、たまに親子連れが通れば慌てて親子から体ごと視線を外す。きっと子供が怖がらないように配慮した結果なんだと思う。
その姿にほんのりと心が温かくなり、俺は自然と頬が緩んだ。
寒川さんは人慣れしていない。だけど、自分のことは俯瞰して理解しているからか、今みたいに相手を困らせないよう、寒川さんなりに最善の方法を取っている。不器用だけど、とても優しい人だ。
そんな寒川さんを見つめ、俺はもっと寒川さんの事を知りたいと強く思った。
「今日は色々やらかしたけど、まだ挽回の余地はあるはず!」
両手で頬をパンと抑え、よしと気合を入れ直した。
さっきまでのくよくよ気分は飛び去り、改めて寒川さんと仲良くしたい気持ちに切り替える。
その勢いのまま、俺は勢いよく飲み物ボタンを2回押した。
お読みいただきありがとうございました。
ゆっくり更新ですが、頑張って書いていきますので、ぜひ二人の展開を見守っていただけると幸いです。