武器調達
修道院の更に奥、森を切り拓いて造られた平地に騎士団の訓練場がある。神聖な空気の流れる修道院とは一転、鉄の匂いと砂埃が立ち込めるこの空間はどこか殺伐としている。
主神を信仰する教典では、殺人を禁じ、主神の庇護から外れる忌むべき行為であるとしているが、武器を持って戦う行為自体を禁じている訳ではない。故に、神聖であるはずの教会に「護身のため」の聖騎士団の設立が認められ、今日に至る。歴史の中には正義を謳って聖騎士団を兵力と数えて戦争に借り出した時代もあったそうだが、昨今の情勢ではその心配もなく、長らく聖騎士は聖職者の護衛としての役割をこなしてきた。
神父の用事に、頼んでもいないのにテオは同行すると主張した。聖騎士であるスティカが同行すれば神父の頼み事もスムーズに話が進むはずである、というのが彼の言い分である。お前は悪魔祓いの任務完了報告があるのではないかと神父が指摘すると、「先輩の用事の前にはそのようなことは些事です」とテオは言い切る。密かに神父とスティカは顔を見合わせて肩を竦める。こうと言い出したら聞かない男であることは、二人に周知の事実だった。
剣の調達に来た神父を、むさ苦しい騎士団の男たちが出迎える。聖騎士であるスティカはまだ年端も行かぬ少女であるが、彼女が例外であって基本的に聖騎士は屈強な腕自慢の男たちで構成される。女性もいないではないが、彼女らは特別に武器の扱いに長けるとか、あるいは男に負けず劣らずの腕っ節を持つ者たちがほとんどだった。
「よう、スティカ。…と、ちっさい神父様。おや、眼鏡の神父様も一緒で」
聖騎士同士面識のあるらしいスティカと、訓練場で鍛錬に勤しむ聖騎士たちが挨拶を交わす。聖騎士たちは、スティカの姿に気が付くと皆鍛錬の手を止めて、我も我もと彼女の前に顔を出す。むさ苦しい聖騎士団の中で彼女の存在が清涼剤となっていたことは想像に難くなかった。
「ちっさいとは失礼な!いや、それより先輩を眼鏡呼ばわりとは感心しません!」
屈強な男たちに囲まれると一層小柄に見えるテオは、地団駄を踏んで抗議する。しかし聖騎士たちはテオの抗議もどこ吹く風と言った様子で大して気にした様子はない。
「ちっさいんだから仕方ないだろ。それに神父様の真名を呼ぶことはできない。特に、そっちの眼鏡の神父様は呼び名も明かしてくれねえから、こう呼ぶしかないだろう」
「ええ、それで構いません」
聖騎士の一人が答えて、神父にも同意を求めるようにこちらを見るので、神父も首肯する。でも、と食い下がるテオをスティカが彼のローブを掴んで下がらせる。
「テオ、うるさい。…副団長、眼鏡の神父様、武器が欲しいって」
スティカはそのまま、囁く声量で会話に応じていた騎士に呼びかける。副団長と呼ばれた男は、改めて神父に向き直って尋ねた。
「神父様が剣を?聖成の仕事でも受けられたんですか?」
「いえ、私の……護衛をしている者に、武器を持たせたくて」
妙な間の後、神父は渋々と言った様子で続ける。彼らの周囲では、スティカに近況を尋ねる聖騎士たちと、彼女を酷い目に遭わせてはいないかとテオを問い詰める他の騎士たちが騒がしかったが、副団長は神父の返答を聞くと合点が行ったというように表情を緩めた。
「なるほど、護衛殿に武器を。その方の得物はなんでしょう?」
「…実は、素手で戦っているところしか見たことがなくて。ただ、そのために丸腰に見えるようで、賊に狙われることが多く…。武器を持っていてもらえば、物盗りへの威嚇になるかと思ったのです」
「ほう、素手で」
副団長が歩き出すので、神父もそれに倣って付いて行く。訓練場の隅に建てられた簡素な倉庫を目指しているらしいことが知れた。副団長が朗らかに言う。
「聞くところによると、神父様の護衛殿は聖騎士ではないとか。とはいえ、神父様のお眼鏡に叶う手練れが野にあるとは、我々も精進せねばなりませんな」
「…そういうものでしょうか」
「聖騎士は、どうしても閉鎖的な環境に身を置きがちです。もしお時間があれば、今度護衛殿と手合わせ願いたいですな」
「任務がなければ、考えておきます」
気の無い調子で答える神父に、その気が一切ないことは明白だが、副団長は気にした様子もなく快活に笑った。
「ははは、さて、肝心の武器ですが、格闘術で戦う護衛殿であれば、籠手などがお薦めですが、どうなさいますか」
倉庫までやってきた副団長が、所狭しと並べられた木箱とその中に積み重ねられた武器の数々を覗き込みながら尋ねる。神父は仰天し、慌てて首を振った。
「こ、籠手など付けては、確実に人を殺してしまいます。威嚇になるような武器で良いのです」
「ああ、そういうことですか」
副団長は手を打ち、そのまま倉庫の更に奥へと進んでいく。神父もその後に並んで続く。
「でしたら、剣を腰に提げていれば、十分威嚇になるでしょう。本当は、聖騎士の装束でも着ていれば、大抵の賊は近寄ってこないのですが…」
遠回しに、護衛を聖騎士に編入させるのはどうかと副団長は提案しているようだった。通常、聖騎士とは厳しい訓練と膨大な勉学の末に、その風格と実力を認められた者のみが名乗ることを許される称号であるが、有力者の強い推薦があればその限りではない。神父の悪魔祓いとしての経歴や功績から鑑みればそれも可能であるかもしれないが、敢えて神父は気付かないフリをして聞き流す。
「では、剣をお願いします」
「…分かりました。生憎、祝福済みの剣は在庫がありませんが」
倉庫の上の棚から木箱を取り出し、作業台に乗せて蓋を開けながら副団長が話す声に、神父は吹き抜けになっている簡素な造りの倉庫の上階を眺めながら頷く。高い棚の上部に置かれた物資を運び出しやすいように、棚の横に梁を巡らせた造りの武器庫では、忙しなく騎士たちが武器の手入れと整理に動き回っている。
「聖成の得意な神父様でしたら、通常の銀の剣をご用意しても問題はありませんね」
聖騎士の証ともなる銀の剣は、単に高価な銀を使用しているだけがその価値ではない。聖職者の祈りによって聖なる祝福が授けられて初めて、それは真価を発揮する。悪魔の誘惑を祓い、邪悪なるものを退ける剣は、聖水と同等に悪魔を祓うことができる。ただし、悪魔憑きを銀の剣で斬れば、宿主である人間も無事では済まないので、その真価を発揮する機会はさほど多くはないのだが、全くない訳もでない。悪魔祓いと行動を共にする護衛が、祝福された銀の剣を携えることは、常識と言って良かった。
副団長は木箱の中から一振りの細身の銀の剣を取り出した。特別飾りなどもない質素な剣だが、鞘から抜いて見せた刀身は紛れもなく純銀で、それだけでも随分な値が張るだろう。ところが、神父は差し出された剣を受け取らない。何故、と訝しむ副団長の前で、神父が口を開く。てっきり何かしらの注文が付けられると思っていた副団長の期待を裏切り、神父はそのまま大口を開けて笑い出した。
「は、は、は…彼が、主神の祝福を?そんなもの、不要でしょう」
「し、しかし神父様」
常に顰めっ面の眼鏡の神父であることは騎士団の間でも有名である。そんな彼が声を上げて笑うなどという場面に遭遇したことで、副団長はすっかり気圧された様子だった。
「護衛殿は、悪魔祓いの任務に同行されるのでしょう。万一のことを考えれば、祝福の剣を持たれた方が…」
「いえいえ、先輩の言う通り、あんな信仰心の欠片もない男に銀の剣は勿体無いです!」
唐突に、会話に割って入ってテオが顔を出す。スティカを伴い、いつの間にか倉庫にやってきた彼は、副団長の手から銀の剣を取り上げ、木箱に戻してしまう。
「大体、アイツ剣とか使えるんですかね?いっそ僕が先輩の護衛をした方が…あーあ、聖騎士になる試験受ければ良かったかなぁ」
「聖水が作れるんだから、テオは悪魔祓いにならなきゃダメ」
「はーっ、才能があるって辛い」
好き勝手に喋り続けるテオは、そのまま木箱から別な剣を一振り選び出して神父に手渡した。
「これなんてどうでしょう?」
神父には目利きの才など全くないので、差し出された剣をそのまま受け取った。テオは騒がしい男だが、神父の意図は正確に汲んでくれる察しの良い後輩でもあった。
「ありがとうございます。これにします。おいくらでしょうか?」
「これに…って、それは鉄製の剣じゃないですか!」
「いえ、ちょうどいいです」
「神父様!」
副団長は思い留まらせようと悲痛な声を上げたが、当然神父の気持ちが変わることはない。とうとう諦めた様子で、副団長は鉄の剣ならそのまま持っていってくれて構わないと代金の受け取りを拒否した。あるいは、鉄の剣を売り付けて、後に神父の身に何かあった際に責任を問われては堪らないとでも思ったのかもしれない。これは儲けた、と副団長の苦悩も知らずに神父は満足げに鉄の剣を眺める。何の変哲も無い剣である。武人でもない神父が持つにはやや重い。
用件は済んだので、神父は副団長に礼を述べて武器庫を後にしようとする。副団長は、せめてもう少しまともな武器をと食い下がったが、それは固辞する。仕方なく、副団長が先導して武器庫の出口に向かう。神父が彼の後に並び、テオとスティカがそれに続く。出口まであと少し、というところでそれは唐突に起こった。
武器庫の梁の上で作業をしていた騎士の一人が、手入れを済ませた剣を収めた木箱を持って立ち上がる。ところが、予想以上の重量に彼はバランスを崩し、その拍子に木箱の中身が階下へと滑り落ちる。すんでのところで騎士は梁の手摺に掴まって落下を免れるが、木箱から零れ落ちた剣は鞘から飛び出てその真下にいた神父の頭上に降り注いだ。
「先輩!」
「神父様」
後方を歩いていたテオとスティカが真っ先に事態に気が付き、前を歩く神父に手を伸ばす。しかし、二人の手が届くには今一歩距離が足りない。神父は二人の声に頭上を見上げてようやく事態に気が付いたようだが、彼の身体能力では今から身を躱すのは難しい。
目の前で繰り広げられるだろう惨劇の予感にテオとスティカが目を瞑りかけた刹那、神父の身体が何かに引き摺られるように傾ぐ。そのまま神父は向かってきていたテオとスティカに受け止められる形でぶつかって、3人揃って仰向けに倒れ込んだ。遅れて、先まで神父の立っていた位置に、抜き身の剣が突き刺さる。
「何をしている!」
副団長の喝が飛ぶ。梁の上から、剣を落とした騎士が震える声で「も、申し訳ありませんでした!」と叫んだが、放心状態の神父らにはそれらが遠くで交わされる会話のように曖昧にしか聞こえなかった。
「せ、先輩、大丈夫ですか?怪我は」
真っ先に我に返ったらしいテオが神父の下敷きになりながらも、その身を案じるように尋ねる。神父は慌てて起き上がり、倒れた拍子に受け止めてくれたテオとスティカを助け起こした。立ち上がった二人を見るに、彼らも怪我などは無いようで、安堵の溜息を零しつつ、神父はずれた眼鏡をかけ直す。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、助けていただいて」
「いや、僕たちは何も」
テオとスティカは顔を見合わせる。二人の伸ばした手は、神父に触れてすらいなかった。神父は首を傾げ、それから普段と変わらない無表情で続けた。
「お前たちも、怪我がなくて良かった」
「神父様がた!お怪我はありませんか!?」
副団長が顔面蒼白となって駆け寄ってくる。武器を落とした騎士も梁から降りてきて、地面に額を擦り付ける勢いで謝るので、むしろ神父の方が萎縮してしまった。誰も怪我をしなかったのだから、そんなに謝らなくても大丈夫だと神父が散々念を押すと、副団長と騎士は大袈裟なまでにその温情に感謝して、自主的に罰則として三日食事抜きにすると宣言した。さすがにその頃には神父も面倒になって、もうそれでいいですと彼らの罰則を止めなかった。
訓練場を後にするまでの間、他のすれ違う騎士たちにもめちゃくちゃに謝られ、いい気のしない神父は早々に訓練場を立ち去ることにした。元より、目的の武器は手に入れて、用事の済んだ場所である。こんなことがあった後では、しばらく顔を出すのも控えた方が良いだろう。足早に歩く神父の後ろを、テオとスティカも小走りに付いてくる。
訓練場を離れ、修道院の廊下に戻ってからもしばらくの間、一行は誰一人として口を開かなかった。ようやく声を上げたのは、大聖堂に繋がる扉の前で、振り返った神父だった。
「今日は、ありがとうございました。用事も済みましたし、お前たちのおかげで怪我もしないで帰って来れました」
神父にしては、柔らかい表情でそう告げるので、テオはすっかり舞い上がった様子で目を輝かせて頷いた。当然のことをしたまでです、と誇らしげに胸を叩く彼を、神父は苦笑して見やる。冷たい目で見られないだけ、今の神父は機嫌がいい。対して、浮かない表情のスティカである。目深に被ったフードの下ではその表情も窺い辛いが、何かを言いかけてはそれを呑み込むというのを繰り返している。神父はそんな彼女の様子に気が付いたのか、フードの中を覗き込むように腰を折る。
「スティカも、ありがとうございます」
「神父様…」
薄く微笑む神父の顔を見上げて、少女はそのまま小さく頷くに留めた。
「…ご無事で、良かったです」
「では、私はこれで」
神父は小さく会釈して、そのまま木製の扉を押して大聖堂へと姿を消した。神父の住居は修道院の外にある。大聖堂を通り、教会の外に待たせてあるという護衛と合流して帰るのだろう。その背を見送り、完全に扉の向こうに神父の姿が見えなくなってから、テオは踵を返して修道院の奥へと向かう廊下を歩き始める。彼にはまだ、悪魔祓いの任務完了報告という仕事が残っている。しかし、スティカはその場を動かない。おや、と少女の行動を不審に思ったテオが足を止めて引き返す。先から何かを言いたげな様子でもある。
「どうかしたの、スティカ」
「…テオは、見えなかった?」
「何が?」
かと思えば、意味不明なことを聞いてくる少女に、さすがのテオも目を丸くするしかない。テオの反応にも気を配る余裕がないようで、スティカは震える声で独りごちた。
「あの時、神父様の背中に……」
「へ?」
次第にか細くなっていくスティカの言葉を聞き取ろうと、テオが顔を寄せる。大きな瞳が印象的な青年である。スティカと並んでも大きな年の差があるようには見えない童顔でもある。そんな彼の心配そうな表情を見ていると、こんな顔をさせるのは本意でないのにと思えてくる。スティカは頭を振り、目蓋の裏で繰り返されるあの瞬間の映像を振り払う。
「…ううん、ごめん。私の見間違いだったみたい」
そう、あれは見間違いだったのだ。剣が落下してきたあの瞬間、神父の背中に張り付いた不気味な黒い手など、端から存在していなかった。それが届かなかったスティカたちの手に代わって神父を助けたのだろうなどと、白昼夢のような想像は、少女の小さな胸の内に深く仕舞い込まれた。