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天国か地獄か  作者: 垓
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修道院にて

 国の教会に所属する聖職者たちを統括する教会本部、その中心には豪奢な大聖堂が鎮座する。見上げる尖塔に嵌め込まれた窓には色とりどりの硝子が配置され、初めて見た時にはさすがの神父も見惚れていたものだ。無論、現在では見慣れて物珍しさもない。さて、と聖堂の正面の門を潜ろうとして、はたと神父は足を止め、振り返る。護衛が付いて来ない。

「どうかしましたか?」

 護衛は肩を竦め、背を向ける。

「まぁ、教会の中なら安全だろ…俺は行かない」

 用を足すのにも付いて来ようとする護衛が自主的に離れるのは珍しい。自然と神父の声も明るくなる。

「やはり、教会が嫌いですか?」

「別になんとも思っちゃいねえが、俺がいて困るのはお前だろ」

 護衛の指摘に、神父は再び憮然とした表情にならざるを得ない。つい先程、レオンハルト神父に受けた指摘を、もちろん神父も覚えている。聖騎士でない、どこの馬の骨とも知れない護衛を連れた神父は、他の聖職者たちに白い目で見られるだろう。せめて、見た目だけでもどうにかすべきかもしれないが、そんなことをしては彼を護衛として認めることになってしまう。それ以前に男の素性が問題だが、いや、そんなことより。

「そんな…気を遣うくらいなら、私に付き纏うのをやめたらどうです?」

 それは神父が気にすることであって、護衛が気にすることではない。真実、彼が神父の為を想って行動する護衛であるなら話は別だが、そんなはずはないし、そんなことがあって堪るかと神父は思う。手元に何かあれば投げ付けてやりたいくらいの憎たらしさだが、生憎聖水は使い果たして、神父は悲しいほどに手ぶらだ。結局、地団駄を踏んで教会の敷地の外でひらひらと手を振る護衛の姿を睨み付けるより他に神父にできることはなかった。

 主神を祀る礼拝堂は素通りし、任務完了報告のために大聖堂から繋がる修道院を訪ねる。神学校の学生だった時分は、神父もこの修道院で過ごしたものだが、今ではこうして外からわざわざ足を運んで来なければ修道院の床を踏みしめる機会もない。ここに居を構える司教に任務の顛末を報告し、認識の擦り合わせを行った上で報告書を作成するのが悪魔祓いの義務である。申告された働きと、依頼先からの報告の成果に偽りが無いことを確認し、ようやく教会は得られた寄付から悪魔祓いの対価となる報酬を支払う。今回は、飛び込みの悪魔祓いも行なっている。文化財の破損は不幸な事故であったと恐らく市長らも証言してくれるだろうが、上手いこと報告書を作らねばならない。

「ほう、役場の悪魔が、二体も?」

「ええ。一人の人間を、二体の悪魔が共同で憑代にしていたと言います」

 さらさらと羽根ペンを走らせながら、当たり障りのない報告書を作成していく。その報告書よりも事細かに悪魔祓いの状況を説明していく神父の言葉を、にこにこと微笑みながら聞いている白髪の老爺こそ、神父の師であり、直属の上司となる司教である。彼はゆったりと腰掛けた椅子に背中を埋めながら、神父の言葉に頷く。

「報告は少ないが、過去に無かった訳ではない。準備もなしに悪魔祓いの依頼を受けたのは、少し軽率だったね」

 司教が嗜めるようにそう言うと、神父は叱られた子供のように肩を落とす。

「はい…仰る通りです。軽率でした」

「…しかし、苦しむ市民を見捨ててはおけなかったのでしょう。その博愛の精神を、私は責めることはできない」

 司教は表情を和らげて続ける。神父が顔を上げて表情を明るくする。

「…というような沙汰になるでしょう。他の悪魔祓いの依頼を横取りしてしまったのは褒められたことではありませんが、そのような経緯であるなら本部からもお咎めの心配はない」

「司教様」

「ただし、あまり何回もこのようなことをされては、庇ってあげられなくなるからね」

「肝に命じます」

 神父は居住まいを正して頭を下げる。従順で素直な部下である、とは司教が下す神父の評価だ。無論、彼がここまで低姿勢で素直に忠告を聞き入れるのは司教相手だけであるということは、司教も承知の上であるが。

 悪魔祓いの腕は問題なし。人付き合いに難はあるが、任務に支障を来さない程度の口上は覚えさせた。与えた仕事は確実にこなし、冒険心や好奇心より、堅実さと安定を望む。部下として申し分ない。

 そんな部下の唯一の心配事を、司教は話題に上らせずにはおれなかった。

「お前も、ようやく護衛を付けたそうだね」

 それまでリラックスした表情を崩さなかった神父が、初めて血の気の引いた顔で司教を見返した。

「ど、どこでそれを」

 喘ぐように囁く神父に、司教は苦笑する。逆に、どうして知られていないと思ったのか。既に神父が護衛を連れるようになって、一月近くが経つ。

「皆知っているよ。教会の紹介ではない、となると傭兵なのかな?」

「…そ、そう聞いています」

 あからさまに神父は目を泳がせる。多分違うのだろう、と司教でなくても察しが付いただろう。司教以外の人間の前では、これほど感情の振れ幅の大きい子ではないと聞いている。それだけ自分に心を許しているのかと思うと、それはそれで微笑ましい。神父はしどろもどろになりながらも続ける。

「も、申し訳ありません。あれだけ正規の騎士を紹介していただいたのに、司教様の体面に傷でも付いたら」

 司教は緩く首を振る。

「そんなに怯えなくていい。責めている訳ではないんだ。そもそも、そんなことで傷付く私の体面ではない。ただ、人見知りのお前が、全く見ず知らずの人間を護衛に選ぶのは、少し不思議で」

 そもそも、神父が護衛を付けなかったのは、金銭面の理由からだけではない。学生時代から交友関係が狭く、人見知りの激しい少年であった。そんな彼が、わざわざ教会という閉ざされた世界以外から、己の命を預ける護衛を選んだことは、やはり意外の一言に尽きる。責めている訳ではないと前置きしたが、神父の反応はやはりどこか叱られるのを恐れている風だった。

「……」

「テオからも少し話を聞いたよ。“あの街”で、その護衛殿に助けてもらったと」

「テオが」

 一瞬、神父の表情が曇る。神学校時代の神父の後輩で、よく神父に懐いていた。神父の方も、比較的彼には気を許していたと司教は見ている。

「ああ、あの子を責めてやるのはおよしなさい。私が無理を言って聞き出したのです」

 そう言われては、神父もそれ以上を口にはできなかった。彼は眉間に寄った皺を解すように額に手を当てる。

「…報告で、彼のことを言わなかったのは…すみませんでした」

「いいや、お前の判断だろう。信じるよ」

「司教様」

 司教が微笑むと、神父は一瞬、何もかもを吐き出したいというような表情で老爺の顔を見た。司教は、寧ろ彼がそうすることを期待していたが、結局神父は分厚い眼鏡の下で瞳を伏せると小声で「ありがとうございます」とただ礼を述べた。果たして、その様子はますます司教に正体不明の護衛への関心を募らせることになるのだが。

「今度、護衛殿をここに連れて来なさい。私からもお礼が言いたい」

 あからさまに神父は渋い顔をするが、穏やかに微笑む司教の申し出を彼が断らないことを年老いた師匠は知っている。

「私の口から、伝えたいのだよ。私の可愛い弟子の命を救ってくれてありがとう、と」

 念を押すように告げる。珍しく、最後まで神父ははっきりと了承の言葉を発しなかった。

   

 修道院から戻る道中、大聖堂の方向から歩いてくる人影を認めて神父は口を引き結ぶ。黒い装束の小柄な青年は、神父と同じ悪魔祓いである。フードを目深に被った小柄な騎士を従えて、修道院に向かっていることから、彼もまた任務を終えて報告にやってきたのだろう。小柄な青年は神父の姿に気が付くと、花が咲いたように表情を明るくした。

「先輩!」

 修道院の高い天井に反響するほどの声量で青年が叫ぶ。この青年は、神学校の後輩だった男だ。なぜか神父によく懐き、卒業した後も同じ悪魔祓いの道に進み、何かと神父に構ってくる。先ほど司教との会話に出てきたのも彼の名だ。テオ、ことテオドシア。色素の薄い短髪に、大きな瞳が印象的な童顔の青年で、悪魔祓いとしても優秀だ。彼を責めてやるな、と司教が言っていたことが思い出されたが、両手を振って大きく息を吸う青年の姿を目にすると、神父のそんな配慮も吹き飛んでしまう。まずい、と一足飛びにその間近に駆け寄り、青年が声を発する前にげんこつを食らわす。

「ニ──痛い!!」

「名を呼ぶなといつも言っているでしょうが」

「ほ、本名を呼ぶ気はありませんでしたよぅ」

「略称でも呼び続ければ名前と同等の拘束力を持ちます。特に今は──」

 言いかけて神父は言葉を切る。まるで近くに会話を盗み聞きしている悪魔がいるかもしれないとでもいうように視線を巡らせるその姿に、しかしテオは「常に悪魔と戦う気概を忘れない先輩、さすがです!」と調子がいい。

 そのままテオは神父の周囲をきょろきょろと見渡す。そうして近くに誰もいないことを確認すると、再び満面の笑みでもって神父を見返す。

「今日は、あの男、いないんですね!」

 神父は渋い表情のまま目を逸らす。苦々しく、神父は吐き捨てるように囁いた。

「…教会の外で待たせてあります」

「クビにしたんじゃないんですかー」

 隠すでもなく残念がるテオに、神父も渇いた笑いを漏らす。そうできればどれだけいいか。しかし悲しいかな、そもそも雇ってもいない男をクビにすることはできない。

 テオとは対照的に、その背後に控えるこれまた小柄な聖騎士は、神父の護衛がおらずに残念がっている様子だった。

「…神父様の護衛、強いから手合わせしたかった」

 ぼそぼそとフードの下で囁くのは、まだ幼さの残る少女だ。ダメだよ、とテオは大仰に首を振る。

「あんな野蛮な男と手合わせするくらいなら、僕が手合わせの相手になるよ、スティカ。大体、アイツは先輩に対する敬意が足りてないし」

「テオとはもう飽きた」

「飽き…」

 辛辣な評価にテオが固まる中、思い立った神父は少女の顔を覗き込む。小柄なテオよりなお小さい少女の視線に合わせて腰を屈め、フードの中を覗き込む。

「聖騎士殿にお尋ねしたいのですが、武器はどこに行けば調達できるのでしょう?」

「へ、先輩、武器なんて欲しがってどうするんですか?」

 少女と神父の間に割って入って、テオが尋ねる。スティカと呼ばれた少女の方は不機嫌そうにむくれるが、隠すほどのことでもない、と神父は口を開く。

「その護衛が、丸腰でいると賊によく狙われるのです。なので、剣の一振りくらい、持たせても良いかと…」

 テオはあんぐりと口を開けて神父を見やる。何かおかしなことでも言っただろうかと訝しむ反面、テオは何かと反応が大きいので話半分に聞いておかねばならないことも思い出す。相変わらずの声量で、テオは一気にまくし立てた。

「自分の得物くらい、自分で用意させるべきです!先輩の手を煩わせるなんて!護衛失格です!!」

 あまりの声量に、神父は思わず後退る。学生の頃からこの勢いに飲まれて流されてきたのは神父の方だ。確かに、彼の主張にも一理あるが、それをあの男に言ったところで改善されるとは思えないし、こちらから頼むのも何だか違う気が──。

「神父様」

 遠慮がちに神父の袖を聖騎士の少女が引っ張る。そもそも、神父が話しかけたのはこの少女だ。テオは放っておいて神父が少女を振り返ると、彼女はテオとはうって変わって虫の鳴くような声量で続けるのだった。

「聖騎士の訓練場に行けば…武器庫もあるし、剣くらい貰えると思う」


人が増えてきました

テオがテオドシアと呼ばれないのは、悪魔に本名を知らせないためです

同様に、スティカももう少し長い本名があります

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