人助けの応報
※大変ふんわりした伝染病描写があります
「先輩!」
大きく手を振りながら駆け寄ってくるテオの後ろにスティカと護衛が続き、そのさらに後ろには警官らが付き従うように並んでいた。しかし森の獣道を器用に見つけて走ってくるテオの速度に付いてきているのはスティカと護衛だけで、あとの者たちは随分と離されて足場の悪い森に悪戦苦闘しているように見える。神父は体を起こし、同じく手を振って応える。一晩緊張の中で明かしたせいか、声を上げるのも億劫だった。
近付くと、テオは随分と汚れた格好で泥や血に塗れた法衣をそのままにしていた。彼もまた、廃村の摘発における最前線で指揮を執り、自身も戦力として詰めていたのだろう。本来、聖職者は後方で守られるべき職種であるのに、血の気の多い神父である。とはいえ、テオやスティカが怪我をしている様子はなかった。護衛に関しては、確認するまでもない。
テオは神父と司祭の隠れる閑地の側までやってきて、周囲に生えた低木の切れ目を探して辺りをウロウロと歩き回りながら言った。
「お迎えに上がるのが遅くなってすみませんでした! 思いのほか相手の数が多くて……お怪我はありませんか?」
「ええ」
頷きながら、神父は突き付けられた刃物の切っ先が触れただろう首あたりをさする。深い傷でもなし、血は止まっている。頷くために首を振るだけで妙に吐き気がこみ上げたが、単に相当疲れているだけだろう。怪我の内には入らない。それよりも、と神父は連れ出した司祭を指差した。
「しかし……カルロ神父が。劣悪な環境で幽閉されて、酷く衰弱しています」
「では、早く手当を!」
テオは振り返り、遅れてやってきた警官たちにテキパキと指示を出す。もはや彼が采配を振るうことを警官の誰も疑問に思っていないようだった。もし彼が聖職者でなく別な道に進んでいたとしたら、警官も向いていたかもしれない。警官たちは、テオが跨ぎ越えれずに手間取っていた低木をあっさりと踏み越えて、神父らが身を隠していた閑地に分け入る。そうして神父の向かいで法衣が掛けられた状態で横たわる司祭の元に数人の警官が集まる。周到なテオの指示により、彼らは簡易的な担架を持参していた。ところが、集まった警官たちは、かけられた法衣をめくって司祭の容態を確認すると同時にどよめき後ずさる。何が、とテオが声を上げるより先に、警官の1人が叫ぶ。
「し、神父様……! 黒死病です」
「何ですって」
テオが血相を変えて問い返した。叫んだ警官が指先で司祭にかけられた法衣を捲る。服らしいものをほとんど纏っていない司祭は裸に近く、その肌にはあちこちに黒っぽい痣のような染みが浮き上がっていた。特に指先は黒ずんで壊死しており、足も同じように黒ずみ腫れ上がって末端は壊死しかかっていた。
黒死病と呼ばれるそれは、かかった者が手足の壊死を起こし、全身が黒いあざだらけになって死亡することからその名が付く。特徴的な症状から見間違えるはずもなく、致死率の高い伝染病として知られ、その強い感染力も恐れられている。
舌打ちしつつ、テオは怒鳴った。
「すぐに離れて、彼に触れた者は聖水で洗い浄めてください! それから専門の医師を呼んで、治療を施さないと──」
言いながら、テオは常備している聖水を警官に押し付けていく。遠目に確認するに、司祭の容態は決して良くはない。既に病を発症してから時間が経ち過ぎている。それでも生きながらえているのは、彼が聖水を作れる人間だったからか。恐らく己の不調を察し、病の名を知らずとも、聖水を自ら摂取して進行を押し留めていたのだろう。
そうして、はっとする。そもそも、ここまで彼を連れてきたのはテオの先輩神父だった。感染力の強い病に冒された司祭と、一晩共に過ごした彼が果たして無事なのか? テオらを迎えた神父は、司祭の容態について何も言わなかった。危険な伝染病だと知っていれば、真っ先にそれを告げただろう。そうしなかったということは、彼も気付いていなかったということ。暗がりで逃げ惑う中、衰弱している司祭の体に浮かび上がる黒い痣など、もとより目の悪い神父には判別が付かなかったに違いない。
確認する前に、テオの背後でこめかみを押さえて神父がよろめく。テオらを出迎える神父の顔色は、確かに血色が良いとは言い難かった。それは寝ずに一夜を明かした疲れから来るものと思っていたが、嫌な予感がしてテオの足は竦む。
「だ、大丈夫ですか、先輩?」
「う……すみません…頭痛が酷くて」
「頭痛…」
黒死病の症状として、激しい頭痛も挙げられる。それだけでは確定には至らないし、ましてテオは医者ではなかったが、状況は限りなく黒に近い。暗澹たる気持ちでテオはそれを認める。私情など挟んでもどうにもならない──先輩神父は、司祭の黒死病に感染しているだろう。
何が起きている、と不安げにするスティカに説明してやる気も起きなかった。テオは苦しげに顔を顰める神父に駆け寄って背中をさすってやることもできなかった。
不意に、護衛が動く。あまりに静かなので時々テオは彼がいることを忘れてしまう。神父といる時は決して無口という訳ではないはずなのに、必要のないことは喋らない質なのか、あるいは神父以外には関心がないのか、昨晩一緒にいたテオにもスティカにも、彼から話しかけることはほとんど無かった。そんな護衛が、神父に歩み寄ろうとするので、テオはその腕を掴んで止めた。
「近寄っちゃダメだ」
「何故だ?」
本気で不思議そうに護衛が首を傾げる。浮き足立つ空気に置き去りにされたように、護衛とスティカだけは何が起きているか分からないという顔をしている。テオはやるせない気持ちを堪え、唇を噛みつつ絞り出すように答える。
「先輩も黒死病に感染してる可能性が高い」
「黒死病?」
「司祭と一晩共にいたんだ。彼を抱えて移動もしているから、うつっていると思って隔離する必要がある。頭痛と、吐き気と、発熱も出てくるだろう。血液に病が回れば、司祭のように皮膚が壊死していく。肺に回れば、呼吸もままならなくなる」
珍しく護衛がきょとんとして繰り返した。まさか知らないとは言わないだろう。都市一つを壊滅させることもある有名な伝染病だ。ようやくスティカも事態を理解したのか、小さく息を呑んで神父を見やった。護衛は何かを連想するように宙空を見つめ、それから1人で納得したように頷いた。
「なるほど……そういう手があったか」
一体彼が何を言っているのか、テオには分からなかったが、それを問い質す機会は失われた。神父の方がテオの声を聞き、それから呻いた。
「そういう手で来ましたか……」
奇しくも、神父は護衛と同じことを言って頭を抱えた。
どうしてもキリが悪くなりそうなので少し短めでした。




