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天国か地獄か  作者: 垓
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悪趣味な男

「う、むー、んー!」

 神父は懸命に塞がれた口の中で声を上げる。始め、真主神信仰の信徒たちは神父の無駄な抵抗を嘲笑い、静かにしろと目の前で刃物をちらつかせて脅したが、頷きつつも声を抑える気配のない神父の様子に首を傾げた。ようやく、神父が何かを言いたがっているのだと気が付いたのだろう、彼らは目を見合わせ、それから「妙な真似をしたら殺すぞ」と首筋に短剣を押し当てながらゆっくりと口を塞いでいた手を離した。は、と神父は息を吸い込む。神父を取り押さえる男の手は大きく、声を出させまいと力を込められたそれに鼻まで塞がれて息苦しかった。神父が息を整える間、緊張した面持ちで男たちは神父を見下ろしていた。

「あ、あの……」

 そんな彼らを警戒させることのないよう、神父は声を潜めて言う。大声を出してもすぐに助けが来る訳ではない。それより早く、神父か司祭か、どちらかの息の根を止められて、それでおしまいだろう。それより、ここで話を引き延ばして助けを待つ方が賢明に思えた。

「私があなた方に協力すれば、お給金はいただけるのでしょうか?」

「……は?」

 呆れ果てた様子で男たちが見返してくる空気がいたたまれなく、神父は続きを言い淀む。この反応は想定内だが、それでも実際に冷たい視線を浴びると萎縮してしまう。刃物を持った男が言った。

「あのな……あんた、自分の立場分かってんのか? どうして俺たちが給金なんかを出さなきゃならないんだ」

 生かされているだけでもありがたいと思え、とその声からはありありと読み取れるが、神父は気を取り直して言い募る。

「前任のカルロ神父の様子を見るに、ろくな環境であったとは思えません。しかし、環境の改善が見込めるのであれば、私も場合によっては喜んで協力できるかもしれません」

 隣で横たわる司祭から呻き声のようなものが聞こえる。命惜しさに神父が交渉に応じようとしていることに落胆しているのかもしれないし、あるいは己と同じ境遇に神父が置かれることを嘆いているのかもしれなかった。神父はそれを無視する。2人揃って生きてこの場を切り抜けるために多少の方便は仕方ない。信仰のために邪に屈せず命を落とすことは、主神教に対する献身として死後褒め称えられることになるが、それがいかほどの慰めになるだろう。少なくとも神父にとっては魅力的な褒賞には思えなかった。

「お察しの通り、私は聖水を作ることができますとも。それも、そこらの神父よりも効率良く。悪魔祓いですから当然ですね。ですが、それ故私が行方不明にでもなれば、教会は血眼になって私を探すはずです。地方の修道士と違って、悪魔祓いはそれだけ貴重な人材です。それはあなた方も都合が悪いのでは?」

「それじゃあ、あんたには死んでもらって、引き続きこっちの神父様に手伝ってもらう方がいいってことか?」

「彼にそのような体力が残っているようには見えません」

 拘束もされていないのに、横たえられた司祭は会話の最中も逃げ出す素振りさえ見せずに倒れたままだった。その様子を見て男たちは考え直すように顔を見合わせる。もう一押し、と神父は語気を強める。

「ですが、そうですね、正しい見返りがあれば、私はあなた方に協力することも吝かではありません」

「それが金だってか?」

「ええ、聖水を作る力はありますが、それを売り捌く能力は私にはないので」

 くくく、と刃物を持つ男が笑い出す。釣られてか、他の2人も笑い出し、森の中に忍びやかな声が吸い込まれていく。廃村の喧騒が遥か遠くに聞こえる。誰も森の近くへは近寄る気配がない。

「面白い神父様だ、清貧があんたらの美徳じゃなかったか」

「美徳では収入は増えないので……」

「はは、分かった! あんたと組もう、神父様」

 とうとう男が刃物を引っ込め、神父に馬乗りになっていた男にも退くように指示を出す。他2人は不服そうにしているところを見ると、全面的に信用された訳ではないようだが当面の危険は去ったと見て良いかもしれない。咳き込みながら神父は起き上がる。押さえ付けられていたのが解放されて、一気に解けた緊張のせいか、妙に頭が痛い。

「信用するのか、この男を」

 不服そうにしていた男の1人が声を潜めるでもなく神父の前で抗議する。刃物を持った男がこの中ではあらゆる決定権を有しているようだが、かといって彼らの中に明確な序列がある訳ではないようだ。刃物の男はさほど気にした様子もなく笑い飛ばす。

「いいじゃないか、金で解決するなら話が分かりやすい」

「本当に従う気があるとも限らない、裏切るかもしれない」

「だが病人よりはマシだ」

 男たちは沈黙する。司祭はげほげほと咳き込んで時々痰と唾の混じったような物を吐き出していた。彼をこのまま放置していて病が癒えるとは到底思えなかった。しばしの沈黙の後、刃物をしまいかけていた男が再びそれを持ち出して倒れ伏した司祭を示した。

「では、こっちの病人は用済みだ。余計なことを喋られる前に殺しておこう」

 そうしてずんずんと司祭に歩み寄るので、神父は慌ててその前に立ち塞がる。両手を広げて庇うような仕草に向かい合う男たちの表情が険しくなる。神父は愛想笑いを浮かべて見せるが、それがどれほど効果のあるものか不明だった。

「何も、殺すことはないのでは……」

「今更怖気付いたか? やっぱり聖職者は軟弱な種無し野郎の集まりだったか」

 嘲るような声で詰られるが、神父は何も言い返せなかった。話を引き延ばすつもりでこれまで話してきたが、もうネタ切れだ。だんだん気分も悪くなってきた。話も煮詰まってしまった。彼らの言う通り、もはや虫の息な司祭といえど、ここで生かして見逃せば、後々何を喋るか分からない。些細な証言で彼らの身元が割れてはことだろう。どうすべきか考えあぐねているうちに、別な男が神父の腕を引いて羽交い締めにした。ちょうど、司祭に刃物を突き立てる男の姿がよく見える格好になるようにさせられているのだと気が付いた。

「手を組むとは行ったが、あくまで俺たちが命令する立場にあるってことは忘れないで欲しいな、神父様。そのためにも、見せしめってのは必要だろう?」

 言うことを聞かなければ、このような酷い目に遭わせるぞという脅しである。それを目の前の司祭を殺して見せることで実践しようと言うのだ。

 さすがの神父も、人死にが出ることに無関心でいられるほど肝は据わっていない。それが自分の身代わりに殺されるとあってはなおさらだ。見ていることが出来ずに視線を逸らしてしまうが、それに気が付いた男に前髪を掴まれ、無理やりに前を向くことを強要されてしまう。必死に祈りを捧げてみても、天の使いが助けに来ることはなかった。無論、人間の助けも来る気配がない。司祭の隣に膝を付き、刃物を持った男がそれを振りかざす。

「ぐぇ」

 鈍い悲鳴が上がる。始め、神父はそれが司祭の上げる断末魔だと思った。だが、悲鳴と共に吹っ飛んだのは刃物を持った男の方だった。何かに横合いから吹き飛ばされて、近くの木に叩き付けられる。その何かの姿は見えなかったが、暗がりの中から低い獣の唸り声のようなものが聞こえて来る。神父を取り押さえていた男たちは警戒するように身構えたが、神父はいっそ肩から力が抜ける思いだった。──やっと来たか!

「な、なんだぁ…? 何が起きた…」

 吹っ飛ばされた男は、まだ意識があったのか、ふらふらと木に縋りながら立ち上がる。そうして取り落とした短剣を握り直すと暗闇を睨み付けて身構えた。神父を捕まえる男が唸る。

「何が起きた!? 何にやられた?」

「そんなの俺が聞きたい。お前たちは見てないのか」

「い、いきなり吹っ飛ばされたように見えた」

 3人が狼狽えたように周囲を見渡すのが滑稽で、思わず神父は声を漏らして笑ってしまう。一気に視線が神父に集中し、神父を取り押さえる男の腕に力が篭る。

「なにがおかしい…! 一体何をした!? 貴様の仕業か!」

「いえ、私は何も」

「嘘を吐くな、……ッ!?」

 白々しくそう嘯く神父に、いきり立った様子の刃物を持った男が食ってかかるが、その最中に彼の持つ短剣は根元から折れて刃先が地面に突き刺さる。何故、と一行の視線が折れた短剣の柄に集中していると、次は神父の前髪を掴んでいた男が足元を掬われたようにひっくり返る。何かが起きていることは確かなのに、その正体が全く分からない。暗がりで姿が見えないというだけではない。得体の知れない何かに襲われているという確信だけが深まる。

 神父を羽交い締めにしていた男が、神父を突き飛ばして逃げ出した。森の奥へと向かう慌ただしい足音は、しかし数歩も行かないうちに消える。代わりに短い悲鳴を最後に束の間静寂が訪れる。残された2人もそれで事態の逼迫しているのを悟ったのだろう、這々の体で逃げ出して行くが、いくらも行かないままそれぞれくぐもった呻き声を上げた後、神父の前に戻って来ることはなかった。

 突き飛ばされて、四つん這いになったまま成り行きを見守っていた神父は、それでようやく立ち上がると膝に付いた泥を叩き落として溜息を吐く。脅威は去ったのだと知れた。そうでなくても、化け物がそばにいるなら何者も脅威にはなり得なかった。ざわりと背筋の粟立つ感覚があり、絡み付くような視線を感じて、化け物が近くにいることを悟った。膝に手を付いて足元に視線を落としつつ、囁いてみる。

「来るのが遅かったのでは?」

「助けてやったのに第一声がそれか」

 足元の影からくつくつと笑い声と共に返答が寄越される。化け物の声だった。

「大体、俺は最初からここにいた」

「では、傍観していたと?」

 なんとなく、そんな予感はしていたが、初めから化け物は神父から目を離してなどいなかった。離れすぎてしまったのでは、などと勝手に不安がっていたのは神父の全くの杞憂だった。つまり、神父のこれまでの努力など全くの無駄足だったのだ。そう知れると、一層気落ちする。無駄な労力と要らない気を遣った。どっと疲れが押し寄せる。頭痛が酷くなった気がした。化け物が姿もないのににたりと笑ったのが分かった。

「頑張ってる神父様を見るの、俺好きだからなぁ」

「……悪趣味ですね」

 溜息を漏らす。それには笑い声だけが返る。

 以後、神父らの隠れる森に敵対する者たちが訪れることはなかった。木の影に司祭と共に隠れていた神父が次に腰を浮かせたのは、東の空が白んだ頃、廃村の喧騒がすっかり静まり、テオが己を探して呼ばわる声が聞こえた時だった。

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