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天国か地獄か  作者: 垓
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護衛の男

 基本的に、悪魔祓いというのは高給取りである。悪魔という人智を超えた存在を退治する唯一の職業であり、教会に手厚く保護される地位と命を賭けて市民を守る騎士としての名声があり、誰しもが一度は悪魔祓いの黒い装束に腕を通すことを夢見る。だが、悪魔祓いの人口は少ない。神学校で神の教えと世の理を学び、博愛の精神を育んだとして、悪魔祓いになれる資質が無ければ意味がない。つまるところ、聖水を生み出すための祈りが、主神に届くかどうかであるが、これは生まれながらにその個人が持つ魂の練度が関係しており、生まれてからの努力や環境は全くこれに影響を及ぼさなかった。

 悪魔祓いになれずとも、悪魔に怯えて暮らす人々のために働きたいと志願する者は多い。そうした者たちが就く職業の一つに聖騎士がある。彼らは祝福を受けた銀の剣を振るい、悪魔祓いと同じく邪悪な者共を銀の剣で両断する。──ということになっている。実際、悪魔憑きを銀の剣で傷付ければ、宿主はそのまま死んでしまうので、聖騎士の実際の職務は概ね神父を襲うその他の脅威を退けることだった。稀に、悪魔は魔界の眷属を呼び寄せて使役することがあり、そういった怪異を討伐するのも彼らの仕事であるが、聖騎士の任務として最も多いのは、金銭を狙って神父に襲い掛かる暴漢を取り締まることだった。護衛である。

 先だって、神父とすれ違ったレオンハルト神父も、2名の護衛を従えて任務へと向かっていた。あんな高級そうな馬車で移動すれば、山賊や物盗りの格好の餌食だと神父は考えるが、それでも屈強な男を従えた悪魔祓いの姿を見れば、聡明な者は妙な気など起こさないだろう。無論、明日の食事にも困窮する物盗りにそんな判断力はない訳だが。

 さて、そんな神父自身にも護衛はいる。否、神父自身は彼を護衛と認めた訳ではない。男が勝手に護衛を名乗り、後ろを付いて来るから事実上はそうなっているというだけで。彼が付いて来るまで、神父に護衛はいなかった。聖騎士を雇うにはそれなりの給金を支払う必要がある。教会本部からはしきりに護衛を付けるべきだと、依頼を受けるたびにちくちくと言われ続けてきたが、そもそも悪魔祓いを大々的に主張するような格好や移動方法を選ばなければ、トラブルに巻き込まれる確率は格段に減ったし、護衛の必要性を当時は特に感じていなかった。

 当時は、である。教会本部の置かれる大聖堂までもういくらもないという街道で、人相の悪い大柄な男たち3人に囲まれながら、神父はかつての己の考えの甘さを痛感する。神父は、これまで奇跡的に幸運だった。悪魔祓い見習いのうちは、常に他の悪魔祓いの護衛に守られて来たし、様々な偶然が重なって、命を落とすような出来事に遭遇してこなかった。悪魔祓いとして本格的に一人で活動し始めたのが数年前で、そのうち何度も一歩間違えれば死んでいたという状況だったかもしれないことはあるにはあったが、それでも護衛なしでどうにかなるという甘い見通しで生きてこられたのは、ひとえに神父が神に愛されるほどに幸運な男だったからだろう。あるいは──。

「おい、神父サマよ、聞いてんのか?」

 破落戸の一人が濁声で怒鳴る。神父は怖気付くでもなく、かといって居直るでもなく、ただ突っ立ったまま答える。

「はい、えーと…何の話でした?」

「だから、金目の物を出せって言ってんだ」

 破落戸のうちの一人は古びた片手剣を持ち、もう一人は手斧を脅すように構えていた。交渉の窓口と思われる主犯の男は手ぶらだが、その見上げる巨躯は筋肉と脂肪とが程よく交ざり、それだけで相手を威圧するに十分な迫力がある。

「仕事帰りなんだろ、ということは悪魔祓いの高額な報酬を持ち帰ってきてるはずだ」

「生憎と、手持ちがありません。聖水は使い果たしてしまいましたし、報酬は教会を通して寄付して頂く手筈になっています」

「う、嘘を言うな」

「本当です。ご覧の通り、馬車にも乗っていないでしょう」

 神父はローブの隙間からズボンのポケットをひっくり返して見せる。本当は、役場での悪魔祓いで現金を持ち帰るはずだったが、その話も流れてしまったことが思い出されて項垂れる。武器を持った破落戸たちが顔を寄せ合って何事かを相談している。そうです、狙う相手を間違えたのですよ、と眼鏡の下で目を細めながら神父はその様子を見守る。

「…それじゃ、身包み剥がせてもらうしかないな。悪魔祓いの法衣は、聖水の加護を受けているから高く売れるんだってな」

 神父の想定通りには勿論行かず、破落戸たちは再び武器を構え直して神父を取り囲んだ。そう来ましたか、と神父はひっくり返したポケットを元に戻す。武器を構える立ち姿から、とても訓練や経験を積んだ者たちには見えない。とはいえ、3人という数はそれなりに脅威。どうしたものか。

「そんな丸腰の護衛連れてるから、俺たちみたいなのに狙われるんだ。恨むんなら、自分の認識の甘さを恨むんだな」

 破落戸の一人がそう詰り、そのまま神父の元へ駆け寄って来る。なるほど、重厚な鎧を纏った聖騎士を連れた悪魔祓いなら狙わなかったということか。悪魔祓いと同様、教会に所属する聖騎士にはそれと分かる正装がある。教会の紋が刻まれた鎧兜に、真紅の外套を翻す姿は、遠目にも聖騎士ありと分かる出で立ちだ。対して、丸腰の護衛と呼ばれた男を振り返り、神父は改めて、彼は傍目にはそう見えているのか、とぼんやりと思った。

「どうして丸腰か教えてやろうか?」

 護衛が口を開く。同時に、神父に駆け寄ってきた破落戸の一人が地面に沈む。その脳天には巨大なたんこぶ。護衛はいつのまにか振り下ろした拳を開く。

「これぐらいのハンデがないと、おめーらを殺しちまうからだよ」

 緩く持ち上げられた護衛の口元から尖った犬歯が覗く。残った2人の破落戸は、それでも自分たちが武器を持っていることを思い出して、息を合わせて突進してくる。護衛はますます口角を持ち上げて笑う。護衛のげんこつが吸い込まれるように破落戸たちの脳天に振り下ろされるのを、聞くに耐えない打撃音に肩を竦めながら神父は見守るのだった。

 くそう、覚えてろ、と月並みな台詞を吐いて破落戸たちが退散していく。最初にげんこつをもらった男は完全に伸びていて、残りの二人が彼を引きずって街道の横道へと逸れていくのを神父と護衛は並んで見守る。こうして護衛が仕事をするのは、今回が初めてではない。寧ろ、彼は並みの聖騎士より優秀な護衛だった。少々口煩くがさつだが、彼と行動を共にするようになってから、神父は悪魔祓いの仕事以外で命の危機を覚えたことはない。

 ──それが問題なのだ、と護衛を見上げる神父の表情は渋い。正式な護衛として認めておらず、給金も出していない。聖騎士でもないこの男が、護衛として神父を守る仕事を完璧にこなすのは対外的にも、神父の心情としてもよろしくない。ちょっと役に立つとすら思ってしまう、流されかけている自分をはっきりと自覚している。そんな神父の表情に気付いた護衛は、決まってにたにたと笑い、神父の肩を親しげに抱いて囁くのだ。助けられた手前、あまり乱暴にもできない神父は、やんわりとその拘束から逃げ出す。

「なに、どうした。別に俺は、このことを恩義に感じて、何かして欲しいだなんて言うつもりはないぜ」

「…どうですかね」

「信用ねえな〜。最初から言ってるだろ?お前に死なれちゃ困るのは俺だからな。俺がお前を助けたって、お前の仕事を手伝ったって、お前はな〜んにも恩義に感じる必要はねえの。な?」

 当然、神父がそう考えられるような男でないことを見越した発言であるのは明らかだ。神父自身が利害関係で動く人間であるのだから、相手も当然そうであるという前提が神父には根強くある。実際、護衛の言葉がどこまで本気であるのかは定かでないが、そういった神父の反応込みで楽しんでいるのは間違いなかった。嘲笑うように細められた護衛の金の目が憎たらしい。恐らく、本人に嘲笑うつもりなどないのだろうが、神父の目を通せばそのように見えるのだから不思議なものだ。

 しばし、考え込むように腕を組んでいた神父は、しぶしぶといった様子で口を開く。

「…まぁ…その、鉢植えから守っていただいた件もありますし、多少は何かを返しておかねば、私の方も気分が悪い」

 あとから見返りを要求されても困りますし、と付け加えて神父は溜息を吐く。ほうほう、と護衛は頷いた。

「というわけで、今晩の夕食くらいは、奢ってあげてもいいです」

「俺の働き、安〜…」

 

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