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天国か地獄か  作者: 垓
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天の采配

もしかすると、不快な表現が続くかもしれません。

「なんだか、悪魔信仰の村に潜入した時のことを思い出しますね」

 山間の廃村を見下ろしながら、テオが木の幹の上で身を乗り出した。山猿のように器用に木登りをしてみせたテオは、件の廃村を囲む山の中腹辺りからの偵察を提案した。もちろん木登りなど到底できるはずもない神父は、それらをテオとスティカに一任している。テオにとって、レオ、トマス、神父らと共に出会った悪魔信仰との諍いの数々は、多少刺激的な任務の一つに過ぎなかった。テオの言葉にそうだね、と頷くスティカとは対照的に、神父の方は渋い顔をして当時のことは思い出すまいとしていた。

「今度は、あんな目に遭うのは御免なのですが…」

 神父の言うあんな目とは、眷属が蔓延り、名を知られた顔見知りの司祭が拘束され、死体の転がる現場を指すに留まらず、それらを助け出すために神父自身が代価を支払って護衛に何がしかの協力を仰ぐことであるのだが、そうとは知らぬテオの調子は軽い。

「相手は人間です。眷属よりはマシでしょう」

「そうですかね」

「テオ、油断禁物」

 むくれるスティカの視線もまた、山間の廃村に向けられている。優れた聴力と視力でもって、彼女はより正確な索敵を行うことができる。一方で、テオが見ているのは建造物の配置と人の流れだ。どこに重要な拠点を置き、どこにそうでない役割を持たせるか。真主神信仰の拠点として目を付けられているだけあって、その活動は大々的で隠されている様子もない。表向きは、信者を集って熱心な説法を聞かせ、あるいは身寄りのない乞食たちに職を斡旋しているようだった。慈善事業というやつだ。

 とはいえ、斡旋された仕事が本当に堅気の商売であるのかは疑わしい。警察組織に摘発された聖水の売人たちも、定住する家を持たない浮浪者が中身を知らされずに売買していたとも聞く。叩けば埃が出るだろうことは想像に難くなかった。

「ふむ、あの建物、怪しいですね」

 するすると木から降りてきたテオが、着地と同時に神父の横に並びながら言う。神父は眼鏡の位置を直しながらテオが指差した先を目で追う。──建物群があることは分かったが、テオがどの建物の話をしているのかは視界がぼやけて分からなかった。曖昧に頷く神父が己の意図を理解していないことを気が付いた上で、テオは続けた。

「通常の信者が立ち入る区域より、離れたところに警備の付いた家屋があります。金品を隠しているものかとも思いましたが、それにしては警備が手薄です」

「…では、警備ではなく、監視ですか」

「と、見るのが無難でしょう」

 外部からの接触を警戒するより、内部の抵抗を警戒している。あるいは、勝手に自害などされないよう、指示した仕事をこなすよう、監視の役目を持つ者がいることで圧力を加えているのかもしれない。

 ともあれ、当初のテオの見立て通り、この拠点が何かしらの隠し事をしていることは疑いようがなかった。本来であれば、ここで警察組織にこの拠点の捜査を依頼し、後ろ暗い商いを摘発してもらうところだが、正面から踏み込んで幽閉された司祭を無事に救出できるとは到底思えないこれまでの警察組織の働きぶりである。かといって、全てをテオや神父の力で解決することは手に余り、その折衷案として編み出されたのが「幽閉されているであろう司祭をテオらが救出し、その後で警察組織に拠点に踏み込んでもらう」である。テオは信用の置けない警察組織に宗教団体の摘発を任せることに難色を示したが、それは神父とスティカが宥めすかして納得させた。

「じゃあ、作戦の変更はなしだね」

 そのような手筈になることは、既に警察組織に話を通してある。テオらが先行し、目的を果たした上で突入の合図を出した時、近隣の街に控えている警察組織が突入してくるという段取りである。この提案を、警察組織の長は快く受け入れた。むしろ、テオの提案であればなんでも喜んで受け入れただろう。それくらい優柔不断な男だった。

 スティカが確認するように囁くと、神妙に頷いてテオは神父とスティカの顔を見比べた。

「今晩、幽閉された司祭の救出を目的として、目下の廃村への潜入調査を決行します。…って、聞いてるんですか?」

 神妙な空気から一転、全く会話に入る気配のない神父の護衛を見やってテオが問う。護衛はといえば、手頃な木に背中を預けて、木陰の下で居眠りでも始めそうな格好である。テオは続ける。

「あなたの戦力もアテにしているんですからね!無論、今回の目的は司祭の救出ですので、荒事は極力避けるつもりですが、その辺りの認識の擦り合わせが出来ていないと不測の事態に陥った際に過激派の連中に妙な言い逃れの道を与えかねないことに…」

「あー、分かった分かった」

 くどくどと説教を始めそうなテオを制するように護衛が手を上げる。分かって堪るもんですか、とテオは口を閉じようとしないが、それは神父が諌める。

「彼には、私から言っておきますので…」

「先輩…」

 テオの顔には、甘やかすべきでないとはっきり書いてある。甘やかしている訳ではないし、寧ろ手綱さえ神父の手にはない化け物であるのだが、当の護衛はテオと向き合い困り顔でなんと言うべきか考えあぐねている神父を見て、いつものようにニタニタと笑っている。果たして、これは味見何回分ほどの働きになるのだろうか、と神父は治りかけた首筋の傷を思い出すと溜息が漏れるのを抑え切れなかった。

 

 そうして、時刻は深夜を回る。今日は月のない晩だった。星明かりでは足元の小石さえ視認するのが難しい。それは神父が強度の近視でそもそも目が悪いからだが、それでも彼が明かりもなく夜道を歩いているのは、夜闇よりもなお暗い、金目の影が先導しているからだった。とはいえ、それに小走りに着いて行く神父が、砂利を踏んだり小石に躓いたり、全く平穏無事に歩けているとは言い難いが。

 護衛そのものの姿はない。彼はテオ、スティカらと同行し、警備の目を引く立ち回りを任じられている。任じられた、というのは神父が命じたという意味であり、これはそもそも真主神信仰がスティカの命を狙っているから助けてやって欲しいという司教の命を受けた采配だった。今回の任で一番危険なのは、戦う力のない神父ではなく、悪魔の子として名が知れ渡っているだろうスティカであり、彼女を守る使命を帯びたテオである。神父にとって2人は十分に贔屓してやりたい後輩たちであるし、そのためなら頼れる護衛を彼らの元に派遣することに否やもなかった。

 そうして神父に任されたのが、捕らえられた司祭の救出とその搬送だった。神父の侵入経路と脱出経路を確保すること、それがテオ、スティカ、そして護衛の役回りとなる。テオは随分心配したが、神父自身がそれを快諾した。というのも、少々物理的な距離が空いたところで護衛が神父から目を離すはずもなし、例え物陰から潜んでいた刺客が飛び出してこようが神父は死なない自信が──言い換えれば、「化け物に守られる」自信がある。護衛の化け物としての能力を端からあてにした提案だったが、護衛もまたそれを快諾した。さぞや報酬も弾んでいただけるのでしょうなぁ、とネチネチ言われたので、代価があるなら応える意思はあるということだろう。

 そういう訳で、神父は1人で廃村の路地裏を歩いている。先導する影は、的確に人通りのない道を選んでいるようで、神父が廃村の不寝番たちにその姿を晒すことはない。問題なく目的の家屋に到達する。警備の姿はない。そのためにテオが一つ離れた通りで小火を起こした。それほど統制の取れていない警備はすぐに騒ぎの火元に飛んで行き、火が消されても戻ってくる気配がない。今のうちに、と外付けの錠前に針金を突っ込む。小さな家屋は外から内部が窺えないよう、木の板で目張りしてあった。扉に唯一付けられた格子の窓から中の様子が窺えるようだったが、暗くて何も見えない。そのうちに適当に引っ掻き回している針金が何かに引っかかり、呆気なく錠が開いた。どうせ安物の錠前が使われているだろうとのテオの見立ての通りだった。

 扉を開ける。中に踏み込む。同時に、何かを踏み付けた神父は、入り口付近に残飯が散乱していることに気が付く。視界の端で物陰に隠れる小動物の影を見た。大方、ネズミでもいるのだろう。あるいは、残飯の匂いに釣られて虫でも集っていたのかもしれない。神父はさらに踏み込んだ。暗闇に目が慣れて、部屋の隅に蹲る人影を見つけると同時に、その人影が弱々しく咳き込んだので神父は飛び上がる。

 人影は怯えた様子で言った。

「き、今日の分の聖水は…もう納めました…これ以上何を…」

「カルロ神父?」

 極力声を抑えつつ、神父は報告書で見た司祭の名を呼ぶ。部屋の中は異臭で満ちていた。悪魔憑きは、その口から酷い臭いのする恐ろしい液体を吐き出すことがあるが、そこに満ちていたのは単に不衛生な環境が煮詰まった不快な臭いだった。部屋のあちこちに吐瀉物や汚物が撒き散らされていれば当然だった。人影はのろのろと顔を上げ、それから嗄れた声で言った。

「お、おぉ…天の迎えでしょうか…」

「いえ、中央教会から助けに来ました」

 神父は跪き、蹲る司祭と目線を合わせる。暗がりで顔はよく見えないが、ひとまず四肢は付いているようだった。跪いた足元の近くからカサカサと虫の這う音が聞こえる。とにかくここを出た方が良さそうだ。

「歩くことはできますでしょうか。よろしければ肩を…」

 言いかけた神父の前で男が咳き込む。咳だけに留まらず、その口から痰のようなものが飛び出し、正面に跪く神父の服に吐きかけられる。だが、それすら気にかける余裕もない様子で男は咳き込み続けている。神父は慌ててその背を摩った。

「あ、ああ…天は私を見放さなかった…!それだけで…」

「祝詞はまたあとで。今はここを出るのが先決です」

 そのまま神父は男の肩に腕を回して、ほとんど担ぎ上げるようにして立ち上がる。男はほとんど衣服と呼べるものを身に付けていなかった。擦り切れた布が立ち上がった拍子に体から剥がれ落ちていく。同時に皮膚の欠片ともフケとも判別の付かないものが粉のように舞っていく。目立つ怪我はないように見えたが、かといってろくな目に遭っていなかったことも明白だ。非力な神父にも苦もなく肩を貸せる程度に、幽閉されていた司祭は痩せ細っていた。

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