テオの推理
「なるほど、大体飲み込めました」
テオはほどなくして目を覚まし、起きてからも随分物分かりが良く、神父が伝えるまでもなく、事の大凡の全体像を把握していた。それでも神父の言葉を途中で遮ることがなかったのは、彼が神父の話だけはきちんと聞く気があることの表れだろう。
「つまり、どこぞからスティカの出自に関する情報が漏れて、彼女の命を狙う輩が増えることを見越した司教様が、先輩を応援に寄越してくださった…と」
「理解が早くて助かります」
テオの頭に聖水を浸した包帯を巻き直しながら神父は頷く。どうしよう、と狼狽えるスティカとは対照的に、テオは随分冷静だった。
「まぁ、スティカの情報に関しては、あまり心配しなくていいと思います。ぼくも概ね司教様と同じ考えです。狂信者の言うことなど誰も信じない」
「そ、そうかな…」
まだ心配そうにするスティカをよそに、テオは続ける。
「何も引け目に感じることはない!スティカ、君は敬虔な信者だ。司祭であるぼくが保証しよう。だから君は、根も葉もない噂を立てられて、心底傷付いているという顔をしていればいい。可愛くて罪もない女の子を殺そうとする輩の言葉と、涙目で無実を訴える君の言葉、民衆がどちらを信じるかは明白だ」
可愛いという言葉にスティカはフードの下で頬を赤らめて俯く。一方でそれらの話を黙って聞いている護衛は、清廉とは程遠い見立てのテオの言葉に笑いを噛み殺しているようだった。それらに気付かぬテオは、神父を振り向いて言う。
「…ということは、任務自体は続行という形で良いんでしょうか。すぐに帰って来いと言われてはいないようですが」
「そうですね。私が補佐に付いて、任務を遂行せよとの命令だと思います」
「やったぁ!」
それまでの沈着な様子とは裏腹に、テオは両手を上げて喜んで見せる。神父と同じ任務に付けることがそれほど嬉しいのだろう。神父は大した反応を見せないが、肩の力が抜けているのは瞭然だった。
捕らえた真主神信仰過激派の騎士たちは、今度は容赦なく近隣の街の警察組織に突き出して沙汰を任せた。もはや全面衝突も致し方なしとの判断を仰いでいる。それは神父ら下っ端の裁量でどうにかできることでもなし、本部に対応を任せることに決まっている。そうして神父の乗ってきた馬車で再び任務への道のりに戻った一行は、今度は襲撃にも遭うことなく目的地まで辿り着くのであった。
神父とテオは、2人並んで用意された椅子に座り、そうして机の上に並べられた大小様々な容器に詰められた液体を覗き込む。彼らの背後に控えるスティカと護衛は、手持ち無沙汰にその様子を眺める。神父らは、出された容器を持ち上げては中身の液体を吟味するように見つめ、それからどちらともなく目を見合わせると頷き合った。
「押収された聖水のほとんどが、単なる水のように見えます」
テオが容器の大半を押し出しながら言った。やはり、と護衛たちとは反対向かいの机側から覗いていた警官たちが肩を落とした。ここは警察組織の拠点ともなる署内の一室。目的地に辿り着き、早速聖水の確認をと頼まれたテオと神父は、断る理由もなく通された部屋で押収された聖水の鑑定を行なっている。聖水が作り手によって練度の差が生まれることは、悪魔祓いたちにとっては常識であるが、それを手にするのみの民衆にとっては練度の差など大きな問題ではない。最低限の効果を保証されたもののみが教会のお墨付きとして世間に流通するからであるが、こうして偽物紛いの物が押収された際には、悪魔祓いたちが駆り出されてその練度の確認をさせられることは稀ではなかった。
ですが、と前置いて、テオは手前に残された二つの容器を指差した。悪魔祓いたちが常用するような美しい小瓶ではなく、日用品として使われるような間口の広い瓶や缶に詰められたそれに神々しさはない。
「この二つだけは、確かに聖水です。練度も申し分ない」
おお、とどよめいて、警官たちは身を乗り出して聖水の入った容器を見つめる。見たところで違いの分かる訳でもないのに、とは思っても口に出さない神父とテオである。
「全てが偽物では、当然買い足が付かない。けれど、時々本物を混ぜて売れば、民衆が勝手に効果を勘違いしてくれる」
「まぁ、聖水の効果は目に見えないものが多いですからね」
あるいは、売り始めは本物だけを売っていたのかもしれない。聖水の効果が確認されて、売り手としての信用を得たのち、少しずつ粗悪品を流通の中に紛れ込ませ、その割合を逆転させた。悪魔を祓う訳でもない民衆に、聖水の効果を判断する術はない。ありがたい水であるとの思い込みだけで、傷の治りが早いような気がして、再び粗悪品の聖水を買わされていても誰も気付きはしないのだ。
神父とテオの不敬な会話の連続に警官たちは目を白黒させている。国教として信者の多い主神教は、警官の中にも信奉する者が多く、警察組織は概ね教会に協力的だ。彼らの様子に気が付いてか、神父は咳払いをしてから続けた。
「…とはいえ、教会の許可なく聖水を売買することは違法です。それも、法外な値段設定で売られているとか」
「は、はい」
年嵩の警官が居住まいを正して敬礼して見せる。白髪混じりのその男は、年長であることもあってか、警官らを取りまとめる立場であるらしかった。
「教会の相場の二倍ほどの値段で取引されています。しかし、民衆には許可のある聖水とそうでない聖水の区別が付かぬようで…」
「なまじ本物が混ざっているのがタチが悪い」
問題なのは、この聖水の出所だ。いくら売人を捕まえたところで、元締めを検挙しないことには同じことの繰り返しだ。しばらくはなりを潜め、ほとぼりが冷めた頃に同じことが繰り返されるだろう。そもそも、聖水の密売は少ない元手で簡単に儲けの出せる気軽な商売だ。信仰心という枷さえなければ、という但し書きが付くものの、そのような犯罪に手を染める者共の大半は信仰の心など持ち合わせていない。
教会で売られた本物を買い取り、容器を移し替えて売っているとすれば、本物でない大半の水の売り上げで元は回収できてしまう。時々そういった輩もいるが、今回の件に関してはそうではないとテオは睨んでいた。
「思うに、聖水を作れる人物が、売人の中にいると思うんですよねぇ」
腕を組み、考え込むように呟くテオの言葉に警官たちは目を丸くする。神父は同意するように頷いて続けた。
「そうですね、ここにある聖水の練度はほぼ同じ。教会から買い付けた聖水であるならば、練度にばらつきが出てもいいと思います」
「…と、言いますと?」
テオらの会話に全く付いてこれない年嵩の警官が問い返す。テオが答えた。
「密売人の売り捌く聖水は、練度にばらつきがほぼない。つまり、同じ人物、それも1人が作り続けていると考えられます」
もし、教会から買った聖水であるならば、教会に所属する多くの聖職者の手で作られた雑多な聖水が入り混じって売り出されているはずである。そうなると、その練度にはばらつきが出て、別な人間の手によって作り出されたものであるということがすぐに分かったはずだった。ところが、数少ないサンプルとはいえ、ここに集められた聖水の練度はほぼ同じ。テオと神父が2人の目で確かめたのだから、それは疑いようがないだろう。
ほう、と感心したように警官たちが唸る。これまで雲を掴むような捜査の進展の無さに行き詰まりを感じていたのだから、テオの言葉は暗闇に差し込む陽光にすら思えただろう。若い神父は続けた。
「聖水を作れる人物は限られます。教会の聖職者、あるいは、他宗派の司祭…。近年、行方知れずになっている神父はいないでしょうか?それか、近隣で活発に活動している他宗派の資金源を洗ってみるのも良いかもしれません」
「さ、さすが神父様!」
おとなしく話を聞いていた警官たちは、感激した様子でテオの推理に頷いた。テオは曖昧に微笑み、それをいなす。早速捜査開始だ、といきり立つ警官たちを後目に、テオは隣に立つ神父に耳打ちした。
「…ここの警察に捜査を任せるのが、少し不安になってきました」
「奇遇ですね、私もです」
テオも神父も、あんまり信仰心の厚い聖職者ではありません。




