街道での戦い・後
飛び掛かってくる黒騎士の剣の軌道を読み切って、テオは屈んでそれを躱す。乱暴に叩き付けられた銀の剣が馬車の側壁を叩き割ったが、その隙に空いた足下に蹴りを入れる。あっさり足下を掬われた黒騎士の巨体がひっくり返る。重厚な鎧は生半可な攻撃を通さない反面、一度倒れると簡単には起き上がれない。案の定、ひっくり返った黒騎士は仰向けのままでしばし手足をばたつかせていた。
「テオ!」
鋭い声に目線を上げると、馬車の屋根から別な黒騎士が放り出されてくる姿が見える。それに巻き込まれないように距離を取ると、テオが転ばせた黒騎士の上に折り重なるようにして、もう1人の黒騎士が落下した。衝撃に短いうめき声を上げて、黒騎士2人は沈黙する。それを馬車の上から見下ろして、スティカが息を吐く。
「平気?」
「もちろん」
黒騎士たちは、数に任せてテオらに襲い掛かったが、馬車の上に陣取るスティカには屋根によじ登る間に攻撃を受けて突き落とされるし、テオにしても馬車を背にした死角を減らす立ち回りで、既に黒騎士3人が気絶させられ、1人は利き手を負傷させられている。甘く見ていた、というのが黒騎士の長である騎馬の男の本音だった。中央教会の後ろ暗い秘密のために隠されてきた少女騎士。悪魔の子とはいえ、子供と変わらぬ背格好、数で畳めば簡単に囲い込めると思いきや、同行する神父がなかなかどうして腕が立つ。考えて然るべきだっただろう。教会にとっても重要な人材、易々死なせて良い訳がなく、身辺警護に見合う人間を護衛に付けているはずだと。2人という数に惑わされた。
とはいえ、そうと分かれば攻め方を変えるのみ。黒騎士たちは遠巻きに馬車を囲み、投擲用の短剣や道端の礫を投げ始めた。間抜けなようにも見えるが、人の拳大の石が四方から投げ込まれるのは十分な脅威で、テオとスティカはそれを避けるのに多大な注意を払う必要性に迫られる。始めの内は難なく避けていたそれも、数が増えるうちに足場を悪くさせた。テオの足下には気が付くと石が転がり、足の踏み場もないほどになっていった。いっそ、斬り込んでこの包囲を崩すべきかとの策を巡らせているうちに、テオは転がった石に足を取られ、間の悪く飛んできた石を側頭に受けて昏倒してしまう。受け身も取らずに地面に転がった相棒を見て、スティカは思わず馬車から飛び降りた。
「テオ!大丈夫?」
助け起こした青年の色素の薄い髪の下からたらたらと真っ赤な血が流れてくる。息はあったが、返事はない。だらりと垂れた腕から、握られていた銀の剣が転がり落ちる。血など騎士になってから何度も見て慣れているはずなのに、スティカは心臓が締め付けられるような気がした。遠くで黒騎士たちに号令を掛ける男の声が聞こえる。好機と見て襲い掛かってくる気だ。守らなくては、と剣を握り直してみるが、気を失っていたはずの黒騎士までもが近くで起き上がって剣を構えていた。踏み鳴らす足音が地鳴りのように聞こえる。斬り掛かってくる黒騎士が4人。スティカを狙っているようだが、このまま突っ込んできてテオにとどめを刺さないとも限らない。数瞬、スティカはどうすべきか迷った。
地鳴りが、ますます大きくなった。さすがにその頃には黒騎士の足音がその正体ではないと判別できていた。黒騎士たちもこの好機だというのに、足を止めて音のする方向を見た。
馬車が猛然と走ってくる。手綱を握る御者は怯えて半べそをかいているが、その隣に座る眼鏡の神父が止まることを許さない。全く減速する気配のない馬車に、黒騎士たちは思わず後退って道を空ける。投げ込まれた石を踏んで大きく跳ねながら、新手の馬車がスティカらの蹲る壊れた馬車の隣に横付けされた。呆然とするスティカの前に、御者台から飛び降りた眼鏡の神父が転がる小石に足を取られながらも駆け寄る。テオの先輩神父だった。
「大丈夫ですか!?ああ、テオ!」
神父は駆け寄るなり、スティカの腕を掴んで怪我がないかを確かめ、そのまま視線を落として血を流すテオを見つけると眉尻を下げた。彼は慌てて懐から小瓶を取り出す。聖水には、僅かながら傷を癒す効果があることをスティカは今更のように思い出した。
そのままとぽとぽと傷口を洗うように聖水を掛けていく神父の姿を、スティカは呆気に取られて見つめていた。どうしてここに。こんなことをしていていいのか。言いたいことは山のようにあったが、突然の出来事に理解が追い付かず言葉にならない。遅れて、新手の馬車に乗っていた御者が「ひぃ」と悲鳴を上げながら馬車の裏手に張り付くように身を隠した声を聞いて、ようやくスティカは我に帰った。助けが来たことは喜ばしい。だが、依然として敵に囲まれた状態!安堵してはいられない。
「神父様、テオをお願い」
言って、スティカは立ち上がり、神父の返事も聞かず再度黒騎士と対峙すべく馬車を回り込んだ。そうして、見る。
「おう、嬢ちゃん」
神父の連れている護衛がいた。当然だ、神父の身辺警護をする男なのだから、彼の行く先に付いて来ていることはなんらおかしくはない。その足下には、凹んだ兜と一緒に地面に頭をめり込ませている黒騎士たちが、折り重なって倒れている。拳の形に凹みがあるので、やはり彼の鉄拳制裁を受けたといったところか。もはや立っている黒騎士は、利き腕を怪我した騎士と、騎乗した男のみ。テオたちを売り飛ばした御者が、未だに報酬を受け取れずに成り行きを見て顔を青くしている。
護衛はスティカの視線を追って、倒れた黒騎士たちを見下ろすと肩を竦めて見せた。
「コイツら、俺が馬車から降りた途端に襲い掛かってきて。知り合いか?」
「し、知らない人」
「なら良かった」
にこりと笑って護衛が視線を騎馬の男に戻す。気圧されたように騎馬の男が馬上で仰け反り、馬もその怯えを汲み取ったように後退る。その隣でスティカは剣を構え直す。今度はスティカとて容赦をするつもりはない。テオは人殺しを厭うが、スティカはそれを許された聖騎士だ。これまでも必要があれば人を斬ってきた。それに、スティカのことを知っている風な口ぶりである。生かして返せば、教会としても秘密が漏れるのは痛手だろう。生け捕りか、口封じか、スティカの立場を鑑みればその二択しかあり得ない。
状況の変化を悟ったらしい騎馬の男は、それでも退く気はないようだった。新手に驚きはしたものの、増援の数は神父とその護衛、そうして戦う力などなさそうな御者が1人。人の数は増えたが、まともに戦える増援は護衛1人となれば、さほど戦況に影響は与えないとの判断を下したのだろう。その場に居直り、利き手を庇う黒騎士に号令を出す。そうして自身も馬に跨ったまま突進してきた。
騎馬の相手は骨が折れる。そもそも馬の巨体に踏み潰されないようにしなければならず、高低差のある馬上から振り下ろされる大剣はそれだけで脅威だった。そのくせ、馬上の人間にスティカの剣は生半可な攻撃では届かない。馬の足を狙え、と教わってきたが、足下ばかり見ていては、頭上の大剣が頭をかち割っている。自然と、スティカの視線は丸腰の護衛に向いてしまう。丸腰の彼はどうするつもりなのか。彼は騎馬が向かって来ても顔色を変えるどころか、平時と全く変わらない調子で身構えもしない。
そうしているうちに、騎馬が迫る。訓練された軍用馬は足下の人を避けない。騎馬の狙いは護衛の方だった。蹴られる、と声を上げそうになったスティカはその言葉を呑み込む。護衛の足下で何かが蠢いた。影が揺れたようにも見えるが、月だけが光源の街道でどうして影が揺れることがあるだろう。蠢いた何かが馬の足を払う。途端に馬は嘶いて、後脚で立ち上がるとそのまま背中に乗せた騎士を振り落として跳ねるように逃げ出していった。
転がり落ちた騎士は、隣を並走していたもう1人の騎士の上に落下して、2人は潰れたように地面に突っ伏す。だが、そんなことより、と地面を這う影に目が釘付けになっていたスティカの視界に、護衛の顔が割り込んだ。
「見えてるのか?」
金色の瞳が覗き込んで問うてくる。見えることが都合の悪いことであるような口ぶりに、思わずスティカは首を振ってしまう。青ざめた顔で必要以上に首を左右に振るスティカの様子を見れば、それが嘘であることなど一目瞭然だっただろうが、護衛は薄っすら笑っただけで何も言わなかった。
もう一度スティカが見やると、護衛の足元には男一人分の影が落ちているだけだった。だが、護衛が追及して来なかったことを、改めてスティカが蒸し返す必要はない。スティカが知らないと言っている内は、護衛も気にしないと言っているのだろう。そんな護衛が黒騎士たちの後ろで震えている御者を見つけて首を傾げる。どうしたものかと意見を求めるようにスティカを見てくるので、スティカは頷いて進み出た。
「テオが怪我したのはコイツのせい。…逃がさない」
護衛の本性は見せる気がある時は人間にも見える、といった塩梅です。
でも見せる気のない時でもスティカに見えてるのは、彼女が人間とは違った感覚を持っているからなんですね。本編に入りきらんかった。




