表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天国か地獄か  作者: 垓
43/55

街道での戦い・前

 長い旅程は馬のための小休憩を挟む以外に寄り道は当然許されず、始めこそ口数の多かった神父も今ではすっかり黙りこくってしまっていた。とはいえ、話していなければ場が持たない相手でもなし、護衛は長い脚を組んで目を瞑っているし、神父もぼんやりと窓の外を眺めたり、馬車の床を眺めたりを繰り返している。ただ刻々と時間だけが過ぎ去る中、唐突に御者台から若い御者の声が響いた。

「し、神父様!ご覧ください」

 突然の声に飛び上がりつつ、心のどこかで平穏無事にはこの旅程が終わるまいと確信していた神父は、やはりと思いつつ御者近くの小窓を開ける。馬車は停止しており、御者は怯えた様子で神父を振り返った。

「前方で馬車が襲われています。野盗でしょうか」

「暗くてよく見えませんが…恐らく」

 既に夜も更けて随分と経つ。街道とはいえ、さすがに人通りの少ない深夜では野盗や山賊などのならず者たちと出くわす危険が増す。それを知らぬ旅人であるのか、あるいは──。

「迂回しましょうか」

 御者が至極真っ当な提案を寄越した。危険な場所にわざわざ首を突っ込む謂れはない。神父は様子を見に来る気配もない護衛を見やる。護衛は片目だけを開けて面倒そうに肩を竦めた。

「その必要はないと思うぜ。神父様の目的地を迂回する訳にはいかないだろ」

「ということは…」

 はっとしたように神父は再び御者台に通じる小窓に飛び付いた。

「襲われている馬車の元に急いでください!そこにテオたちがいるはずです!」

「し、しかし野党が…」

「構いません!早く!」

 

 時を遡ること半刻ほど。テオとスティカは深夜に叩き起こされて馬車に揺られていた。特別先を急ぐ旅でもなし、と早めに宿に入り、休息を取っていたが、同行していた御者が血相を変えて2人を宿から引きずり出したのだ。なにやら、追っ手が迫っているらしい。どこに敵が紛れているやもしれない市中にいては命がいくつあっても足りない。安全な場所に避難するから馬車に乗って出立の準備を、と。追い回される心当たりはいくらでもあるテオとスティカである。禁忌の子とされるスティカはもちろん、テオとて悪魔祓いという職業が知れれば物盗りの格好のカモにされかねない。追っ手の正体をテオは問い返したが、御者が言うには教会からの早馬がそう知らせたのだと彼も詳しいことは分かっていない様子だった。では、その使者はどこに行ったのだと問えば、既に次の場所に向かって出てしまった後だと言う。今にして思えば、その時点で色々とおかしいことはあったのだ、とテオは馬車の中で回想する。御者に急かされて荷物を纏めて出てきたはいいが、馬車はみるみる町から遠ざかり、人通りの少ない街道まで出てきてしまっていた。果たして安全な場所とはどこだろうかと考えを巡らせて、そもそも行き先すらまともに聞いていなかったことに思い至る。

「ぼくとしたことが、嵌められた」

「何に?」

 スティカはことの深刻さが分かっていない様子で首を傾げる。聖騎士として屈強な男たちにも負けず劣らずの剣技を披露するとはいえ、中身はまだ年端も行かぬ少女である。本人は様々なことに警戒しているつもりのようだが、テオにしてみれば彼女は随分と人懐っこく騙されやすい。人懐っこいといえば、先輩神父の護衛にも随分と懐いていた様子。抑圧の多い教会での生活が長いスティカの目には、少々粗野な荒くれ者が魅力的に映るのかもしれないが、そんなことはお兄さん断じて認めませんよ、と血の繋がりもない少女の親をテオは気取りたくなってしまう。

「追っ手がいるのは、多分本当。でも、この馬車は安全な場所には向かっていないと思う」

「え…じゃあどこに」

「いつでも戦えるようにしておいて」

 馬車が速度を緩め始める。気が付くと、がやがやと周囲に話し声が聞こえる。息を潜めて会話を聞き取ろうとしてみるが、馬の嗎や車輪の音が掻き消して、会話の内容までは判然としなかった。完全に馬車が止まり、御者の影が馬車から離れていく。ようやく外の声が聞こえるようになって、御者のがなるような声が響いた。

「い、言われた通りにしたぞ。それで、約束の金は…」

 なるほど、金で買われてテオたちを売ったのか。だが、それ以上の会話を聞き取ることはできない。砂利を踏む音が近付いてくる。誰かが馬車に近付いて来ていた。月明かりに照らし出された黒い影が馬車の窓に映る。抜刀できるように身構えているスティカに目配せして、テオは頷いた。こういった状況は初めてではない。

 乱暴に馬車の扉が開かれる。入り口を塞ぐように立っているのは、黒い甲冑を着込んだ鎧の騎士だ。騎士は馬車の内部を見渡して、客車の隅に張り付いているスティカを見付けると、彼女を馬車の外に引き摺り出そうと手を伸ばした。

「っとーう!」

 気合いの掛け声と共に、客車の入り口近くに身を潜めていたテオの飛び蹴りが騎士の胸に吸い込まれていく。鋼の鎧を着込んだ騎士には致命的なダメージにはならずとも、その衝撃に大きく仰け反り、仰向けに吹き飛ばされる。空いた扉にスティカが飛び付き、逆上がりの要領で馬車の屋根に跳ね上がる。そうして彼女は馬車を取り囲んだ追っ手の数を確認する。御者と向き合う騎乗の男、剣を構えた鎧の騎士が6人、テオの蹴り倒した騎士が1人。

「敵8。内1人騎馬」

「はいはい」

 己も馬車から飛び出して、倒れた騎士に馬乗りになりつつテオが返事の声を上げる。黒騎士の腰から短剣を奪ってその切っ先を兜と鎧の隙間の首筋に差し込む。皮膚に触れる寸前で止めれば、黒騎士はひっと息を呑んだ。そこでようやくテオは自らを取り囲む勢力に声を掛けた。

「やあ、どうも。こんばんは。ぼくたちにどんなご用件でしょうか」

「…これはこれは、ご機嫌麗しゅう。主神教の神父様」

 今更のように黒騎士たちの長と思われる騎馬の男が、騎乗したまま言った。ご機嫌麗しい訳ないだろ、と心の中で舌打ちしつつ、テオは表面上は笑顔を崩さない。

「いかにもぼくは主神教の司祭、神父です。見たところ、あなた方は真主神信仰の僧兵といったところでしょうか」

「我々のこともご存知とは、さすが中央教会の神父様は博識でいらっしゃる」

 騎馬の騎士が笑うと、周囲の騎士らもさざなみのように笑う。それが敬意や関心を表すものではないことなど瞭然だった。テオが中央教会から派遣された神父であることを知っていて、敢えて接触してきたということは、やはりテオが狙いだろうか、とそこまで考えたところで彼の予想は騎馬の騎士本人に否定される。

「しかし、今日はあなたとお話しするために参ったのではありません。私共の目的は、そこな少女…悪魔の子スコラスティカの抹殺のみ!」

 その声を号令にしたかのように、騎士たちが一斉に剣を構える。スティカが馬車の上で息を呑む声が聞こえたが、テオは顔色を変えずに馬乗りにした黒騎士に突き付ける短剣に力を込める。敵影8。内1人はテオの下で無力化されている。これを人質にして有利に話を進めれば、決して脅威的な数ではない。

「まあまあ落ち着いて、剣を収めてください。ぼくも手荒な真似はしたくありません」

 人質がいるのだ、と主張するように声を張り上げるが、剣を構えたままじりじりと距離を詰めてくる黒騎士たちの歩みが緩む気配はない。騎士の1人が答える。

「主神教は教典で殺人を禁じているとか。騎士であるならいざ知らず、神父であるあなたが我々を殺すことはない」

「…思いの外、冷静な暴漢ですね」

「暴漢とは心外な。我々は悪魔と通じる邪教の徒を排すために遣わされた正義の使徒である!それに、万一任務の最中に命を落とすことがあっても、それは主神への信仰に捧げた尊い命。祝福されるべき死である」

 テオは薄ら笑う。当てが外れた。言われた通り、テオに人を殺す度胸はない。それはテオが敬虔な信者であるからではなく、単に良識ある人間であるからだ。だが、相手は違っていた。殺すことを厭わず、死ぬことを厭わず。先ほどは怯えて見えた人質も、今では覚悟を決めた様子で主神を讃える祝詞を唱えている。自害されては後味が悪い。テオは短剣を人質の利き手の掌に穿ち、悶える人質の長剣を奪ってから後退った。馬車を背にして長剣を構えるテオに、騎馬の騎士が続ける。

「本来であれば、拝金主義の腐った邪教に属するあなたも悪魔と見做し、排除すべきなのでしょう。しかし、人は誰でも過ちを犯すもの。そして、それを償う機会を与えられて然るべきだと思います」

「ぼくが過ちを犯していると?」

「ええ!…そこな悪魔の落とし子を差し出しなさい。そうすれば、あなたは見逃して差し上げましょう」

 さらに包囲が狭まる。スティカが不安げにテオの名を呼ぶ。そんな声を出すことはないのに、とテオは思う。これまでだって、これからだって、テオがスティカを見捨てることなどありはしないというのに。テオは長剣を構え直して吐き捨てた。

「答えなんて決まっています。『糞食らえ』、です」

「では救いのない悪魔の子らよ、死になさい」

 僅かな距離すら一足飛びに詰め寄って、黒騎士らが馬車に殺到した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ