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天国か地獄か  作者: 垓
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落馬する男

ブクマ、評価、ご感想、大変励みになっております!ありがとうございます!

 司教が困り果てた顔で見ているので、笑ってはならないと神父は懸命に歯を食い縛っていたが、それでも不自然に口角が上がって頬が震えてしまうのが止められない。目の前には、背中から仰向けに地面に転がる護衛の姿。今しがた暴れる馬から振り落とされた格好の男である。早馬をあてがい、早急に目的地に向かうべしとの神父らに司教が用意したものであるが、結果はご覧の通り。助け起こす気などさらさらない神父は、震える表情筋を誤魔化すように口を開いた。

「驚きました…あなたにも苦手なものがあったんですね」

「俺もびっくりしている」

 珍しく真顔で答える護衛は、未だに地面に背を付けたまま腕を組む。

「大抵のことはできると思っていたが、馬が乗せてくれないとは予想外だ」

「よく人に馴れた馬を選ばせたつもりだったのですが…」

 司教が項垂れる。人に馴れているからこそ、人ではないこの護衛に馬の方が拒絶反応を見せるのだ、とはさすがの司教も思いもよらないだろう。とはいえ、隣で他人事のように笑っている神父も似たり寄ったりな体たらく。馬の体高の高さと速足にも腰が引ける神父では、到底馬を駆ることなどできなかった。司教は、護衛の補助があれば神父の怯えも解消されるのでは、と思っていたようだが、その護衛自身が馬に跨ることすらできないとあれば、他の手立てを考える他ない。

「馬車は平気なんだがなぁ。やはり乗るのは勝手が違うか」

「当然でしょう。…仕方ありません、馬車で可能な限り早く向かってください」

 護衛の的外れにも思えるぼやきに答えつつ、司教は神父に向き直って言った。無論、それ以外に選択肢はなく、神父は頷く。

 実際のところ、テオがそう熱心に旅路を急いでいるとは思えず、馬車で追いかけたとして出立に半日の差があるとて追い付くことはさほど困難ではないと神父は考える。とはいえ、目的地に着く以前にスティカの動向をなんらかの手段で知っているかもしれない真主神信仰である。そもそも彼女が悪魔の子であることは、司教であれば知っていることだが、裏を返せば主神教の司教でなければ知るはずもないことでもあった。それが漏れたということは、教会内に内通者の存在を疑うのも当然という訳で、急ぐに越したことはないという結論に至る。

 目的地に着くまでの馬車の中で、神父は饒舌だった。

「もしかして、あなたは生き物が苦手なのでしょうか」

 神父の目には、完全無欠な男にでも見えていたのだろう、護衛の欠点とでも言うべき粗を見つけて愉快で堪らない様子である。護衛は護衛で、考え込むように首を傾げた。

「俺は別に苦手じゃないが、確かに向こうからは近寄って来ないな。気配は隠しているつもりなんだが」

「馬車は平気なのに?」

「この容れ物に収まる努力をしているからな」

 容れ物、と呼んで護衛は己の体を指差す。精悍な顔立ちの青年の姿をしてはいるが、どこまで行ってもそれは化け物にとって被り物に過ぎず、彼の本性は到底この細身の人間の体には収まり切らない大きさをしていた。

「だが、乗馬ともなると密着するし、さすがに隠し切れない」

 なるほど、近距離に迫られて食われかけた神父だからこそ分かる感覚だった。先程暴れた馬もさぞ怯えていたことだろう。だが、何も知らぬ人間から見れば単に馬に嫌われやすい男。今更のように興味が湧いて、神父は身を乗り出して問う。

「他にも、まだ苦手なことを隠しているのでは?」

「隠しちゃいないが…」

 心外だとでも言うように護衛は肩を竦める。聞かれなかったから言わなかっただけで、護衛は秘密主義ではない。寧ろ聞いて来なかったのは神父の方で、妙に関わり合いを持ちたくはないと立ち入ったことは聞かないようにしてきたのだが、それもすっかり忘れて彼は上機嫌で頷いた。仕方なく、護衛は白状する。

「…あまり細かいことは得意じゃないな」

「と、言うと?」

「道具を使うのが苦手だ。元々容れ物を動かすのに道具を使っている感覚なんだ。さらに他のものを使えと言われると結構きついな」

 言いながら、護衛は腰に提げた剣を見た。彼がこれを持ち歩くようになって随分経つが、それが鞘から抜かれたことさえなかった。

「武器もそうだ。感触が全く掴めんから、肉を切るつもりが骨ごと断っていた、なんてことになりかねん」

「へぇ…不器用なんですね」

「言いたい放題かよ」

 親切で答えているのに、神父はありがたがる素振りも全く見せない。無論、これまでもそのような態度を見せたことは数えるほどしかないが、あまりに気安い態度は護衛としても癪に障る。程良く怯え、程良く警戒し、程良く緊張感のある神父の態度が化け物にとって好ましかった。

「馬が俺に怯えたのは何故だと思う?」

「え?」

 神父は、今更何を問うのか、と怪訝な顔をする。次いで、にこにこと微笑む護衛の表情を見て何かを察したようにそろそろと乗り出していた身を戻す。あまり護衛の虫の居所が良くないことを察したのだろう。護衛は特別、神父に腹を立てていた訳ではないが、ただほんの少し、調子に乗った彼を苛めたくなってしまうのは、彼の凶暴な化け物としての性故だろう。

 立ち上がる。進み出る。馬車の中には2人しかおらず、閉め切られたカーテンの隙間から内部を窺うことはできない。今や神父は客車の座席に張り付くように後退っていた。以前のように、怯えて泣き出すことは無かったが、辛うじて、といった様子である。逃げ出す余裕があるようにも見えなかったが、護衛は神父の退路を塞ぐように両手を彼の肩近くの背もたれに突いた。腕の間で神父が縮こまる。

「な…なんですか、急に」

 それでも気丈に言い返して来るのは、先日怯える姿を晒して護衛と仲違いをしたことが記憶に新しいからだろう。護衛は、彼が怯えること自体は構わなかった。怯えられて、会話にならないことが面倒だった。その辺りの匙加減が難しい。前回の味見は護衛としても反省するところがある。あれはやり過ぎだった訳だ。何事も、段階を追い、順序を踏まえて行うべきであると学びを得た。化け物自身が忌み嫌う、身勝手な主神と同じ轍を踏む気はない。

 腕の中に閉じ込められた形の神父に、化け物は笑いかける。

「近過ぎたからさ」

 金の瞳で見つめると、神父は慄いたように目線を逸らす。だが、逸らした先、神父が見つめる客車の床に落ちた影にも化け物の目は覗く。化け物の目は六つある。

「お前も同じだろう?」

「…違います!」

 唐突に神父が立ち上がる。あまりの勢いにどうする気なのかと見守るつもりだった護衛の顎目掛けて神父の旋毛が直撃し、さすがの護衛も馬車の中で仰け反った。思わず護衛は顎を押さえて後退る。容れ物とはいえ、人体を模したそれは弱点も元となる人間と同じだった。尖った歯で舌を噛んだようで、口の中で流れているはずもない血の味がする。バチが当たったのだ、と神父が気付けば言ったかもしれないが、主神の定めた理の外で生きる化け物にバチなど当たるはずもない、と胸中で吐き捨てる。一方、自分でぶつかってきておきながら、頭突きの反動で悶絶する神父が頭を抱えて蹲っているが、彼は涙目になりながら護衛を睨んだ。

「腕っ節で敵わない相手に追い詰められたら、私は誰が相手でも怯えますね!」

 そうして、言い切る。どこに威張れる要素があるのか不明だが、神父はそれで護衛を論破したと思っているらしい。護衛は束の間沈黙し、それから堪え切れずに声を漏らして笑い出す。なんで笑うんですか、と神父が一層むきになるので、それがまたおかしくて護衛の笑い声は馬を駆る御者台にまで響いた。

調子に乗る神父と護衛でした

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