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天国か地獄か  作者: 垓
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スコラスティカ

ちょっと堅苦しい話が続いてしまいました。

 迷った挙句、神父は己の上司である第三司教への取次を大聖堂の正門に立つ衛士に頼んだ。こんな無礼極まりない狂信者を主神教総本山の敷地に入れるのも憚られたので、馬車で内部に乗り入れることは避ける。司教自らに足を運ばせるのもどうかとは思ったが、それ以上の妙案は浮かばなかった。過激派の司教は神父の取次をただ微笑を浮かべながら見つめているので、それがまた不気味だった。

 程なくして、いつもの護衛の聖騎士2人を伴った第三司教が足早にやってきて、馬車の窓を叩いた。顔を覗かせた神父の上司は、ただ一言「宿直室を借りました」と告げた。大聖堂の正門には常時警備の衛士がいる。彼らは交代で昼夜を問わずに見張りを務めるため、正門には簡単な宿直室が用意されていたのだった。そこで話を聞こうということだろう。罪人として留置所に連れて行くのも角が立つし、賓客としてもてなすのも許されないとして、苦肉の策でそうなったのだとよく分かる。

 ともあれ、そうして狭く散らかった門番の宿直室に、神父と護衛、司教と聖騎士2名、そうして過激派の司教と拘束されたままの黒騎士2名とが詰め込まれるに至った訳だ。どう申し開きをすべきかと狼狽える神父を、司教は目だけで制す。黙っていれば良いと穏やかな表情ながら鋭い眼光が告げていた。司教はそのままつかつかと進み出て唯一置かれた机の前のボロい椅子を引いて腰掛けた。彼はそのまま、向かい合っていた過激派の司教にも席を進める。過激派の司教は笑顔のまま腰の剣に手をかけてそれを固辞した。座っていては、不意打ちに対応できないとでも言いたげだった。

「…では、まずは自己紹介と行きましょう。私は主神教第三位司教を務めております。この司祭の上司でもあります。あなたは」

「私は真主神信仰の司教です。この度はお招きいただき感謝しております」

「招いた覚えはありませんが…」

 穏やかな老爺同士の静かなやり取りが続く。無論、内容は決して穏やかではない。

「あなた方の主な活動拠点は西部地域に集中しているはずでした。何故今王都に?」

「その西部地域で、中央教会による大規模な異端審問が行われました」

 国内の教会とそれに属する聖職者、信者たちを統括するのがこの教会本部であるが、単に地理的な位置関係から中央教会とも呼ばれている。先日、神父が悪魔信仰との戦いに精を出していた頃、教会本部では西方の異端審問に忙しかった訳だが、過激派の司教は大袈裟に溜息を吐いて見せた。

「中央の審問官は、異なる教義を信じる我々を異端と断じ、弾圧しました。申し開きも許されずに、拷問による自白を強要された者もいるとか」

「では、その報復に?」

「報復などと。憎しみは新たな憎しみしか生みません」

 いかにも人格者のようなことを言ってのけて、過激派の司教は微笑む。

「ただ、我々は不思議なのです。仮にも同じ主神を崇める中央教会が、どうしてそこまで非道なことができてしまうのか」

 異端審問官が苛烈な尋問を行いがちなのは有名である。異端を告発することが彼らの仕事であり、疑わしきは罰せよという風潮が根強いのも否めない。それは司教としても頭の痛い問題であるが、異端審問は司教たちとは異なる独自の機関として活動しているため、それを任じた大司教から宣下でもない限りは彼らの横暴を止める権限を持つ者はなかった。

 司教が答えずに黙っていると、過激派の司教は笑みを深める。

「そこで、気になる噂を耳にしました。中央教会では、富と権力、そうして暴力を欲しいままにする勢力が実権を握っていると」

「馬鹿な」

 堪らず女騎士が零す。司教が片眉を上げると女騎士は恥じ入るように頭を下げたが、過激派の司教は一層増長したように語調を強めた。

「ええ、ええ、信じがたいことですが、噂はそれだけではありません。暴力を推奨する者たちの中には、悪魔に魂を売り渡して人外の力を手に入れる者までいるとか。もはや悪魔信仰のそれであると。のみならず、中央教会では、禁忌とされる悪魔の子さえ、騎士として登用し、尖兵として使役しているとか!」

 盛大に神父がむせ込んだ。よもや、己の護衛のことがどこぞから漏れて広まってしまったのだろうかと思ったのだ。護衛がその背中をあやすように撫で摩る。司教は彼らのやり取りを掻き消すように声を張り上げて言った。

「馬鹿馬鹿しい。そんな眉唾の噂をお信じになるとは、司教職に就く者として些か軽率に過ぎるのでは…」

「スコラスティカ、という少女をご存知でしょうか?」

 司教の言葉を遮って、過激派の司教が続ける。司教の表情は変わらなかったが、明らかに流れる空気が緊張感を孕む。

 スコラスティカ。それは、テオの護衛を務める聖騎士の少女の本名だった。

「最年少で聖騎士に就任し、現在も前線で活躍する優秀な騎士です。しかし、その出自には謎が多い。幼少の頃より教会で育てられた孤児と聞きますが、果たして本当にそうなのでしょうか?」

「無論、彼女は優秀な騎士です」

「優秀でしょうとも、よく手懐けられた悪魔の子であるならば!」

 勝ち誇ったように指を突き付け、過激派の司教は興奮気味に叫んだ。神父の上司は座したままそんな過激派の司教を見つめて沈黙している。特段に焦っている様子はないが、面倒であるという表情は隠そうともしない。己が優位に立ったと判じてか、過激派の司教は饒舌に続ける。

「悪魔の子を使役し、悪魔の力の恩恵を受ける中央教会こそが異端!我々は世に蔓延る裏切り者共を弑し、民衆に真なる信仰とは何かを知らしめるためにこの地に参ったのです!手始めに、悪魔の子を我らの手で殺して見せましょう。そうして、国中に真に主神に忠義を捧げるのは我らであると大々的に公表するのです!」

 小さな宿直室に反響するほどの声量で叫び、過激派の司教は相対する宗派の司教を見下ろす。しばしの沈黙の後、神父の上司はゆっくりと手を上げて、言った。

「……それで、我々に何を望むのでしょう」

 弱みを握っているのだと公言し、それを世に公表する用意があると言ってきたのだから、それは脅しに他ならない。真主神信仰には要求があるはずだった。それも大凡の見当は付いているが、司教は敢えて問うた。

「先の異端審問で捕らえられた我々の同志の解放を要求します」

 要求は叶えられて当然であるとの面持ちで過激派の司教は頷いた。なるほど、と神父の上司は立ち上がり、そうして己の聖騎士2人を見やった。

「では、この異教の信徒を捕らえなさい」

「な」

 静かな交渉決裂は予想だにしていなかったのか、過激派の司教は目を見開いて後退る。剣を抜いて迫る女騎士と屈強な男の騎士とに囲まれて、自身も腰に提げていた銀の剣を抜き放つが、およそ打ち合いにもならずに瞬時に制圧されてしまう。あっという間に地面に引き倒されて、首筋に女騎士の剣が、心臓に男の騎士の剣先を突き付けられてなお、信じられないといった様子で過激派の司教は叫ぶ。

「こ、こんなことをすれば、各地に潜伏している同志が貴様らの悪事を暴露することになるぞ…!」

「既に西部の異端審問で主だった指導者を失い、統率もろくに取れていないだろうあなた方など恐るるに足らないでしょう。そもそも、あなた方狂信者の言葉を、一体どれだけの民衆が信じるとでも?」

 冷ややかに言い切って司教は哀れな異端者に背を向ける。彼は穏やかな表情に戻り、呆然とする神父に言った。

「とはいえ、何も知らずに出かけたスティカたちは心配ですね。お前たちが追いかけて、助けておやりなさい」

「あ、はい…」

 無論、上司である司教の言葉であれば神父にとって否やはない。口汚く呪いの言葉を吐く過激派の司教を小屋に残し、司教が外に出て行くので、神父もまたそれに従う。堪らず神父は司教の隣に追い付いて問うた。

「その、先程の話は…」

「ええ、おおよそ真実ですね。司教であれば誰でも知っていることです」

 なんでもないことのように司教は答える。神父は言葉を失って黙り込んでしまうので、司教が苦笑して立ち止まった。

「…もしや、正義感から教会の在り方を是正すべきと思い立ちましたか?」

「いえ、そういうことはないんですけど」

 同じく神父も立ち止まり、首を傾げた。

「スティカは知っていることなのでしょうか。それから、テオも」

「スティカは、己の立場をよく理解しています。テオも、賢い子です。彼女の監視と護衛を引き受けるのに、彼ほどの適任はいなかったでしょう」

 監視、との言葉を聞いて、神父は一瞬言葉に詰まるが、それをなんとか呑み込んで頷いた。スティカが敬虔な信者であり、良識のある人間であることは神父もよく知るところである。テオにしてもそうだった。教会の腐敗はどうあれ、かといって真主神信仰の教義を肯定する気にはなれないし、彼らの主張も到底擁護はできなかった。

「各地に潜伏しているという過激派の残党ですが、西方に集中していた異端審問官が各地に戻りつつあります。彼らに任せておけばさほどの問題はないでしょう」

「彼らは悪魔憑きの過去を持つ者も標的にしていると言いますが」

「そういった者は、教会で保護するように宣言を出しましょう」

 広がった紛争の火は、もはや神父にはどうしようもないのだと理解した。神父は再度頷いた。

「では、私はテオたちの元に」

「早馬を用意させましょう。目的地に着く前には追い付けるで…どうしました?」

 司教の提案に、神父は目に見えて渋い顔をする。ええと、と口ごもる神父は、申し訳なさそうに目線を落とす。

「その、私、乗馬が苦手でして…」

「………」

 早速、彼らの道筋には暗雲が立ち込めていた。

ボーイズラブ要素入れる隙間がない。

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