真主神信仰
真主神信仰と名乗る一派は、自らこそが正しく主神の教えを理解する者たちであるとの主張を持った集団だ。神父が出会った黒ずくめの騎士は神聖騎士と名乗り、彼らは現在悪魔憑きに苦しむ宿主はおろか、過去に悪魔憑きの被害に遭った宿主さえ標的にして命を奪うことに余念がなかった。こうした他宗派の信者とかち合うことは、それ自体珍しいことではなく、とはいえ最も信者の多い主神教相手に取り返しの付かないような喧嘩を売るような真似をするほど血の気の多い宗派はなかなかない。大抵その場での小競り合いで済むものだが、ここまで敵意を表して襲いかかってくるのは過激派の名にふさわしいと言うべきか。
捕らえた黒騎士を急ぎ教会本部まで連行すべし、との手配を整えている神父だったが、馬車を待っているうちに別の黒騎士たちが寄ってくる。仲間を取り返しに来たか、と身構えるのも束の間、黒騎士に付き添われた法衣の老爺が制するように手を挙げて言った。
「もし、貴殿は主神教の神父かな」
主神教と概ね同じ格好をしているが、法衣を着た聖職者であるのに腰には銀の長剣が提げられている。戦う意思はないのか、控えた黒騎士たちも剣を抜く仕草は見せないが、応援として呼んだ修道士と自警団の兵たちが怯えたように後退った。神父は居住まいを正して頷く。
「はい、その通りです。失礼ですが、あなたは」
「私は真主神信仰の司教です。うちの若い者共が、ご迷惑をお掛けしたようで」
穏やかに微笑んで頭を提げる過激派の司教である。話の通じる相手のようだ、と後退った兵たちが戻ってくるが、神父は舌打ちしたいのをなんとか堪えて返した。
「迷惑どころか、殺されそうになりました」
「それが我々の教義ですので」
司教は肩を竦めて言う。悪びれる様子もない。狂信者という言葉が神父の脳裏にちらつく。過激派の司教は続けた。
「我々は、主神への忠義の証として悪魔を殺します。それを阻む者もまた悪魔と通じる異端者…違いますでしょうか」
さも当然のことであるとでも言いたげに司教は首を傾げる。神父の背後で堪え切れない様子で護衛が俯いて笑っている。彼にとっては随分面白い解釈だったらしい。無論、神父にはちっとも笑えない内容だった。
「あなた方とは到底お話が合わないことは分かりました。で、その司教が何用ですか」
「彼らを回収に来ました」
司教は神父の後ろ、石畳の歩道で仲良く両手足を縛られて気絶している黒騎士を指差す。既に全員、ひしゃげた兜を取り上げられて、中から血気盛んそうな若者たちが姿を現している。神父は首を振った。
「できません。彼らは無辜の民を傷付けようとした犯罪者です」
「そうでしょうか?我々にとっては、悪魔を弑した英雄になっていたかもしれない者たちです」
めちゃくちゃな理論だった。それでこちらが納得するとでも本気で思っているのだろうかと神父が訝しんでいると、司教はうっすらと目を細めて笑う。
「そう、英雄です。英雄を不当に捕らえ、あまつさえ罰しようとでもなさるなら、我々も黙ってはおれない。囚われた英雄を取り戻しに、信者が立ち上がるのを、私は止められません」
連れていくつもりなら、武力に訴える用意があるということか。それはこの場でではなく、教会本部、あるいは教会関係の他の施設であるかもしれない。要するに脅しだった。
神父は溜息を吐く。面倒なことになった。ここで護衛の力に任せて制圧しても、事態は拗れそうだった。無論、信者の数と歴史的な基盤から見て、神父の属する教会が揺らぐことはないだろう。真なる主神信仰を名乗る過激派とはいえ、その数はたかが知れている。反乱を起こされたところで教会本部の勝利は目に見えていた。だが、そこに割かれるかもしれない人員と、与えられるかもしれない被害、失われる信用は、考慮しなければならない。数に任せて少数派を押し潰したとして、他の宗派の不満を買うかもしれないし、ゲリラ的に各地の教会を襲撃でもされては、護衛やら何やらどれだけの人手を割くことになるか見当も付かない。
もはや、神父が一存で返事をできる状況を超えていた。
「……私には、決めかねることです」
素直にそう白状すると、司教は声を上げて笑った。
「ほっほ、賢い神父殿で良かった。我々も無為にそちらとことを構えたい訳ではない。では、こうしませんか。彼らの代わりに、私が連行されましょう」
「司教様!」
過激派の司教の隣に控える黒騎士が狼狽えた様子で声を上げる。彼らにとってもこの状況は予想外なのだろう。そもそも、手練れの黒騎士3人がたまたま悪魔祓いに来ていた神父の護衛1人に返り討ちに遭うこと自体が想定外である可能性は高い。もしかしたら、その場に悪魔祓いに来た神父を人質にでもして、教会本部に何かしらの要求をするつもりだったのかもしれない。
結局のところ、彼らの要求は交渉の場を設けることだった、との理解に至り、神父は口を開いた。
「それは、あなたにしか利がないのでは?」
「ふむ?」
「あなたを人質のように扱えば、あなたがたに攻撃の口実を与えるでしょう。では、あなたを賓客のように扱えば、結局のところあなたの求める交渉の流れを作ってしまう。全てを了承することはできません」
神父は懸命にこの場を切り抜ける方策を探していた。取り返しの付かない決別の仕方をしてはならないが、かといって教会の権威を失墜させてもならない。だが、相手は理屈の通じない狂信者であり、神父に味方してくれる有力者はこの場にいない。
「この爺さん1人に、あのガキ3人分の価値があるのか?」
唐突に護衛が口を挟む。護衛のぞんざいな口調に過激派の黒騎士たちに剣呑な空気が漂うが、神父ははっと気が付いて続けて言った。
「そうですね、あなたお一人と捕らえた3人を等価と見做すことはできません。司教殿、あなたが教会に来てくださるのなら、捕らえた1人はお返ししましょう。ですが、それ以上にはなりません」
「私の命が、未熟な彼らと同等だとでも?」
ところが、司教は初めて気分を害したように顔を歪める。
「死後の救済が約束された魂を持つ司教の私が、徳を積むために悪魔殺しを行なっている最中の彼らと?愚かしい」
「魂は目に見えませんので」
ぴしゃりと言い切って神父は振り返る。頼んでいた馬車が到着し、駐屯していた聖騎士も同行していた。異様な空気に包まれた一行を見て剣に手をかける聖騎士を制す。
「では、そちらに捕らわれたお方を1人、解放して差し上げてください。代わりにこちらの司教殿が同行いただけるようです」
「おのれ」
司教のそばに控えていた黒騎士の1人が抜刀した。同時に到着した聖騎士も剣を抜いたが、過激派の司教がそれを一喝した。
「おやめなさい!…いいでしょう、そちらの言う通りに致します」
隣の黒騎士に何事かを耳打ちし、過激派の司教が進み出る。帯剣したままの司教を野放しにするのは気が引けたが、彼を拘束などしては一度は下がった黒騎士が黙ってはいないだろう。残された黒騎士に捕らえた若者を一名返し、残りの2名と司教を馬車に誘導し、神父もまたそれに同乗する。聖騎士が戸惑うように神父を引き止めたが、護衛がいるから問題ない、と神父は首を振る。護衛は背後で肩を竦めていた。
先に馬車の座席の奥に押し込められた騎士2人は相変わらず意識を失ったままだが、その隣に座っていた司教が余裕めいた笑みを浮かべて乗り込もうとしていた神父に告げた。
「私に何かあれば、行動を起こすように部下には伝えてあります」
「あなたが何もしなければ、こちらも何も致しませんよ」
そんな司教の向かいに座る神父の隣に護衛が腰掛ける。今更のように、あまりに当然の流れのように護衛の力を当てにしていたことに神父は恥じ入ったが、御者が扉を締めて馬車が動き始めれば、そんなことはどうでも良くなってしまう。
走る馬車の車輪の音が、会話の声を掻き消してくれることに気が付いて、堪らず神父は隣の護衛の耳元に顔を寄せて尋ねた。
「…実際、この司教の魂というのは、天の国に迎え入れられることが決まっているのですか?」
「いや」
護衛は見定めるように司教を盗み見て、それから肩を竦めた。
「どう見ても不味そうだし、地獄行きだろ」




