悪魔祓いの同僚
鬱蒼と茂る木々の枝葉が射し込む陽光を遮断して、歩行で移動する神父にはちょうど良い木陰を提供していた。街を抜け、森の中を進んだ先に神父の目指す教会の本山がある。あと少しで波乱の任務も終わりを告げるのだ。無論、その後またすぐ新しい依頼が舞い込むことは想像に難くない訳だが。
ふと前方からがらがらと車輪の音がして、神父が顔を上げる。森の道の真ん中を、高級そうな馬車がこちらに向かって走ってきていた。何とは無しに道を空け、馬車が通り過ぎるのを木の陰で待っていた神父と護衛だったが、馬車はこの人影に気が付くと速度を落とし、わざわざ二人の目の前で停車した。何故、と訝しむ間も無く馬車の内部に引かれたカーテンが開かれる。そこに座っている男の顔を見るや否や、げ、と声に出して神父が顔を顰めた。
「げ、とはご挨拶だな。同じ悪魔祓いの私が、わざわざ顔を見せてやっているというのに」
馬車の中からでもよく通る声で男が笑う。御者が進み出て座席の窓を開けた。会話をしやすいようにとの配慮だろうが、神父にとっては全く不必要な配慮だった。
馬車に乗る男の身に纏うのは、神父と同じ黒の装束。だが、頭の天辺から爪先まで磨き上げられたように整えられた装束は、どこかくたびれた様子の神父とは印象を異にする。首から下げられた銀の輪ですら、輝きが眩しい。男はよく手入れのされた金髪を長い指で搔き上げる。
「教会きっての稼ぎ頭である君が、歩いて移動しているんだ。何かあったのかと思ったのだよ。お財布を落としてしまったのかな?」
「…教会まで遠くないので、馬車に乗るまでもないかと」
舌打ちが聞こえそうな表情の神父に、金髪の悪魔祓いはわざとらしく声を上げて笑ってみせる。聞かずとも、神父が交通費をケチって馬車に乗っていないことなど知っている様子だった。
「あっはっは。そうかそうか、君の守銭奴ぶりは、有名だものね。忘れていたよ」
「白々しい」
神父が吐き捨てると、金髪の悪魔祓いは一層笑みを深くした。
「何、私も意地悪で言っている訳じゃない。君の行いは、君の上司の評価にも直結する。部下である君が、あまり教会の品位を下げるような振る舞いをするのは…」
一旦言葉を切り、金髪の男は神父の横に立つ護衛の姿を品定めするようにじろじろと見つめる。護衛は首を傾げてそれを見返す。
「…そもそも、教会の紹介でもない、どこの馬の骨とも知れない男を護衛に付けることも、褒められたことじゃない。正規の訓練を受けた護衛でなければ、そこらの破落戸と変わらないだろう」
何かを言いかけて、神父は口を噤む。馬車の奥から、忍びやかな笑い声が響く。金髪の悪魔祓いの連れた屈強な護衛の男二人の声だ。教会の紋を刺繍された高級そうな布地で仕立てられた制服を着こなし、祝福を受けた銀の剣を腰に差すことを許された騎士である。自分が詰られたのに、神父の護衛はさして気にした様子もなく成り行きを見守っている。あるいは、詰られたことにすら気付けないほどに愚鈍な男なのかもしれない。そう判じて、金髪の男は鼻で笑った。
「ああ、かつては教会の中枢を担っていたダミアン司教も、跡継ぎがこのような部下では頭が痛かろう…」
「ちょっと」
それまで言葉少なに言われるがままになっていた神父が語気を強める。ようやく挑発に乗ってきたか、と金髪の悪魔祓いは乾いた唇を舌で舐める。ところが、続く神父の言葉は彼の期待から大いに外れていた。
「名を呼ぶのは悪魔祓いとしての自覚に欠ける行為です。控えてください」
「…そこかい?」
がっくりと肩を落として金髪の悪魔祓いは項垂れる。神父は大真面目に頷いた。
「もちろん、そこです。名を知られることは隷属の証。己より高位の魂を持つ悪魔に出会ったとき、名を呼ばれて命じられれば逆らえない」
「今時、そんな古臭い迷信を信じているのは君とあの爺さんくらいさ。第一、こんなところに悪魔もいないだろう」
「…迷信ではありません。悪魔も、どこで聞き耳を立てているかわかりません」
金髪の悪魔祓いはすっかり脱力した様子で溜息を吐いた。かと思えば、徐に馬車の扉を開け、地面に降り立ち、神父を見下ろす形で朗々と告げる。
「我が名は、レオンハルト。主神の教えを説く使徒にして悪魔共を祓う最前線で戦う騎士である!………」
近くの木々から小鳥が数羽飛び立つ。風がそよぎ、葉が擦れ、馬車に繋がれた馬が鼻息を吐き出したが、それ以上のことは起こらなかった。金髪の悪魔祓いは肩を竦め、神父の肩に手を乗せる。
「…ホラ、何も起こらないだろう?まぁ、私ほどの魂の練度の悪魔祓いにもなれば、当然か。君は、引き続き名を知られずに生きて行く方が良いかもしれないね」
「ご忠告、感謝いたします」
神父は悪魔祓いの手を肩から払い退けて言った。背後で護衛が忍び笑う。悪魔祓いが彼をじとりと見やると、護衛は笑みを引っ込めて胸に手を当て敬礼の姿勢を取って見せた。
「…まぁ、いい。私も任務があって忙しい。いつまでも君に構っている暇はない」
言いながら、金髪の悪魔祓いは踵を返して馬車に乗り込む。再び馬車の窓越しに神父を見下ろし、「近くの街で、市長の秘書が悪魔憑きになって大変らしいからね。重大な任務だ」と誇らしげに続けた。神父は僅かに眉尻を上げたのみで、目を伏せ道を空けるように半歩下がった。
「あなたに主神の加護がありますように」
抑揚のない声でそう言祝いで、神父は悪魔祓いを見送る。ありがとう、とこちらも心にもない礼を述べて悪魔祓いは御者に命じてさっさと馬車を出立させる。森の道には深い馬車の轍のみが残る。神父と護衛はそれをしばらく見送っていたが、馬車が随分と小さくなった頃に、唐突にそれは道端に停車した。次いで、なにやら慌てた様子で客車から男が飛び出してくる。そのまま男は道の端に四つん這いになって吐き始めた。御者と護衛の男二人が、慌てた様子でその背をさすっている。
「乗り物酔いかな?気の毒に」
護衛の男が飄々と言う。神父も馬車に背を向けつつ、珍しく機嫌がいいのか護衛の言葉に同意した。
「ええ、これから悪魔祓いの任務だというのに、気の毒に…。まぁ、その仕事も、もう終わっちゃってるんですけど」
「性格悪いな、お前」
護衛が歯を見せて笑う。鋭い犬歯が歯列の隙間から覗く。獣のような男だと神父は度々思っていた。
「向こうがそれなりの態度であれば、教えて差し上げたのですけどね」