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天国か地獄か  作者: 垓
39/55

黒騎士

「へぇ、それで先輩、この前大聖堂の窓拭きしてたんですか?」

 修道院の食堂は、修道院で学ぶ学生たちはもちろん、教会本部に顔を出す人々の憩いの場としても開放される。神父の前に座るのはテオとスティカである。彼らの前には同じ献立の大盛りの食事が並んでいる。小さいながらによく食べる後輩たちだった。神父は既に食べ終わった食器を重ねながら頷く。

「はい、皆様にご迷惑を掛けたので、その償いにもなりませんが…」

「でも、先輩に大きなお怪我がなくて良かったです。護衛も…まぁ、彼なら勝手も分かっていますし、安心ですね」

 テオは破顔する。当初からブラッドのことを良く思っていなかったテオは、事の顛末を神父から伝え聞いて激怒していた。思った通りの奴だった、先輩に酷いことをしようとするなんて許しがたい、と散々悪態を吐いてようやく落ち着いたのがつい先程という訳だ。当の護衛は、食事も取らずに机に肘を付いて食堂の様子を眺めている。スティカが口を挟んだ。

「…護衛様も、戻ってきて良かった」

「ん?ああ」

 唐突に話を振られて、護衛がはにかむ。スティカがもじもじと何かを言いたげにしているので、神父がその様子を見かねて問う。

「どうしたのですか?彼に何か聞きたいことが?」

「うん、その…武器のこと、相談したくて」

「ぼ、ぼくじゃなくてその男に相談するんですか!?」

 隣でテオが声を荒げるが、神父はそれを手で制してスティカの言葉を待つ。護衛も向き直って首を傾げた。

「おう、嬢ちゃんの話なら聞いてもいい」

 返答を聞いて、スティカは目に見えて表情を明るくすると、身を乗り出して剣の手入れについて語り出す。彼女は随分と護衛に傾倒しているようだった。幼いながらに抜きんでた才能で最年少の聖騎士として活躍する彼女には、これまで本心から尊敬できる存在がいなかったのかもしれない。化け物に師事するのはどうかと思わないでもない神父だが、指摘できることでもないので黙っている。

 スティカと護衛との会話が盛り上がっているので、神父は先ほどから気になっていたことをテオに尋ねた。

「随分大きな荷物ですが、長旅ですか?」

 テオ、スティカ両名の座る椅子の隣には、それぞれお互いの荷物が詰められているのだろう大きなリュックが置かれている。ええ、とテオは気乗りしない風に肩を落とした。

「何でも、教会を通さず違法に聖水を売っている者たちがいるそうで。既に聖騎士が先行して取り締まってますけど、出回っている聖水の練度を確かめるためにと頼まれたのですが、場所が遠くて…」

「違法に…」

 聖水は日常的に求められることが多い。悪魔祓いのみならず、病人の滋養強壮、血などの穢れを落とす効果や、場を清めることも期待されて用いられる。教会には規定の寄付金を献上することで聖水を譲り渡す制度があるが、辺境の聖水のストックが少ない地域では出所も練度も不明な聖水紛いの製品が法外な値段で売買されることも珍しくない。当然、それらを看過していては教会の権威も地に落ちるというもの。そこに敢えてスティカとテオが派遣されるのは、荒事になるだろうことを本部が見越している証左だろう。

 神父は顎に手を添えて考え込む仕草をして見せた。

「なるほど、聖水を個人で売り捌く…それは盲点でした。その手がありましたか」

「だ、ダメですよ先輩!そんな怪しいお金、教会に寄付したら一発でバレちゃいますからね!」

「…冗談です」

 さすがに神父もそこまで迂闊ではない。出所不明の寄付金を出せば、その内痛い腹を突かれてあることないこと吹聴されて足を引っ張られてしまう。それは司教からも散々言われてきたことだった。そもそも、聖水は適正な価格を教会が保証しているからこそ価値がある。聖水を作るのに個人で所要時間の差がある現状、多く聖水を作れるものが大量に聖水による富を得ることは良しとされないし、それでは聖水の価格が値崩れしてしまう。

 本当ですか、とテオはジト目で神父を見やる。魅力的だが、その気がないのは本当だった。さすがにそれ以上はテオも追求はしなかった。溜息を吐いてテオは皿に残った豆をスプーンでかき集めている。

「密売人は、都度捕まえているそうですが、大元の聖水の出所が分かっていない。なんだか面倒なことになりそうで、正直気乗りしません」

 気乗りしないのは神父も同じだった。教会の中にテオほど気安く喋れる相手は他にいない。司教や、あるいはレオは、多少は慣れた相手になるが、やはり学生の頃から何かと構ってくれるテオは気心の知れた仲であるし、彼が長期の任務でいないとなると物寂しい。

「応援が必要でしたら、呼んでください。飛んで行きますので」

 何気なくそう神父が口にすると、テオは途端に表情を明るくして大仰に頷いた。

「先輩…!先輩が来てくださったら百人力です!でも、先輩の手を煩わせる訳にはいかないので、全力で片付けてきます」

「は、はい」

 テオはそのまま食べ終わった食器を持ち上げ、話し込んでいるスティカに「そろそろ行こう」と声を掛ける。スティカは頷き、護衛に礼を述べると小さく頭を下げて、同じく食器を片付けに駆けていく。それまでの気乗りしなさはどこへやら、テオは元気よく荷物を持ち上げ、肩に担ぐと爽やかな挨拶と共に食堂を後にした。スティカが荷物によろめきながらそれに従う。

 彼らの背中を見送りながら、神父は冷めきったスープを口に運んだ。

 

 その日の午後は、王都近郊での悪魔祓いの仕事が一件あるだけで、特別に苦労することもなく神父は任務を終える。もちろん、護衛の出番などあるはずもなく、暴れる悪魔憑きをいなし、聖水を頭から振り掛けて、それでおしまいだった。憑かれていた人物は、まさに憑き物が落ちた様子で起き上がり、己の体の変化に目を白黒させていたが、じきに元に戻るだろうと簡単な説明だけを添えて神父は退席しようとしていた。そんな折、招かれていた建物の呼び鈴が鳴る。家主は予定にない来客に狼狽えているが、使用人が急ぎ応対に走っていくのを神父は眺めていた。

「お、お待ちください、困ります、勝手にそのような…!」

 ところが、何やら玄関口が騒がしい。来客と鉢合わせないようにと配慮してその場に残っていた神父と護衛は、家主と共に悪魔に憑かれていた家主の息子の部屋で顔を見合わせる。そうしているうちに、ずんずんと足音が近付いてきて、ノックもなしに部屋の扉が開かれた。黒い装束に身を包み、同じ黒の兜で顔を隠した騎士風の男たちが3人、部屋に押し入ってくる。全員が帯刀していた。家主が声を上げる。

「あ、あなたたち、何事ですか。招きもなく無礼な」

「ここに悪魔に憑かれた者がいると聞いて来た」

 会話というより、単なる宣言であるかのように、その声は冷徹に凄む。家主は慄いた様子で一歩下がって、先程まで悪魔に苦しめられていた我が子を抱き締めた。その行動が皮肉にも悪魔憑きの存在を肯定してしまった訳だが、反対に進み出た神父が纏う悪魔祓いの装束に、押し入った3人の視線が集まる。神父は親子の前に立ち塞がるようにして言った。

「悪魔は既に祓われております。何用ですか」

「悪魔はまだ祓われていない。悪魔に取り憑かれるような脆弱な魂を持つ者共も、また悪魔。我々は真なる主神信仰の教義に従い、悪魔を断罪しに来た」

 騎士風の男たちが腰に提げた剣を抜く。銀で誂えられたそれは、聖騎士が持つものと同じ祝福を受けた剣のように見える。だが、彼らが聖騎士でないことは明らかだった。聖騎士は無辜の民を傷付けない。彼らは神父と、その後ろで怯えて震える親子に対し、確かな殺気を向けていた。唯一真ん中で棒立ちになっている護衛だけが、呑気に神父に尋ねる。

「どういう状況だ?」

「うーん、主神信仰にも様々な派閥がありまして…これは、その過激派といったところでしょうか」

「ああ」

 その説明だけで理解したのか、護衛がぽんと手を打つ。主神教の教典は、人殺しを良しとしない。ところが、教義というのは時代の移り変わり、時の指導者と共に解釈を変える。悪魔に憑かれた民衆を哀れな仔羊と見て手厚く保護し、さらなる信仰の道へと誘うのが、主神教の大半を占める総本山で説かれる教えだが、一方で悪魔に一度でも屈した者は、もはや人間ではないと見做す解釈も存在していた。人間ではない悪魔を殺すことは寧ろ主神によって推奨されており、そのことが魂の位階を高めて死後の救済を約束する、とさえ。

 神父らが相対しているのは、まさにそういった過激派の連中だった。どこぞかで悪魔憑きの噂を聞き付けて、悪魔祓いより先に宿主ごと殺してしまう算段だったか。あるいは、悪魔の去った無辜の民を、確証もなく殺していくつもりだったのか、今となっては確かめる術もない。護衛の腰に提げられた剣を見て、過激派の騎士らは狙いを彼に変えた。騎士の1人が低い体勢から斬り掛かってくる。甲冑を身に付けていながら、随分と機敏に動く騎士だった。

「拝金主義の腐った教会の犬共め、貴様らも悪魔に魂を売り渡した異端だッ」

「何にも言い返せないぞ」

 それを躱して、護衛は黒騎士の兜の上からげんこつを落とす。聞くに耐えない音がして、兜がひしゃげて黒騎士はその場に突っ伏す。気絶していた。突然の荒事に家主の親子が抱き合って悲鳴を上げる。残された黒騎士2名は狙いを変えて、今度は神父と家主の方へと向かってきた。身構える神父だが、彼に向かって来ていた騎士は何かに足を取られたように転んでしまい、もう1人は追い付いた護衛のげんこつで同じように気絶させられていた。

 転んだ拍子に、黒騎士の銀の剣が神父の足元まで転がってくる。それを部屋の隅に蹴り避けて、神父は倒れた黒騎士を見下ろす。おのれ、と黒騎士は甲冑の中で食いしばった歯の隙間から呪詛を吐く。

「こんなところで…!我らにはまだ崇高な仕事が残されているというのに」

「無差別に人を殺すことが崇高とは、聞いて呆れますね」

「我らの真主神信仰を愚弄するか…!」

「少なくとも、私には拝金主義の教会の方がマシに思えます」

 広く知られた信仰だけに、国や地域によって教典の解釈は細部で異なる。それの度が過ぎるとこうなってしまい、それどころか他の宗派を異端だとして排除する動きまで見られる始末である。それが過激派だった。とはいえ、こんな本部の膝下で過激派の動きがあるのは良くない兆候である。悪魔信仰が落ち着いたと思ったらこれだ、と神父は溜息を落とす。それを隙と見たか、黒騎士は跳ね起きて隠し持っていた短剣を神父の心臓目掛けて突き出した。せめて道連れに、とでも思ったのだろう。それは神父の横合いから伸びてきた護衛の手によって易々と止められる。影の落ちた顔で微笑む護衛を睨み付ける黒騎士だったが、瞬時にその顔が苦痛に歪む。掴まれた腕がみしみしと軋んで悲鳴を上げている。短剣を握った手の形のまま、その上から護衛の男は握り潰すほどの力を込めている。

 尖った歯を覗かせて、護衛が口角を吊り上げる。それが、黒騎士が意識を失う前に見た最後の光景となった。

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