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天国か地獄か  作者: 垓
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間章4

 拘束されたブラッドが目を覚ますことはなく、彼の申し開きを聞く機会もないまま、男の騎士が気絶した彼を担いで聖騎士の駐屯所にある留置所まで運んでいった。残された神父と護衛は、司教の先導に従い、彼の執務室を目指している。神父は死刑を宣告された罪人のように青い顔でそれに従っていったが、護衛の方はそんな神父の様子を見てにたにたと笑うばかりで、ちっとも己のこととして事態を捉えている様子はなかった。

 いつも己が腰掛ける司教の執務用の机ではなく、応接のために置かれた低いテーブルとその両脇に置かれた長椅子に腰掛けて、司教はその向かいに神父と護衛に腰掛けるよう促した。司教の側には女騎士が剣の柄に手を添えたまま控えており、油断なく護衛の動向を窺っている。神父は室内に流れる剣呑な雰囲気におどおどと司教と女騎士、護衛の顔を見比べていたが、護衛の方があっさりと勧められた席に警戒する様子もなく座ったので、神父も慌てたようにその隣に腰を下ろした。司教の執務を補佐する修道女が、示し合わせたように湯を沸かし、そうして席に着く一同の前に小花柄のティーカップを並べた。中にはもちろん、香りの良い紅茶が入れられている。依然として立ったままの女騎士にも修道女は飲み物を勧めたが、彼女は護衛から目を離すことなくそれを固辞した。

「まずは、飲み物でも飲んで落ち着きなさい」

 司教は、主に落ち着きなく視線を泳がせている神父に向けてそう言った。神父は頷き、カップに手を伸ばすが、それを横から護衛が掴んで止める。そのまま護衛が神父の前に出されたカップを持ち上げて、ふうと冷ますように息を吹きかける。当然、神父は烈火の如く怒った。

「何するんですか!」

「神父様はそそっかしいからな。火傷でもされたら堪らない」

「子供扱いしないでください!」

 護衛の手を払い退け、その手から己のカップを奪い返すと、神父はカップの中身に口を付ける。護衛の気遣いの甲斐あってか、神父はそのままごくごくと紅茶を飲み干して、空のカップを元の位置に戻した。緊張しているのだろう、礼儀も作法もあったものではない。司教が護衛に尋ねる。

「あなたは飲まないのですか?」

「では、ありがたく」

 護衛はにこりと笑って、神父と同様にカップの中身を飲み干す。自分のことなど棚に上げて、神父は下品に音を立てて液体を飲み下していく護衛の姿にはらはらと冷や汗を流している。彼の無作法などもはや今更であろうに、と司教は思う。司教に面と向かって「助けに来るのが遅い」と言ってのける男である。

 確かにカップの中身が空になったことを確認し、司教は口を開いた。

「まず始めに、ブラッドフォードの話をしましょう」

「…彼には悪いことをしました」

 神父は再度項垂れ、肩を落とす。護衛は興味なさげにそっぽを向くが、司教はうんうんと頷いた。

「神の教えを説く私であればこそ、彼の迷いや悩みを晴らして進むべき道を指し示すべきでした」

「まぁお前が言うと逆効果な気もしますが、ともあれ反省は必要でしょう。そもそもの発端は、お前とそこの護衛殿が仲違いをしたことが原因なのですから」

「はい…」

「…ですが、今回の件に関しては、どうもそれだけでは片付きません」

 司教は頭痛を堪えるように額に手を当てる。実際頭が痛い。考えるべきことがたくさんあった。

「そもそも、ブラッドフォードという男は、私が推薦した騎士ではありません。本部から推薦を受けた、ということまでは分かりましたが、本来であればお前に引き合わせる予定もない男でした」

「…私が駐屯所で無理を言ったので…」

 神父が申し訳なさそうに神父は囁いたが、司教はそれにも頷きだけを持って続ける。

「加えて、お前がブラッドフォードと密室で対面することは、危険だと判断しました。なので、今日の通達も、私はマリナに監視を依頼していました」

「え」

 神父が声を上げ、それから慌てて口を噤んだ。司教がブラッドフォードをそのように評価していたことなど露知らず、といった様子である。だが、司教にしてみれば神父に向けられたブラッドフォードの好意など火を見るより明らかで、それが度を過ぎて危険な男になりかねないことは容易に想像ができた。あるいは、報いられれば、ブラッドフォードは良い護衛になって神父に献身的に尽くしてくれただろうが、そうでなかった時に彼の期待がどのような形で発散されるのかは分からない。

 そんな司教の気遣いは徒労に終わった。監視を依頼した女騎士は、神父の側にい続けることができなかったのだ。

「ですが、それは叶いませんでした。同じ頃、修道院には悪魔が出たとの騒ぎが生じて、混乱していたのです」

「えッ」

 先よりも大きな驚きでもって神父は隣に座る護衛を見た。護衛はそんな神父の小脇を肘で突くので、それで神父は我に返った様子で居住まいを正したが、その不可解な行動の意味を問い質すことを司教は最後まで忘れていた。女騎士が司教の隣で恥じ入るように唇を噛む。彼女は己が与えられた使命を全うできなかったことを悔いている様子だった。

「悪魔は、確かに修道院の中にいて、大きな被害もなく祓われました。けれど、現場は混乱していた。戦う術を持たない者たちが、マリナに助けを求めました。彼女は彼らに囲まれて、監視の任を全うできなかった」

「申し訳ありません…!」

 天井を見上げて女騎士が呻く。命令違反だが、司教に彼女を責めるつもりはない。その時の修道院の騒然としていた様子を、司教も知っている。混乱した現場には、眷属が出たとか、有力な司教が怪我をしたとか言った出所も知れぬ噂が流布し、修道士や信徒たちは逃げ惑って安息を求めた。大勢の助けを求める人々に囲まれて、女騎士もさぞ困ったことだろう。神父もまた、彼女の謝罪に首を振った。

「不幸な偶然が重なったのでしょう。私が迂闊であったばかりに、皆様に余計なお手間をかけました」

 首あたりをさすりながら神父は頷いた。殴られたりした様子は見受けられないので、ブラッドフォードは心中するにあたり、彼の首でも絞められたのだろう。彼の容姿にも随分惚れ込んでいた様子だったと同僚たちは証言していた。神父の見た目を傷付けることは、ブラッドフォードの本意ではなかったのかもしれない。とはいえ、神父の言う通り、果たしてこれらは運の悪い偶然だろうか、と司教は自問する。否!偶然などでは断じてない。

「…私は、これらの出来事は偶然であるとは思いません。お前や、私をよく思わない者が、こうなるように仕組んだものだと考えています」

 しばし、沈黙が降りる。はっと息を呑んで神父は執務室の出口を見やった。誰か盗み聞きでもしていないかと危惧したものらしいが、司教はそれを朗らかに笑んで制した。

「もちろん、ここには見聞きしたことを口外するような者はいないから大丈夫。けれど、外ではどうか分からない」

 だから話の場所を執務室に移したのだ。それが分かって、初めて神父は詰まっていた息を吐き出すようにして力を抜いた。彼の様子からして、どのような説教が待っているかと怯えていたのだろう。無論、説教はあるが、さておき。

「もちろん、ブラッドフォードの独断という線も考えましたが…それはないでしょう。基本的には、彼は誠実な騎士でした。それに、一介の騎士に悪魔を修道院に手引きするようなコネがあるとは思えない。寧ろ、より権力のある聖騎士の推薦を出来る立場の者こそ疑わしい。恐らく、対立する派閥の司教の誰かが指示したのでしょう」

 推論ではあるが、概ね正しい予想であると司教は自負している。寧ろ、派閥争いではよくあることだ。部下を陥れ、手駒を減らし、司教の力を削ぐことが目的だろう。

 だが、仕掛けられたなら、これはやり返すまたとない好機。相手がこちらを邪魔だと思っているのと同様に、こちらも相手を蹴落としたいと思っている。

「これは、改めて調査を続けて、確証が取れてから仕上げていきましょう。お前にも手伝いをお願いすると思うので、よろしくお願いしますね」

「はい!」

 神父が使命感に燃えるように力強い声を返す。彼に間諜の真似事などは期待していないが、神に愛された性質があればこそ、不思議と事件の方が神父に寄って来る。

 さて、と司教は室内に置かれた大時計の針を見つめる。話し始めて随分経った。そろそろ切り出しても良い頃合いか、と声の調子を上げて、天気を尋ねるような気軽さで神父に問うた。

「では、この話はこれくらいにして…。お前の護衛について教えてください」

 神父は先ほど浮かべた使命感に燃える表情のまま固まった。

「この際、礼儀作法についてはとやかく言う気はありません。問題は、その強さです。彼は、何者ですか」

 分かりやすく目を泳がせて目の前のカップの底を見つめてみたり、手元で爪を弾いてみたり、神父があからさまに何を言うべきか考えあぐねているのが分かる。司教もまた、神父の飲み干したカップを見た。確かに全部飲んでいる。それなのに──。

「もしや、司教様はそれが気になって日夜俺の元に密偵を放っておられたのですか?」

 護衛が横合いから問うてくる。それには司教も隣に立つ女騎士も、神父ですら驚いたように目を丸くした。神父は密偵が放たれていたこと自体に驚いている訳だが、女騎士はそれに気が付いていたらしい護衛に驚いているのだった。もはや回りくどいことを言う必要もなし、と司教は護衛に向き直った。年の頃は神父とさほど変わらないはずの護衛だが、何故だか向き合っていると老獪な獣と対峙しているような気分になった。

「…気付いていたのですか。私たちは、あなたの寝床すら掴めていなかったというのに」

「近くを通られてヒヤヒヤしておりましたよ」

 金の目を細める護衛に言葉ほどの危機感はなく、いいようにあしらわれていたのだと悟る。女騎士が表情を険しくしたが、それを制して司教は言った。もしかしたら、この護衛から本当のことが聞けるかもしれないという淡い期待を抱きながら。

「それでは、あなたにお聞きしましょう。あなたは、『悪魔の子』なのではありませんか?」

 司教の問いかけに、護衛もまた笑顔のまま固まった。神父は目に見えてぎくりと肩を竦めたし、沈黙が意味を持つには十分な時間が経過した。やはり、と司教は1人確信を深める。

 悪魔の子というのは、悪魔憑きによって孕まされた女の腹から取り出された赤子のことを言う。生まれる赤子は父親となる悪魔の魂の器となって、生まれた時より眷属と同等かそれ以上の力を発揮する。それは身体的な強化に始まり、悪魔の名に相応わしい魔力を操る力にまで及ぶ。もはや、生まれながらにして人間とは異なる生き物としての能力を授けられた人種となることが、最終的には悪魔たちの宿願であり、悪魔信仰の到達点であるとされる。

 こうした子供の数は少ない。教会は、主神が見放した悪魔の子種を引き継ぐ冒涜的な存在を許さないし、そもそも無理矢理に孕まされた赤ん坊は、悪魔の魂が与える負荷に胎児の頃から晒され続けて死産が多い。それでも、ごくごく稀に、その負荷に耐える強靭な肉体を得た悪魔の子が、歴史的に台頭して教会の存続を脅かしてきたことは多々あった。司教は、護衛の正体がそれであると踏んでいた。であれば、彼が武器もなく眷属と戦えることの説明も付くし、神父がなかなか彼の正体を明かしたがらないのも納得が行く。悪魔の子は、教会として許してはならない存在なのだ。そんな男を見逃し、あまつさえ護衛として迎え入れたと知れれば、異端審問は免れない。──司教のそうした推察は、実際のところかなり真実に近かったが、神父が置かれた状況は更に一層複雑で深刻であった。

 神父が縋るように護衛を見た。護衛もまた、神父を見た。2人が無言の内に何事かを相談していることが分かる。結局、口を開いたのは護衛だった。

「…そういうことでいいのでは?」

 思わず司教は拍子抜けしてしまう。もっと狼狽えたり、隠そうとしたりするかと思っていた。隣で神父が口を開けて護衛を見ているので、彼らの無言の相談は対して意味を成さなかったことが知れる。

 曖昧な物言いだが、この言葉を司教は疑うつもりもなかった。目の前に座る神父と護衛は、2人揃って出された飲み物を飲み干した。弟子にこんなことをするのは良心が痛むが、こればかりはと涙を呑んで自白剤をその飲み物に少量混ぜた。護衛が一瞬、神父の手を止めて飲むのを制した時には勘付かれたかと肝を冷やしたが、結局疑いもせずにそれを飲み干した彼らは、少なくとも普段よりは口が軽くなっているはず。それにしては、随分と神父の口が重い気がするが、きっと。

「出自も追えないのは、どこか秘匿された場所で生まれ、育てられたからではないのですか」

「まぁ、ある意味では…?」

「その隠れ里を出奔し、その子に付いて回るようになったのでは?」

「大体そんな感じかな」

 司教の問いかけに、護衛の返答は曖昧だった。それなら、と司教は質問の傾向を変える。

「では、何故この子の護衛になったのですか?」

「それはさきほど言った通りですよ、司教様」

 それまでの曖昧な返答から一転、護衛の口調が形だけでも敬語に戻る。彼は隣に座る神父をちらと横目で見やって、にこりと司教に微笑んだ。

「放っておくと、すぐ死んでしまうお方なので。目を離せないんです」

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