嵐のような
「やあ、君!」
あくる日、神父が任務を終えて修道院を訪れると、広間に待ち構えていた様子のレオンハルトがよく通る声を上げ、行く手を阻むように進み出て来た。その背後にはいつもの護衛の聖騎士2人が付き従って、レオは松葉杖を突きながらふらふらとやって来るので、歩かせるのも忍びなく神父の方が彼に駆け寄る。
「ちょっと、もう出歩いて大丈夫なんですか?」
「歩くのは問題ないさ!杖がないと歩けないが、外に出るよう医者にも言われている」
実際、レオは随分と元気そうだった。悪魔信仰との戦いからの帰り道でも元気そうだったので、当然といえば当然かもしれない。悍ましい拷問の数々は、レオの足の骨と肋を数本負ったが、彼の魂を穢しはしなかった。憎たらしい程に、彼は以前の快活さを少しも損なってはいなかった。
「そもそも私は、大した怪我ではなかった」
「レオ様、足の骨折は大した怪我ですよ」
「そうです、肋の骨折だって、一歩間違えたら肺を傷付けて大変なことになっていたんですから」
レオの軽口を護衛の聖騎士2人が諌める。彼らは今回の事件で大変な目には遭ったが、特別の怪我は負うことなく帰還している。そのため、怪我をしたレオが悪魔祓いに迎えない内は騎士団の本隊と合流して様々な任務に駆り出されて忙しそうにしていた。西の異端審問で騎士団にも負傷者が出たということらしいので、騎士団でも人手不足なのだろうと神父はぼんやりと思う。レオは続けた。
「重傷なのは、トマス神父の方だ…」
それには返す言葉もなく神父は俯く。眷属たちから度重なる拷問を受けたトマスは、教会に帰還し、その傷を医者に治療されるようになっても、心に負った傷が癒える気配がない。怪我自体は時間が経てば治るだろうと医者は言うが、やはり当初の見立て通り、彼が悪魔祓いの職務に復帰するのは難しいどころか、通常の生活に戻れるかも怪しかった。眷属に命じられたとはいえ、護衛の聖騎士2名を死なせ、眷属に服従の言葉さえ吐いたという事実は誤魔化しようがなく、彼の聖職者としての身分は剥奪された。このまま彼の精神が病んだままであれば、特殊な施設に送還されることもあり得るとテオが本部の上層部から聞き齧っている。神父は一層、当時のことを思い出して声を漏らした。
「…あなただけでも、ご無事で良かった」
「ああ」
神父の呟きを拾って、レオは頷き居住まいを正す。それに倣ったように聖騎士も敬礼の姿勢を取るので、神父の方も自然と背筋を伸ばして彼らに向き直った。
「こうしてわざわざ君に会いにきたのは、他でもない。あの地での助けに礼が言いたかったからだ。常識的に考えて、あの場では私たちを見捨てるのが定石だったはずなのに、君は人道的な観点から危険を冒して我々を助けに来てくれた。感謝している」
痛々しい包帯とガーゼの数々を巻き付けて、松葉杖を突くレオンハルトの見た目は普段と変わらず小綺麗に整っている。そんな彼が、神父に頭を下げる。形式的に、というだけでなく、本心からそう述べているのだと分かる真摯な声だった。修道院の広間に集う人々の好奇の視線を感じ、神父は慌てて声を上げた。レオンハルトはその美貌から衆目を集める男だった。
「そ、そんな、顔を上げてください。当然のことをしたまでです」
「あれを当然と言うか」
レオは顔を上げて苦笑する。彼はそれ以上食い下がることもなく、神父の周囲を見渡してブラッドに目を留めてから首を傾げた。
「護衛の彼にも礼が言いたかったのだが…今日は非番かね?」
「今は自分が護衛です」
堪らずといった調子でブラッドが声を上げる。目を丸くするレオたちを前に、ブラッドは胸に手を当てながら名乗りを上げる。
「前任の護衛は辞め、今は第三部隊所属のこのブラッドが、神父様の護衛を務めております!」
「や、辞めた?」
レオの護衛の1人が声を漏らしたように呟く。何故そんなに驚かれるのか神父の方が不思議になるくらいだった。確かに腕は立つ男に見えたかもしれないが、人の護衛にそこまで口出ししたくなるほど神父は危なっかしい男に見えるだろうか。だが、神父の憮然とした態度をよそに、レオの方が声を荒げて神父に詰め寄った。
「なんて…愚かなことを!」
「お、愚か?」
そこまで言われる筋合いなどあるだろうか、との苦情を差し挟む暇もなく、レオはブラッドなどそっちのけで続ける。
「どうせ、偏屈な君のことだから、しょうもないことで彼を怒らせて、愛想を尽かされてしまったのではないかね!?」
「そんなことは…」
「どうして引き止めなかった!彼ほどの人材を手放すなど、正気の沙汰ではない!」
いつか、どこの馬の骨とも知れない、と護衛に関して言っていたはずのレオであるが、前回の一件で彼の評価は180度反転したどころか鰻登りのようだった。護衛の聖騎士たちもうんうんと頷いてレオの発言を後押しする。勢いに押されて何も言い返せない神父の胸元に、レオは指を突き付けて言う。
「今すぐ謝って戻ってきてもらいたまえ!…いや!君にはもう新しい護衛がいるようだな、では私に紹介してくれたまえ。私が雇おう!」
「そ、それはできません」
思わず口走ると、ブラッドが微妙な顔をしているのが横目に分かったが、気にしている余裕もなかった。あんな恐ろしい化け物を他人に紹介するなど、それこそ正気の沙汰ではない。悪魔だと自称する彼を、目下護衛として側に置いていたのは、それを神父が断る権限がなかったからで、教会の誰にも相談できなかったのは、この化け物の正体を知ったところでどうこうできる人間が教会にはいるはずもないと確信していたからだ。例え聖騎士が束になってかかったところで、化け物には傷一つ負わせることはできないだろう。そもそも、実体があるのかも定かでない男である。聖水を頭から被っても少しも堪えた様子はなかった。聖水を直接飲んでいる姿も度々見かけている。
レオの心変わりは神父には意外だった。これまで通り、嫌味を言われ対抗心を剥き出しにしてくるものと思っていたので、反応に窮する。言葉ばかりは高圧的だが、そこには以前までのような扱き下ろすような鼻持ちならない態度は見受けられない。それだけ命を助けられたことに感謝しているのだろう。はっと我に返ったようにレオは詰め寄った距離を離し、隣に立つブラッドに気が付くと今更のように「失敬」と謝った。ブラッドにしてみれば、前任の護衛の方が優れていたと言われているように感じる発言の数々だっただろう。実際、彼の表情は明るくない。だがレオには発言自体を改める気はないようで、いくらか声のトーンを落として続ける。
「人に紹介するのが惜しい人材なのだろう。分かっているとも。であれば、彼を腐らせておくのは勿体ないと思わないかね?」
「そういう意味で言った訳ではないのですが」
「強情な奴だな…まあ、いい。礼は言ったぞ」
元よりあまり人の話を聞かない男である。神父はレオに関して誤解を解くのを早々に諦めていた。用件が済んだらしいレオが歩き始めたので、神父とブラッドは道を譲る。松葉杖の彼に方向転換をさせるのは苦痛だろう、との配慮からだが、道を避けた神父に尚もレオは言った。
「君もそうだ。素晴らしい才能があり、人を助ける力を持っている。認めよう」
皮肉でも何でもなく、淡々とそう告げるレオの言葉に神父はただ目を丸くした。学生の頃から何かと神父を扱き下ろして、難癖を付けてきた男である。どういう風の吹き回しだろうとは、当然邪推するところであるが、レオは普段の尊大な口調に戻って続けた。
「…であるから、人に見られる努力をすべきだ。まずはその重たい髪の毛を切ったらどうかな?」
「よ、余計なお世話です!」
思わず地団駄を踏んでそう答えても、既にレオは神父に背を向けてはははと高らかに笑うのみである。相変わらず苦手な男だ、とその背を睨み付ける神父だが、それ以上の買い言葉は思い付かない。そもそも、レオには喧嘩を売る気がなかったように見える。
嵐のように去っていったレオ一行を見送り、修道院の広間にも喧騒が戻る。既にレオンハルトの離れた神父とブラッドに関心を寄せる者などおらず、人々は2人を追い越して行く。
しばらくその場に突っ立っていると、ブラッドが言った。
「神父様は…やはり、以前の護衛の方が優れていたとお思いでしょうか」
これまで幾度となく比べられてきたからか、もはやブラッドは憮然とした態度を隠そうともしない。比べるまでもない、というのが素直な神父の所感だった。彼は護衛であって、護衛でない。存在そのものが非常識なのだから、そもそも同じ土台に立っていない。
「そんなことは思いませんが…」
その言葉にいくらか希望を見出したのか、ブラッドは機嫌を持ち直したように相好を崩す。
「よ、良かった…」
「前の護衛を、気にする必要はありませんよ。色々と奔放な男でしたから、比べるまでもないかと…」
「そういう訳にはいきません」
神父の言葉を途中で遮り、ぴしゃりとブラッドが言い切った。
「俺は、神父様の一番の護衛でありたいのです。他の男の話など──」
気が付くと、ブラッドのこげ茶の瞳に射抜かれていて、神父は足に根が生えたようにその場に棒立ちになっている。一度目が合うと中々逸らす口実を見つけられず、気まずい空気を耐え続けることになる。神父の狼狽を感じ取ったのか、ふぅと小さく息を吐くと、ブラッドは目を伏せて神父を解放した。
「…すみません。これは、俺が精進すれば済む話ですね」
「いえ…」
試用期間も、終わりが近付いていた。




