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天国か地獄か  作者: 垓
31/55

休まらない休日

 その日、神父が目を覚ますと、既に陽は昇り切って久しく、閉じたカーテンの隙間からも明るい陽光が差し込んでいた。今日は非番だった。悪魔祓いの任務もなく、奉仕活動の予定もない。のろのろと起き上がり、ひとまず郵便を確認する。これは彼の日課だが、任務の連絡が主に郵便で届くのだから仕方ない。修道院に足を伸ばせば、誰それにどのような任務が下されたかということは掲示板に貼り出されているのでそれでも分かるが、そのためだけにわざわざ外出の準備を整えて確認しに行きたいと思うほど、神父は社交的ではない。

 郵便受けから投げ入れられた封筒を拾う。今回は一枚だけだ。先日の悪魔信仰との戦いでの報告が受理され、働きが認められたというものだった。それから、近辺の貧しい村の教会に援助を、という奏上も一考の余地ありとして本部で議論してもらえることになったことが、短く付け足してあった。結果はどうあれ、これで義理は果たしただろう、と神父は溜め息と共に封筒ごと手紙をゴミ箱に落とす。ゴミ箱には、先日化け物に破られて血だらけになったシャツが丸めて一緒に捨ててあった。

 部屋の中は、一層ものが散らかって酷い有様だった。普段でもここまで酷くはない、と神父は思う。化け物に押し倒された時に引っ掛けたのか、玄関先に置いてあったコートハンガーはひしゃげているし、物をどかすと拭き取りそびれた血の痕が出てきて気が滅入る。護衛が部屋を訪れ、そうして去っていったあの日から、夜この部屋にいると神父は足が竦む。影の中にまた金色の目が覗いているのではないかと気が気ではなくなるのだ。それなのに、気が付くとその姿を探しているのも事実で、見つけたいのか見つけたくないのか、神父自身も己の心情が理解できない。

 ともあれ、さすがにこの状況は目に余る。せっかくの休みなら、たまには掃除くらいはしてもいい。そんなことをぼんやりと部屋を眺めながら神父が思い始めた頃、呼び鈴が鳴った。始め、それは隣室のものだと思っていた神父は、2回目の呼び鈴と共に聞き覚えのある声が続くので飛び上がった。

「神父様、こんにちは。ご在宅でしょうか。ブラッドです」

「へ、え?」

 驚いた拍子に近くの机にぶつかり、積み上げていた本がどさどさと音を立てて落ちる。しまった──と唇を噛む。これでは居留守も使えない。普段から整理整頓しておけばこんなことには。とはいえ、人前に出れる格好ではない。起きたばかりで着替えも済んでいなかった。仕方なく、戸口まで進み、扉越しに応じた。

「ど、どうしたのですか、何かありましたか?」

 本部からの呼び出しだろうか。もしかしたら、何か報告に不備が。あるいは、あの化け物の正体をどこかで勘付かれることでもあっただろうか。そういった嫌な予感の全てをブラッドの返答が搔き消す。

「いえ、なにも。ただ、神父様がどうされているか気になって」

「どうって…私、今日非番なんですけど…」

「ええ!ですから、もしお部屋の掃除でもされる予定でしたら手伝いますよ」

 神父は再度己の部屋を見る。強盗にでも遭ったかのような荒れようだった。部屋の掃除はするつもりだったが、この有様を人に見せるような勇気はない。そもそも、招くような相手もいないからこの有様で今までどうにかなっていたのだ。

 神父は扉の取っ手にしがみ付いて力を込めた。別に化け物ではないのだから、押し入ってくる訳でもないのに、と後から気付く。

「む、無理です!とても人に見せられるような部屋では!」

「な、なら一層お手伝いが必要なのでは…」

「結構です!ブラッドさん、あなたも今日は非番では!?自宅でゆっくり休まれた方が良いのではないでしょうか」

 そもそも、なぜ非番のはずの彼が神父の部屋を訪ねるのか。仕事熱心なのは今に始まったことではないが、仕事に関係ないところでも熱心さを見せるのは、それだけ護衛の仕事に執着があるのだろう。試用期間などと言って彼を試すような真似をして、神父は知らずのうちにプレッシャーを与えていたのかもしれない。

「い、いえ、その…」

 珍しくブラッドが口ごもる。返答を待ちつつ、神父は彼を追い返すあらゆる口実を思案していた。

「神父様のお声が聞きたくて…」

 束の間、神父は全ての思考を手放した。

「は──なんですって?」

「あ、いえ、その、お元気そうな姿を拝見できればと思いまして!」

 慌てて取り繕うようにブラッドは付け足したが、ほとんど意味が変わっていないことに彼は気が付いていない様子だった。

「何か、神父様のお役に立てることをしたいのです。掃除のご予定なら、ゴミ出しでも手伝います。力仕事ならお任せください。それ以外でも、買い出しでもなんでも…言い付けてくださればやって来ます!」

「そんな急に…」

 言われても困る、と続けるつもりだった神父は、それでも何か仕事を言い付けないことにはこの熱心な聖騎士がてこでもこの場を動かないだろうことを察して焦り出す。そもそも、壁の薄いボロアパートでは、このやり取りすら隣室に筒抜けだろう。ここで押し問答をしていたら、そのうちに隣人から苦情を入れられるかもしれない。だったら、いっそ何か仕事を言付けて、さっさと帰ってもらった方が手っ取り早いのかもしれない。

 回らない頭を懸命に働かせて、神父は思考を巡らせる。掃除はもちろん却下。部屋に上げるなど論外だ。ゴミ出しはいいかもしれないが、そもそも護衛を召使いのように扱うのは気が引ける。なら買い出しはどうか、と思い至って、神父はゴミ箱に捨てられた血まみれのシャツに目を留めた。そうだった。確か──。

「…では、仕立て屋まで服を取りに行くので、その道中の護衛をお願いできますか」

 化け物に破かれ、血まみれになった法衣とシャツは、教会本部指定の仕立て屋で神父の身長に合わせて繕われたものである。替えはいくつもあるが、一着壊してしまうと着回しにも余裕がないので、改めて依頼して新調していた。それが出来上がっているから取りに来い、と連絡が来ていた。

 ブラッドは明らかに声色を明るくして「はい!」と元気よく返事を寄越した。

 

「法衣ではない神父様を見るの、新鮮ですね」

 大慌てで服を着替え、髪を整え、とりあえず外に出れる格好になってから、神父は扉の前に待たせていたブラッドと合流する。戸口に姿を現した神父を見るなり、ブラッドはそう言ってはにかんだが、散らかった部屋を見せるわけには行くまいと慌ただしく扉を閉めて鍵をかける神父は生返事で頷くだけだった。

「え?ああ、そうですね」

「…仕立て屋というと、大通りの店でしょうか?」

「はい。聖騎士の方の制服も仕立てているはずですから、ご存知なのではないでしょうか」

「ええ、よく知っています」

 言葉の通り、ブラッドは神父を先導するように歩き出す。ブラッドもまた、聖騎士の鎧などは身に付けておらず、腰には帯刀もしていない。本当に部屋掃除でも手伝うつもりで来たのだろう。できれば、こういったことは今回限りにして欲しいと思う神父だったが、それを伝える最適な言葉が思い浮かばずに黙ってブラッドの声を聞いているしかなかった。

「聖騎士は、任務以外に訓練でも制服を壊すことが多くて、仕立て屋にはしょっちゅうお世話になっているんで、顔馴染みなんですよ」

「はぁ」

「西の異端尋問では、大きな戦闘になって、俺のいた部隊も大勢負傷者を出しました」

「そうだったのですね」

「それで、聖騎士の制服を仕立てる布が品薄だそうで、今は制服を着ていなくても許される知らせが出ているんです」

「大変ですねぇ…」

 通りをいくつか越えると、広い大通りに出て往来にも人通りが増える。通りの中央には馬車が行き交い、両端の歩道には大勢の買い物客が通りに面した店々を覗いては出入りを繰り返していた。真っ直ぐに目的の仕立て屋に向かい、神父とブラッドは用事を済ませる。シャツを一枚と黒い長丈の法衣を一枚頼んだだけだが、随分しっかりと包装を施された状態で渡されるのが常だった。それを抱えて店を出ようとする神父をブラッドは押し留め、自分が荷物を持つと言って聞かないので、早々に神父は諦めて荷物持ちを彼に任せ、己は手ぶらで店を出た。他に用事は、とブラッドが尋ねたが、何もないので2人はそのまま帰途に付く。

「お怪我の具合はどうですか?」

 他愛もない話の種が尽きる頃、ブラッドがそう尋ねてくるので、思わず神父は渋い顔を隠せない。ようやく血が止まり、抉れた傷口に水を掛けるとほんのり沁みる程度にはなった。だが、大きく肩を動かすと薄く張った膜が破れて、中から透明な汁が滲み出るので、神父はこのところあまり動きたがらない。それを身近で控えるブラッドが気付かないはずがなかった。

「転んだ際のお怪我と聞きましたが、随分と深い傷のようです」

 変に誤魔化したのが仇になった、と今更己の方便を恨めしく思い、神父は視線を落とした。

「…実を言うと、肩の傷は…悪魔信仰との戦いの結果できたものです」

「やはり」

 何故か嬉しそうにブラッドが言うので、神父は思わず顔を上げる。ブラッドは慌てて表情を引き締めたが、諦めたように苦笑して頬を掻いた。

「ああ、すみません。本当のことが聞けたのが嬉しくて」

「…説明がややこしくなると思って…すみません」

「謝られるようなことでは」

 緩く首を振るブラッドだったが、そのまま神父の目を覗き込むように真っ直ぐと見つめて言った。

「神父様にこのようなお怪我を負わせるなど…一体どのような恐ろしい悪魔と戦ったのですか?」

 どのような。口で説明するのは難しい。輪郭は定かでなく、とてつもなく巨大であることは確かだった。金の目が六つあり、巨大な口を持つ。恐ろしい。言葉は通じるのに、何を考えているのか理解し難い。単に気まぐれで生かされているのだと、どうしようもなく思い知る瞬間、己の命など吹けば飛ぶようなささやかな均衡の上に成り立つのだと、そう気付いてしまう。

 それでも。

「…これは、私の不手際で負ったものなので…」

 何故か言い訳がましくなってしまう。ブラッドは数瞬きょとんと目を丸くして、それからはっと気が付いたように眉間に皺を寄せた。

「…それは、前任の護衛を庇っておられる?」

「え」

 誰が、誰を庇うというのか、と言われた意味が分からずに神父の方が狼狽えてしまう。ブラッドは苛立たしげに続けた。

「悪魔信仰との戦いまで、前任の護衛がいたと聞いております。その者がいながら、神父様がそのようなお怪我を負うなんて、…そいつの職務怠慢だ」

 その護衛本人がこの怪我を負わせた張本人なのだが、そんなことをブラッドが知ったらどうなってしまうのか想像も付かない。

「ですが、お優しい神父様は、前任の護衛を庇っておられる」

「いえ、そんなつもりは」

「…俺は!」

 既に大通りから外れ、人通りのまばらな通りを並んで歩く2人である。ブラッドは足を止め、神父と向き合うように立つ。

「俺の目が届くところで、神父様には傷一つ負わせない自信があります。けれど、俺の知らないところであなたが傷付くのは、耐えられません」

 聞き流せない雰囲気を感じ取り、神父も足を止めざるを得ない。茶化してはならないと思いつつ、真っ直ぐに受け止めることも断る言葉を用意することも出来ずに神父は曖昧に笑むしかない。

「…ですから、休日まで私の元に?」

「そうです」

「……」

 返すべき言葉を見失って神父はただ沈黙した。重い。空気が重い。献身が重い。悪魔祓いと護衛は度々運命共同体だと言われるが、ここまで重く受け止められるのも気が引ける。

「これからずっと、あなたのお側でその身を守る栄誉が与えられることを、願っております」

 とうとう耐え切れずに神父はブラッドに背を向ける。歩き出し、極力明るい声を出して空気を変えようと試みるが、神父にそんな器用な真似ができるはずもなく、単に空回った声だけが往来に響く。

「そ、れは…試用期間を終えてみないと分からないですね!」

「はい、努力します」

 返ってきたブラッドの声は真剣そのものだった。

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