後輩の忠告
「先輩!」
数日ぶりにその声を聞いて、自然と肩の力の抜ける気がして、神父は足を止める。信徒や聖職者たちが行き交う修道院の広間でのことである。振り返ると、大きく手を振りながら駆け寄ってくる小柄な青年の姿が見える。すぐ後ろを小走りで付いてくる小柄な少女も一緒だった。
「テオ、スティカ。2人とも、こんにちは」
「こんにちは、先輩!」
「…こんにちは」
挨拶を交わし、向き合う一行。テオは神父の体をじっと見つめた後、朗らかに笑った。
「お元気そうで安心しました」
「ええ、おかげさまで」
悪魔信仰との戦いの後、様々な事後処理をテオが請け負ってくれたおかげで神父のやるべき仕事は随分と少なかった。優秀な後輩がそのように手配してくれたからに他ならず、こうして神父が通常通りの職務に当たれているのは彼のおかげといって差し支えなかった。
「本当に、あの時はありがとうございました。色々と手を回してくれたのでしょう?何と礼を言ったら良いか…」
「お礼だなんて!先輩がお元気でいてくださればそれで十分です」
「そういう訳にはいきません。何か欲しいものがあれば用意しますよ」
「そ、そんな…」
テオは困ったように頭を掻いた。当然、彼は見返りが欲しくて神父の世話を焼いた訳ではない。だが、神父がこういった性格であるのも承知しているので、何と答えたものか思案しているのだった。結局、良い案は思い浮かばなかったのか、テオは話題を逸らすように神父の後ろに立つ聖騎士に目を留めた。
「…では、お礼のことは考えておきますね。ところで、隣にいる方は…」
あ、と神父は思い出したように振り返る。彼の隣で会話に参加することなく、控えている聖騎士の存在を神父は束の間忘れていた。今日も今日とて護衛に励むブラッドである。ブラッドはその視線を発言の許可と受け取ったのだろう、テオに会釈しながら言った。
「先日より、神父様の身辺警護をいたしております。第三部隊のブラッドフォードと申します」
テオと比べると一層ブラッドの体格が逞しいものに見えるほど、2人の体格差は大きい。まるで子供と大人のようだ、とぼんやりと2人を見比べながら神父は思う。テオもまた、にこやかに相好を崩して見せた。
「ああ、挨拶が遅れて申し訳ありません!ぼくは第五位司教様に師事する22番目の使徒です。テオと呼んでください」
「テオ神父、初めまして」
言いながら、ブラッドは物言いたげに神父を見やる。何か、と問うように首を傾げる神父に、ブラッドはおずおずと問うた。
「お二人は、随分親しい間柄のようにお見受けしますが…以前から交流が?」
「ああ…」
人付き合いの狭い神父であることは、数日共にいただけで察したブラッドであるのだろう。そんな神父にこれだけ分かりやすく懐いているテオを不思議に思うのも無理はない。説明しようと口を開いた神父の言葉をテオが継ぐ。
「先輩には、神学校の頃から良くしていただいているんです」
付き合いの長さを誇るようなテオの言葉である。別に神父がテオの世話を焼いてきた訳ではないが、特別訂正するような内容でもなし、神父はそのまま口を挟まずに耳を傾ける。
「ぼくが悪魔祓いの道に進んだのも先輩の影響なんです!本当に素晴らしい方です、先輩は」
「ええ!それは本当に」
妙に意気投合してテオとブラッドが頷き合う。本人は自覚のないことで褒められて微妙な顔をしているが、そんなことには気が付いている様子もない。そんな2人を放っておいて、スティカが遠慮がちに神父の袖を引っ張った。
「あの、神父様…」
「はい、何でしょう」
勝手に神父の素晴らしいところを語り合い出したテオらの声を意識の外に追いやって、神父はスティカに向き直る。彼女はきょろきょろと辺りを見渡してから、神父を見上げて尋ねた。
「…護衛様、今日はいない?」
彼女が誰のことを尋ねているのかすぐに思い至って、神父は眉尻を下げた。無論、化け物のことだろう。彼女は随分と彼に懐いているように見えた。
「それ、ぼくも気になっていました」
唐突に会話に割って入ってくるのはテオである。テオははっと息を呑んで、それから期待に満ちた目でブラッドを見た。
「新しい聖騎士がいるということは…もしかして、アイツ、クビですか?」
以前より護衛の存在をよく思っていなかった風のテオである。顔を合わせる度にいつクビにする気なのだと尋ねてきていたが、とうとう本当に彼がクビになったと聞いたらテオはどんな顔をするだろう、と想像するとおかしくなって、神父は答える前から笑ってしまった。
「…ふふ、そうです。彼はお払い箱になりました」
「え」
ところが、神父の返答を聞いたテオの反応は、神父の予想を裏切って驚きと困惑に満ちた表情で目を丸くした。それは一瞬のことで、すぐさま彼は笑顔に戻って「それは良かった!」と答えたが、彼が言葉の通りに思っていなかったことは明白だった。
「その、度々お聞きするのですが、神父様の前任の護衛というのは、どのような方だったのでしょう?」
ブラッドが問うてくる。思わぬ質問に、神父、テオ、スティカの三人がブラッドを振り向いて数瞬沈黙した。
真っ先に答えたのはテオだった。
「無礼な男です!」
「…すごい強い」
続けてスティカ。順番的に自分が言うべきだと思う神父だったが、彼のことを何と表現したものか、最適な言葉は浮かばなかった。
「…よく分かりません」
「聖騎士ではなかったのですよね?傭兵ですか」
さらにブラッドが問う。彼が常々前任の護衛に対して対抗意識を燃やしているのは神父にもよく分かっていた。張り合うまでもなく、護衛としてはブラッドの方が優秀なのは間違いないのだから、そんなに気にする必要はないのに、と神父は思う。
「騎士としての実力は、共に戦ったスティカがよく知っているでしょう」
そう口を挟んだのはテオだった。ほら、と促すようにスティカを見やるテオの視線を受けて、スティカが頷いてとことこと歩み出る。2人は同じ聖騎士として顔見知りだったのか、そのまま顔を寄せ合って話し込む。今のうちに、とテオが神父の腕を引いて2人から距離を取った上で声を潜めて言った。
「本当に良かったのですか?」
「何がですか?」
「護衛のことですよ」
それ以外に何がある、とでも言いたげにテオは目を丸くする。だが、目を丸くしたのは神父も同じだった。あんなに早くクビにすべきだと主張していたのはテオの方だったではないか。
「お前も早くクビにした方がいいと言っていたじゃないですか」
「そりゃ言いましたけど…」
気まずそうにテオは眉尻を下げる。何となく、神父にも分かっている。テオは決して、前任の護衛のことを無能だと評価していた訳ではないのだ。単に気に食わなかっただけで、神父を家まで送ることを依頼する程度には信頼していたはずだ。結果として、それが神父と護衛の決別を早めさせてしまった訳だが、それは彼にも想像だにしない事柄であるだろうから、仕方ない。
テオは気を取り直したように首を振り、続けた。
「とにかく、今の護衛よりはマシです」
思わぬ指摘に、神父はテオの顔をまじまじと見つめる。ふざけて言っている訳ではないようで、説明を求めるような神父の視線に答えるように、彼は真剣そのものの表情で苦々しげに続けた。
「上手くは言えないのですが…嫌な感じです。もちろん、前のアイツも嫌な感じでしたけど、それより悪い」
「話が合っていたように見えましたが」
「とんでもない」
ぶんぶんと首を横に振り、それから一層神父に顔を寄せて声を落とす。ブラッドに聞かれないように配慮してるのだろう。そもそもスティカに彼の相手をさせているのも、こうして話す機会を得るためだった。
「もう正式採用なのでしょうか?今からでも、別な護衛に変えた方が」
「今は試用期間なのです」
堪らず、神父は答える。なんとなく、テオがそこまで言うような相手を自分で選んだ護衛だと思われるのは心外だった。テオは目に見えてほっとした様子で表情を緩めた。
「本当は、司教様の紹介を受けようと思っていたのですが、彼がどうしてもと言うので、試用期間を設けて採用するかどうかの判断を下すことにしました」
「…先輩って、本当に押しに弱いですよね…」
まぁぼくが言えた義理ではないんですけど、と押しの強い後輩は溜め息を吐いた。背後でスティカとブラッドの会話が終わりに近付いている気配を感じ取ったのか、テオはそのまま居住まいを正し、声量を普段通りに戻して言った。
「まぁ、でも安心しました。もし困ったことがあれば、いつでも相談に乗りますので」
「…ありがとうございます」
本心から神父は礼を述べた。二つ年下の後輩だが、神父よりも要領はいいし、頭も回る。彼に相談すれば大概の悩み事は解決できそうだった。生憎、神父の一番の悩みの種はそんなテオでも解決できない代物だったが、そんな彼の厚意が心底ありがたかった。
いえ、とはにかむテオの隣にスティカが戻ってくる。話が終わったのだろう。そのまま2人は任務完了報告があるので、と修道院の奥の方へと去っていった。元気に手を振る後輩に遠慮がちに手を振り返す。ここ数日塞ぎがちだった気持ちが晴れたような気がした。すっかり彼らの姿が見えなくなってから、ブラッドが口を開く。
「テオ神父と、何を話されていたのですか?」
スティカと話し込んでいる最中、2人で顔を寄せ合って密談していたのが見えたのだろう。正直に話す訳にもいかず、神父はブラッドの磨き上げられた鎧を見つめながら答えた。
「前の護衛の話です」
「その方のことですが…どうして解雇したのですか?なにか問題が?」
やけに食い下がってくる。不思議と問い詰められているような気持ちになってきて、神父の視線はだんだんと足元へと落ちる。どうして解雇したか、そうならざるを得なかった。問題は、大有りだった。だが──。
「多分、私に問題があったのだと……」
思わず口から出た言葉に、神父は自分で驚いたように口を噤んだ。ブラッドは怪訝そうに首を傾げたが、そのまま励ますように神父の肩に触れた。僅かに塞がりかけた傷口が痛むが、極力顔に出ないように精神を総動員して抑え込む。
「神父様に問題などあるはずがありません」
「…はぁ」
「俺は、前任の護衛よりも立派に任務を果たしてみせます!」
彼よりも、と神父の思考は飛躍する。果たして、この普通の人間である聖騎士が、広場を埋め尽くすような悪魔憑きを相手にすることができるだろうか?比べてどうする、と冷静な自分がすぐさま諌める。これではまるで、彼のことが……。
「あなたは既に、十分立派に務めてくれていますよ」
ぱあ、と餌をもらった子犬のようにブラッドの表情が華やぐ。その様に愛想笑いを浮かべつつ、肩口に乗るブラッドの手をそっと下し、神父は歩き出す。ブラッドはすぐさま追い付いて、隣に並んで軽やかな足取りで歩き始めた。




