押しに弱い神父様
いつものように教会本部の置かれる大聖堂に到着し、その正門を潜る。はるか見上げる高さにアーチの築かれる大扉の両脇には、厳しい面構えの門番が控えており、大聖堂を訪う人々を監視している。無論、大聖堂は信徒に開かれた信仰の場だ。出入りが無闇に制限されることはなく、当然ながら悪魔祓いと聖騎士の出で立ちを隠さない神父とブラッドが呼び止められることもない。ないはずなのに、神父はそのまま門を潜って後ろを付いてくる護衛の聖騎士を振り返って思わずまじまじと彼の姿を見つめてしまう。
「あの、ええと…あとは司教様への報告だけなのですが…」
遠回しに、付いてくる必要はないのでは、との提言であるが、そんな遠回しな言い方で出会って数日の聖騎士に通じるはずもなく、今日も彼は元気に頷いた。
「はい!お供します!」
「そうですか…」
化け物の護衛は、いつも正門前で足を止める。最初は、悪魔を自称するのだから、聖なる領域に入ることができないのだと思ったが、実際は悪魔を引き連れて聖域を闊歩することになる神父の心情を慮っていたことが最近分かって、大層腹を立てたのが記憶に新しい。妙に気配りができるかと思えば、その反対に驚くほど無神経な時もあり、その気まぐれさが猫を連想させると度々神父は思う。あの輪郭が猫だったなら、まだもう少しは怖がらずにおれたかもしれない、と六つに並んだ目を瞬かせる猫を想像して、やめた。それはそれで悍ましかった。
ともすれば、思考がすぐに飛びがちな神父の意識を戻すのは、ブラッドの嬉々とした声である。
「それに、神父様の師にも当たる司教様に御目通りが叶う機会はそうそうありません。神父様の護衛を務めさせていただくのですから、是非ご挨拶をしておかなければ」
「ああ…」
確かに、一理ある。他でもない神父自身が、司教に聖騎士の紹介を頼み込んだのだから、仮とはいえ報告には顔を出すべきだったかもしれない。一応、誰それという人物をひとまず試用期間を設けて護衛に選任した、とは当日の内に伝えてあるが、それでも。司教はただ分かったとだけ言ったが、そこに喜びも落胆も垣間見ることは出来ず、司教が現在の護衛であるブラッドにどのような評価を下しているのかは神父にも推し量れていない。ただ、同行していた女騎士に成り行きを聞いた司教は、「流されやすいのはお前の悪いところだよ」と苦言を呈した。その通りだと神父は反省した。今のところ、その反省は生かされていないが。
通例通り、神父は司教の部屋の扉を叩き、入りなさいという司教の声を聞いてから扉を開ける。「失礼します」と会釈しながら敷居を跨ぐと、そこには司教のみならず、司教自身の護衛を務める聖騎士2人も両脇に控えるように待機していた。女騎士と男の騎士とは沈黙したまま控えるのみだが、朗らかに微笑む司教は神父とその隣に立つ護衛のブラッドとを見て目を細めた。
この空間の意味を、神父は漠然と感じ取る。これは、新たな護衛の為人を見定めているのだろう。ブラッド本人もそれを感じ取ったのか、ごくりと生唾を呑み込んで、一層背筋を正した。司教が口を開く。
「まずは、任務ご苦労様。どうだったかな」
「恙無く」
目を伏せ、神父は答える。大抵の報告はそれで済む。とはいえ、司教が知りたいのはそんなことではないので、そのまま続ける。
「悪魔憑き一体と交渉の余地なく交戦状態になりました。戦闘は、護衛の彼が行っています。宿主を気絶させ、悪魔本体が出てきたところを聖水で浄化しております」
彼、と隣のブラッドを示しながら言う。特別褒めた訳でもなく、事実をありのままに言ったに過ぎないが、ブラッドはどこか照れたように身じろぎしている。司教が視線をブラッドに移した。
「君が、新しい護衛の聖騎士だね?」
「は、はい!第三部隊所属、ブラッドフォードであります」
「どうだろう、新しい護衛の仕事は?」
司教に直に話しかけられ、ブラッドは感激した様子で肩を震わせた。
「…!と、とてもやり甲斐を感じております…!以前より尊敬していた神父様の御身を、俺、いや私が守ることができる喜び、これは何物にも代え難いです」
「随分と我が弟子を買ってくれているようですね」
「当然です!」
食い気味に答えて、ブラッドは誇るように胸を張った。ご機嫌窺いやお世辞ではなく、本心からそう思っているらしかった。身の置き場がなく、神父は隣で渋い顔を隠せない。女騎士が同情するような目線を向けてきた。
司教は頷き、なるほど、と小さく呟いた。いかな評価が下されたのかは不明だが、とにかく話はこれで終わりらしかった。神父は一礼し、それに倣ってブラッドも胸に手を当てる聖騎士の敬礼をして見せる。そうして、短い報告は終わりを告げた。部屋からで出て行こうとする神父らの背中に、司教は朗らかに「頑張って」と激励の言葉を掛ける。元気よくそれに返事をするブラッドとは対照的に、何を頑張れば良いのやら、と眉尻を下げて司教を見やる神父だった。
任務完了報告を済ませ、まだ陽のある内に仕事を終えた神父がこれ以上修道院に長居する理由はなかった。手持ち無沙汰にしていると、奉仕活動に駆り出されてしまう。当然、聖職者の本分は奉仕なのでそれ自体が嫌いである訳ではないのだが、進んで引き受けようとも思ってはいない神父である。まだ隣をならんで付いてくるブラッドを見上げ、神父は言う。
「では、お疲れ様でした。明日もまた任務がありますから、今日はゆっくりと体を休めてください」
「ええ、神父様もお疲れ様でした」
またもやじっと目を見つめてくるブラッドの服の袖辺りを努めて見るように心がけ、何とか気まずさを低減する術を編み出した神父は、頷いて踵を返した。
「また明日…」
「神父様!」
呼び止められて、腕を掴まれる。さっさと帰るつもりだった神父は勢い余ってその場で地団駄を踏む。なんでこんなことをするんだ、ととにかく困り果ててブラッドを見返すと、彼は屈託無く笑って再び神父の隣に並んだ。
「ご自宅まで、護衛しますよ」
「えぇ…」
「だって、転んで怪我をされるかもしれません!」
子供か。思わず突っ込みそうになる神父はその言葉を呑み込む。実際、数日前の馬車事故の際の打ち身や擦り傷は「転んでできた傷だ」と説明している。変に突くと藪蛇だろう。とにかく、と神父は気を取り直す。流されやすいのは悪いところだ、と司教にも指摘されたばかり。この職務熱心な護衛の申し出は何としても断りたい。別段、神父は仕事仲間に自宅の場所を隠している訳ではないが、かといって誰でも家に招くような対人関係を築いている訳でもない。要するに、まだそこまでブラッドに心を開いていないのだった。
「いや、あの…家くらい1人で帰れますので…」
だが、心を開いていない相手には、あまり強く出れない神父である。弱々しい神父の主張など、ブラッドの笑顔の前には立て板に水。ずいとさらに神父に近寄るブラッドは、手持ち無沙汰にぶらつく神父の手を持ち上げて両手で包み込んだ。
「神父様が無事にご自宅に着いたことを確認しないと、俺は心配で体が休まりません!」
「わ、分かりました…」
即座に押し負けて神父が頷く。花が咲いたように歯を見せて笑うブラッドの眩しさに、真夏の太陽のような後光の幻覚を見る神父だった。
自宅までの道中、神父の命を脅かすような危険は無かった。そうそう毎日死にかける訳ではない、と神父は胸中でぼやく。だから護衛なんてなくても良かったのに。──せいぜい三日に一回くらいのことだ。
結局、ブラッドは本当に神父の住むボロアパートの前まで護衛を務め上げた。ここが、と呟く彼はどの部屋が神父の部屋だろうかと探すように道路に面した窓枠を見上げている。既に陽も傾きかけて、これ以上は彼を引き止められない、と神父は早々に別れを切り出す。
「では、本当に今日はお疲れ様でした。あなたも帰り道は十分お気を付けて…」
「あ、あの」
もう背を向けかけていた神父だったが、どこか神妙な口ぶりでそう切り出すブラッドの声を無視できない。渋々振り返り、言うか言うまいかを悩むように珍しく視線を泳がせているブラッドに向き直る。
「はい?」
「その…これを言うのは、もしかすると不敬に当たるやもしれませんが…」
快活な彼にして、その言葉は想定外で、思わず神父はブラッドの顔を見つめてしまう。目が合い、それが彼に勇気を与えたのか、ブラッドはどもりながら続けた。
「神父様は…神に愛されたお方なのだと思います。それは、喜ばしいことで…天上に近いあなたをもちろん尊敬しているのですが…」
ブラッドがいつものように神父の瞳を覗き込んでくる。目の合う時間が長引くほどに、神父はこの目で見つめられるのが苦手だと確信を強めている。そもそも人見知りの神父は、仕事以外で人の顔を見ながら話すのが得意でなかった。
「どういうことでしょう?」
「ですから…俺がお側にいるうちは、あなたがまだ神の国に召し上げられることがないようにと…そう思ってしまうのです」
「ああ…」
つまり、随分死にやすそうな男だと思われているということか。家まで付いてくると言ったり、悪魔祓いの最中でも戦闘を一手に引き受けていたのも、そういう訳があったのだろう。
「大丈夫ですよ」
特に根拠もなく神父は嘯いた。ブラッドの表情は晴れなかったが、暮れかけた夕陽の落とす長い影が、神父の背中を後押しする。
「ほら、もう影がこんなに長い。明日も任務です、今日はもうお帰りなさい」
「神父様──」
聖騎士はまだ何か言いたげだったが、大股にアパートの階段を登っていく神父の背中を見送り、それ以上追い掛けることはなかった。




