新しい護衛
「昨日は、出過ぎた真似をいたしました!」
出会い頭にそう叫び、直角に腰を折って頭を下げる現在の護衛、ブラッドフォードの頭頂部を見下ろし、神父は目を白黒させる。昨日はといえば、本部からの依頼で教会に配布するための聖水の聖成を行なっていた。怪我の具合を確かめるため、とブラッドに無理やり服を剥かれたりしたが、一日経って既に神父の気持ちは次の任務へと向かっている。平たく言うともはや忘れていた。だが、こんなに畏まって謝られては、さすがの神父もありのままを彼に告げる気にはなれない。ブラッドの声量に、広場を行き交う人々の視線が次第に集まりつつあるのを感じ、神父は慌てて言い募った。
「あ、頭を上げてください。そんなに改まって謝るようなことでは」
「いえ!思い返せば、取り乱して失礼なことをたくさん言ってしまいました。お叱りの言葉は、いくらでもお聞きします」
さすがに顔は上げてくれたので、人々の好奇の目線は離れていったが、しゅんと項垂れるブラッドの姿は、さながら飼い主の叱責を恐れる飼い犬のようで、ことさら彼を責め立てることなど神父にはできなかった。いっそ不遜にしてくれれば、こちらも怒りやすいのに、と脳裏に過ぎった金色の瞳の男の幻覚を振り払う。
「まぁ、その…私も護衛という方の職務を蔑ろにしていたかもしれませんね。護衛を頼んだのはこちらだと言うのに」
「神父様」
感激した様子でブラッドが呟く。いちいち反応が大袈裟で、神父はそれになんと返したものか毎回困っていた。ただ曖昧に微笑むと、それを許しと捉えたブラッドは安堵の表情から一転して厳しい顔付きで姿勢を正し、胸に手を当て敬礼しながら唱える。
「神父様のお慈悲に感謝し、一層任に励みます!」
広い訓練場で出すような大音量の宣言に、間近にいた神父はもちろん、通りすがりの往来の人々までもがブラッドを見やる。もう少し小さな声で、と伝えるつもりで行き場のない手を虚空に彷徨わせる神父だったが、ブラッドはそんな神父の様子に気が付くと笑顔でその手を握り返して頷いた。
「ええ!もちろん神父様には、傷一つ負わせはしません!」
「は、はい…では、今日の働きに期待しています…」
完全にブラッドのペースに呑まれている神父は、ただただ彼の発言に頷く他なかった。
今日の任務は、ブラッドの護衛としての試用期間が始まって以来、初めての悪魔祓いとなる。とはいえ、悪魔と戦うのは悪魔祓いである神父であり、聖騎士であるブラッドは通常悪魔祓いにおいてすることは少ない。
──そう、神父は考えている。そもそも、これまで特定の護衛を持たなかった神父であるし、化け物が護衛を名乗っていた時分でも、彼は悪魔祓いの仕事に関して介入することは稀だった。あくまで、神父が死にそうになった時だけ手を出す。だから、神父の方にも護衛とはそういうものだという思い込みがある。実際、テオやスティカ、レオンハルトと聖騎士たちは、悪魔憑き1人と相対する時にも協力を欠かさず、とどめを刺すのが悪魔祓いである神父たちだという点は共通しているものの、聖騎士は決して傍観者ではない。
なので、道中で妙にやる気に溢れるブラッドを見ても、神父は何故彼がそこまで張り切っているのかも分からなかったし、悪魔憑きと対峙した際、啖呵を切って神父を庇うように立ち剣を構えたブラッドを見て、神父本人は困惑を隠せなかった。
「おのれ悪魔め!神父様には指一本触れさせん!」
「え、あの」
「ふはは、愚かな人間共め、八つ裂きにして食ってやる」
「ちょっと」
「できるものならな!」
そうして、神父を置いてきぼりにして、聖騎士と悪魔憑きが戦い始める。悪魔憑きとはいえ、憑かれた人間は善良なる信徒である。その者は保護すべきであるし、人殺しを禁じる主神教において聖騎士が悪魔を狩る仕事の中核を担うことがなかったのは、彼らの扱う武器の数々があまりに殺傷能力が高いためだ。しかし、ブラッドは随分と剣の扱いを心得た武人であった。銀の剣で攻撃の大半を弾きつつ、その柄を叩き込んで的確に悪魔憑きの動きを封じていく。しまいには、ブラッドの強烈な蹴りが悪魔憑きを吹き飛ばし、壁に叩き付けて、宿主の方が伸びてしまった。気絶して動けなくなった宿主の口から、黒い悪魔の本体が這い出してくる。
「神父様、今です!」
呆然と成り行きを見守っていた神父は、ブラッドにそう声を掛けられてはっとする。確かに今だろう。慌てて聖水の小瓶を取り出し、悪魔に振りかける。黒い塊は苦しそうに悶絶した後、そのまま風に吹かれるように細かな塵となって霧散していった。
なるほど宣言通り、ブラッドの初任務は、神父に擦り傷一つ負わせることなく完了したのだった。
それは、本来喜ばしいことであり、神父と護衛のあるべき姿であるはずだった。だが、どうもやり辛い。任務を終え、帰途に付く神父とブラッドであるが、ここでもブラッドの気遣いが発揮されて、神父様は車道側を歩くべきではありません!と馬車とすれ違う際にも歩道の奥側へと誘導されてしまう。そんなにしてもらわなくてもいいのに、とは言い出せない神父である。
大抵のことは1人でやってきた神父であるし、これからもそのつもりだ。それに、あまり献身的に尽くされても、神父の方が返すものがない。釣り合いの取れた関係なら、彼の甲斐甲斐しい護衛も甘んじて受け入れられたかもしれないが、基本的に人からの厚意の受け流し方を知らない神父は、対価に見合った報酬を用意せねば、後腐れが生じるものだと考えている。そのことを思うと、またちくりと首の傷が痛むので、神父は遣る瀬無い気持ちを溜息にして吐き出す。
「まだ傷が痛みますか?」
それを耳聡く聞き付けたブラッドが神父の顔を覗き込む。耳聡く、とは言うものの、護衛の任の為か、肩が触れ合うほどの距離に並んで立つブラッドに、神父の溜息が聞こえないはずもない。迂闊だった、とこちらは胸の内で舌打ちに止める神父である。
「ああ、いえ。お陰様で随分と楽をさせていただきましたので」
実質、神父のやったことは、小瓶の蓋を開けて中身を空けただけである。儀式前の口上すら上げなかった。ブラッドは人懐っこい笑みを浮かべて頭を掻く。
「お役に立てたのなら、良かったです」
そうして、ブラッドは焦げ茶の瞳で神父の目をじっと見つめる。なんとはなしにその視線を覗き返してしまう神父は、目を逸らすタイミングを失って妙に落ち着かない。眼鏡越しとはいえ、好意に満ち満ちたブラッドのその視線が神父にはどうも苦手だった。愛おしむような、何かを期待するようなそれは、どうしようもなく神父を焦らせる。
「あの…」
「はい」
ブラッドは神父の目の奥までを覗き込むように見つめたまま頷く。とにかく物を言わなければと口を開く神父だったが、唐突にその耳が石畳を踏む車輪の音を拾って意識が逸れる。それをきっかけに視線を逸らして、神父は後ろから迫る馬車を振り向いた。
「…馬車が。少し避けましょう」
「そうですね」
にこりと微笑む聖騎士は、素直に神父の言葉に従って並んだまま歩道の端に寄る。もう一度彼の顔を見上げる勇気はなく、そこから教会までの道を神父はひたすら足元の石畳を数えながら歩くのだった。




