とある廃村での戦い
※ふんわりとした拷問シーンがあります。
『相談』とやらを終えた神父は、思い詰めた様子で青い顔をしていたが、対照的に護衛の方は晴れやかで上機嫌な表情を隠さない。一体何が、とは聞けないテオである。最初に聞かれたくないと宣言したのは先輩神父であるのだから。とはいえ、彼の心配をするくらいは許されるだろう、と神父のそばに歩み寄る。
「先輩、大丈夫ですか?」
「ええ、ええ。問題ありません、問題ありませんとも」
問題のない人間の返答にしてはあまりに不自然だが、その言葉をテオはそれ以上疑えなかった。神父は一つ息を吐き出し、そうして居住まいを正した。
「状況は最悪ですが、生存者を見捨てるのは罪深い。私は彼らを助けに向かおうと思います」
先までの消極的な意見とは一転、神父は青ざめた表情ながらにそう述べた。聖騎士二人は神父の足元に縋り付く勢いで彼を見上げたが、神父自身も決してこの判断が最良とは思っていないようだった。テオは思わず声を上げる。
「先輩、お気持ちは分かりますけど、ぼくらに勝機は…」
「…護衛の名は、誰にも知られていません」
護衛の方を見向きもせず、神父が言う。あっ、と声を上げるテオに代わって、スティカが問う。
「神父様も護衛さんの名前知らないの?」
「知りません」
「い、今までよくそれで一緒に仕事してましたね…」
テオの不躾な視線はさておき、言い訳としてはこれで十分か。人間が相手にするなら眷属の数は脅威だが、化け物が相手になるなら話は別だった。ただ、それなりに人間らしく擬態してくれるのを祈るしかないが、その辺りは護衛とて上手くやるだろう。
テオは神父の心変わりを特別不満がるでもなく、それならば、と顎に手を添え新たな方策を考え出すつもりのようだった。敵の数が、とか人質の生死が、とかをぶつぶつと呟く彼を尻目に、護衛はさっさと先に進もうとしている。ちょっと、と声をかける神父に呼び止められてようやく足を止めた護衛に、テオは肩を怒らせて凄む。
「あのですね、いくらアンタが名を知られていないとはいっても、相手は無策で突っ込んでどうにかなる者たちではないんですよ」
「無策とは言うがなぁ」
テオの剣幕にもさほど堪えた様子のない護衛は、視線を彷徨わせた後、テオの後ろに控えるスティカに目を留めて言う。
「じゃあ、こうしよう。まず、俺と嬢ちゃんで突っ込む。神父様がたが怪我人を回収する」
「あ、アンタは良くてもスティカは良くありません!」
慌ててスティカを庇うように両手を広げて後ずさるテオに、スティカの方がそれを押し退けて頷く。
「護衛さんがそう言うなら、頑張る」
「す、スティカ」
「決まりだな」
勝手にそう決めて、護衛とスティカは先頭を並んで歩き出す。神父、テオとレオの聖騎士二人は、その後を狼狽えながら付いて行くのだった。
酷い有様だった。そうとしか言いようがない程に、血と臓物、泥に塗れた死人の首、誰の物とも判別の付かない吐瀉物とが周囲には飛び散り、撒き散らされて、それらの上にトマスとレオは転がされていた。かろうじて息があるのは、まだ有益な情報を持っていると判じられているためで、それが拷問によって聞き出せるものと眷属たちが信じているからだ。隣に転がっていたトマスと目が合う。彼は早い段階から心底怯えきって、しきりに逃がして欲しい、助けて欲しいとそればかりを口にしていた。そのため、殴られればその分仲間の名前を吐いたし、同行した人数と職務まで事細かに口走った。とはいえ、彼も若手の名までは知らないようで、その件に関してはレオに責め苦が集中した。
ところが、レオンハルトは何事も話さなかった。不気味な男が彼の名を呼び、命じたとて、彼が神父やテオの本名を悪魔の眷属たちに明かすことはなかったのである。何故、と狼狽えた様子の取り巻きの眷属だったが、不気味な男はすぐさま合点がいったように頷いた。
「なるほど、さすがは本部の悪魔祓い、魂の練度で私を上回るか」
「そ、その通りだとも、このレオンハルト、主神の教えを説く使徒にして、悪魔を祓う最前線で戦う騎士…!貴様らとは魂の練度が違うのだ」
かつて何度も口にしてきた口上である。魂の練度で勝れば、名を知られたとて悪魔の命令に屈することはない。レオはこれを迷信に近い御伽噺だと思っていたが、今確信した。これは真実だ。そして、幸か不幸か、レオの魂は悪魔の命令に抵抗し得る練度を備えていた。──不幸なものか、と自答する。悪魔に屈するなど、主神への裏切りと言える。聖職者が立てる三つの誓願は貞潔、清貧、そして服従だ。主神にのみ忠誠を誓い、それ以外の宗教、あるいは悪魔の囁きに耳を貸すことはない。レオの魂は、今まさに試されている。
「では、私の命令を聞くまで、魂を穢すより他ない」
不気味な男は淡々と告げる。どう言う意味だ、と問い質そうとして、レオは地面に引き倒される。他の眷属たちも集まってきて、レオの手足を押さえる。何が起こっているのかと懸命に視界を巡らせること数秒、聖騎士の屍肉を引きちぎり、その腕を掴んで持ってくる眷属の姿が目に入る。何が起ころうとしているのか、全く見当も付かなかったが、それだけ恐ろしいことが起きようとしているのだという予感だけはしていた。死体の腕を持ってきた眷属の男が、地面に引き倒されたレオの腹の上に座りながら問うてくる。
「なあ、レオンハルト神父。猪の肉って食ったことあるか?」
「は、はぁ?」
「俺は猪、食ったことないから知らないけど」
言いつつ、眷属はレオの目の前で聖騎士だった人間の腕から更に指をちぎり取る。一体その行為と今の質問に何の関係があるのか、と訝しんでいるうちに、眷属の男がちぎった指をレオの口の中に捩じ込む。
「──、──!!」
「似てるらしいぜぇ、人間の肉と猪の肉の味!教えてくれよ、どんな味だったか」
口の中に押し込まれたものの感触が、舌の上で鮮明に理解出来てしまう。関節と、皮膚と、爪と、鉄のような血の味も混じって、ひたすら不快だった。そうして、察する。魂を穢すというのは、主神の忌むべき行為を強制するということなのだと。道徳的に、倫理的に、人の道を踏み外させて、レオンハルトという男の魂を地獄へ誘おうとしている。
何度も吐き出そうとしたが、口を塞がれて吐き出すことができない。何度も固形物がそのまま喉の奥まで滑り込んで、その度に胃の中のものと一緒に嘔吐いて口の中に戻した。息ができない。口の端から吐瀉物が溢れ出る。生理的な涙が溢れ出て、一層眷属たちが面白がって笑っている声が遠くに聞こえた気がした。
永遠に続くかと思われた責め苦は唐突に終わりを告げて、レオは解放された。口の中の物も、胃の中の物も、全てが悍ましくて吐き出す。咳き込む。鼻からも目からも色んな体液が零れ出るのを感じたが、構っていられなかった。今、助けてやろうと言われたら、そのまま頷いてしまいそうだ。だが、それはならない。悪魔に屈してはならない。ひいては、それが彼らの身の危険を脅かすのであれば──
「どうだ、神父様?少しはいい子にする気になったか?」
眷属の男が問うてくる。レオは肩で息をしながら、男を睨み上げた。
「しゅ、主神の怒りに焼かれよ」
「おお、中々頑張るな」
敵ながら感心した様子で眷属の男が唸る。捧げた信仰はこの程度で屈するものではないのだ、と胸中でレオは吐き捨てる。来るなら来い、死ぬまで主神に捧げた忠誠が揺らぐことはない、と決意を新たにするレオの気概とは裏腹に、眷属の視線はレオから外れて、隣で啜り哭くトマスに向けられていた。
「それじゃあ、代わりにトマス神父に頑張ってもらおっかなぁ」
「え、ぼ、ぼくは、彼らの名を知りません」
名を呼ばれ、眷属の視線が集中したのを悟ったトマスは、震え上がってそう訴えた。彼は既に悪魔に屈し、ひたすら命乞いをするだけの男に成り下がっている。成り下がったとはいえ、レオは彼を軽蔑する気はない。彼には帰りを待つ家族がいるのだ。彼の命は家族に捧げられ、彼の忠誠は主神に捧げられた。それだけの話だ。
だが、レオは己に対する責め苦であれば耐える気でいたが、トマスにまでその苦行を背負わせることはできなかった。いっそ、それは全くの無意味だと無関心を装って見せようか、とも思案して、思い留まる。そんなことをしたら、眷属たちはトマスを生かす意味を見失うだろう。情報を持っているから生かされているこの状況。トマスにこれ以上の利用価値がないと判断されれば、眷属たちは早々に彼の命に見切りを付けるだろう。レオが反抗的なのに殺されずに生かされているのは、この地に来たという悪魔祓いの名を唯一知っているからだ。──助けが来るかは、定かでない。否、来ないと思った方が良い。レオだって逆の立場なら見捨てている。名を知られることの危険を説いていた眼鏡の神父である。レオやトマスの口から、自らの名が割れていると予想するのは当然だろう。
「れ、レオンハルト、彼らの名を言ってくれ。お願いだ、助けてくれ」
「…できません…」
「ど、どうかお許しを、レオンハルト、ぼくは死にたくな、ああ、お願いします…」
思わず目を逸らしてしまうレオの耳に、トマスの聞くに堪えない悲鳴が届く。レオと同様の拷問を受けているのだろう。耳を塞いでしまいたかったが、それをする資格は己にはないと鋼の精神で律する。
終わりが見えなかった。レオは神父らの名を告げる気がなく、眷属はレオらが情報を吐くまで殺す気がない。どれだけそうしていたのか、もはや時間の感覚も失われて久しい。彼らがここに来ることがないなら、名くらい言ったところで大きな問題はないのでは?と誰かが囁く気がした。これが悪魔の囁きだろうかとレオは漠然と思う。穢らわしい悪魔め、そのような戯言に私が付き合うとでも?我が魂は主神に捧げ、天上に招かれると決まっているのだ、そのような妄言に付き合っている暇は──。
がつん、と固いものがぶつかる音がして、レオの意識は覚醒する。音の出所を探して周囲を見渡し、自分を取り囲む眷属たちもがその音の方向に顔を向けていることに気が付く。なんとか頭を起こし、居並ぶ人の隙間から見えたのは、いつぞやかに馬の骨と馬鹿にして見下していた眼鏡神父の護衛の男だった。
「な、なんだ貴様は!?」
「聖騎士…じゃない、こいつ剣を持っていないぞ」
武器も使わず、げんこつで眷属の一人を沈めた護衛の男に、残りの眷属たちは蜂の巣を突いたように怒号を上げる。その小脇から飛び出す小柄な少女が流れるような軌道を描いて2人目の眷属を斬り伏せる。あっという間に数の有利を失い、残された眷属2人は目に見えて狼狽えている。不気味な様相の男の方が、無言で残った眷属に目配せすると、それは倒れるレオを抱え上げて大きく飛びすさって古い家の屋根の上まで退避した。人質にしようというのだろう。続けて不気味な男が命じる。
「トマスよ、命じる。忌まわしき主神の犬共を足止めせよ!」
「ひ」
その言葉に応じて、それまで潰れたように倒れ伏していたトマスが起き上がる。亡霊のように両腕を突き出し、そのまま護衛とスティカに向かって走り出す。スティカが僅かに怯んだ様子で唾を飲み込む。それを見咎めてか、護衛は小声で少女に告げる。
「嬢ちゃんは、金髪の神父様の方を頼めるか?」
「……がんばる」
「よーし、いい子だ」
さっと二手に分かれ、スティカは並外れた身体能力でレオを人質に取る眷属が立つ屋根の上へと飛び上がる。一方、よたよたと向かってくるトマスを早々に容赦なくげんこつで殴り倒して、護衛はそのまま不気味な男へと狙いを変える。
「な、なんだ貴様…あり得ない、そんなことはあり得ない!」
ところが、不気味な男は打って変わって顔色を悪くして後ずさる。この頃になると、村に潜んでいた悪魔憑きがそこかしこから沸いて出て、眷属の手助けをすべく地上の護衛や倒れるトマスに殺到していたが、それは聖水の力で悪魔を退ける神父とテオの両名が食い止める。レオの聖騎士2人も、本来騎士として素晴らしい力を有している。彼らはテオと神父をよく補佐し、その身を銀の剣で守った。
混乱の最中、不気味な男は護衛の男に向かって怒鳴る。
「どうしてこんなところに」
「あ?どっかで会ったことあったか?」
対する護衛は笑顔で拳を鳴らし、聞く耳を持たない。更に男は後退り、それまでの余裕などかなぐり捨てて叫んだ。
「…『ルミエール』!私を守れ!この化け物を足止めしろ!」




