お願いとその見返り
廃村の西側に向かった神父らは、崖上から村の全体を俯瞰できる位置に身を潜めていた。廃村とは言うものの、生活の色濃いそこでは崩れた家屋が補修され、橋や柵といったものすら修繕されている。人の手が加わっているのは明らかだった。
「というか、ここまで隠れるつもりのない悪魔信仰も珍しいですね」
立ち昇る炊事の煙の数を数えつつ、テオが言う。神父は懸命に目を細めながら村の様子を見下ろしつつ頷いた。
「辺境ならではの人手不足が原因でしょう。廃村に人が集まったとて、見にくる者がなければ露呈はしない」
「そんな異端の芽を早くに見つけてしまうんですから、さすが先輩です!」
相変わらずテオは調子がいい。護衛が背後で笑った。
「運がいいんだか悪いんだか」
「む、いいに決まってるだろ!」
護衛に食ってかかるテオだったが、護衛の方は肩を竦めただけでそれ以上の言い争いには発展しない。張り合いのない相手にテオは絞り出すような声を漏らす。スティカがテオの肩を叩いた。
「護衛さん、テオより大人、だから諦めて」
「はぁ〜〜!?ぼくが子供だって言いたいんですかスティカ!」
「テオ、テオ、声を抑えなさい」
いかに距離があるとはいえ、人外の力を得た眷属が並外れた聴力を有している可能性もある。単体で相対したとして、スティカ、テオがいれば眷属などさほど脅威でもないだろうが、数が増えればその分危険は増す。囲まれることは避けなければならない。
「なあ」
そんな折、その護衛が珍しく声を上げて身を乗り出す。その視線を追って一同が再び村に注意を向けると、何やら村の様子が一変していた。それまで往来に人通りはなく、一見慎ましやかな村の様相を呈していた廃村は、1人、また1人と住人たちが家屋から顔を出し、村の東側へと向かっていく。護衛は遠い何かを見るように金の瞳を細めた。
「村の反対側、なんか騒がしいな。聞こえるか?」
護衛が問うが、耳を澄ませてもテオや神父にはなんら聞こえる音はない。スティカだけは頷いて、護衛同様に身を乗り出して崖下を見下ろす。
「遠くてちゃんとは聞こえないけど…誰か、怒鳴ってる?」
「お、嬢ちゃん、耳がいいな」
唐突に褒められて、スティカはほんのり頬を染める。テオが慌てて声を上げた。
「で、でしたら!様子を見に行きましょう。もしかしたら、レオ神父たちに何かあったのかも」
言いながら、テオはスティカの腕を引き、ぐんぐんと先を進む。引き摺られる形となるスティカは不満げながら大人しくその後ろを小走りで付いていく。神父も遅れてその後に続き、護衛は悠々と最後尾を歩いた。
さほど大きくない廃村とはいえ、村の西側の崖から回り込んで東側に向かうのは並大抵のことではない。元より身体能力の高いテオとスティカにはそうでもなかったが、彼らの軽やかな足取りに必死で付いていく神父は既に息も上がって汗だくだった。護衛がその後ろを歩きながら笑う。
「お前ほんと体力ないよな」
「う、るさいですね。分かってますよ」
「担いで行ってやろうか?」
「絶対やめてください」
魅力的な提案だが、それをテオやスティカに見られては神父の沽券に関わる。いや、古来より悪魔とはそういう生き物だった。甘い誘惑で人を惑わし、孤立させていく…いや、そんな大層な話ではない。この男は、単に困っているのに強がってみせる神父を見るのが好きなのだろう。やはり悪魔だ。底意地が悪い。
そうこうしているうちに、先を行くはずのテオとスティカの背中が見えて、待たせてしまっただろうかと神父は軋む肺に鞭打って足を速める。予想に反し、追い付いた神父ではなく、何故かレオンハルトの護衛の聖騎士2人と向かい合っていた。何故彼らがここに、と神父がテオやスティカの表情を見やると、揃って2人は青い顔をしている。レオの聖騎士に至ってはもはや土気色の顔で荒い呼吸を肩で繰り返しており、並々ならぬ事態なのだということだけが察せられた。
「あなたたち、どうしたのですか?」
とはいえ、聞かぬことには分からない。神父が声を上げると、その存在に気が付いたらしいテオとスティカが振り返り、同時にレオの聖騎士2人も顔を上げた。特に聖騎士2人は縋るように神父を見上げ、そうして地面に飛び付くように頭を下げた。
「し、神父様…!どうか、どうかレオ神父様をお助けください!」
「え?」
話が見えずに目を白黒させる神父に、テオが神妙な顔付きで続ける。
「東側の偵察で、眷属と交戦状態に入ったそうです」
「眷属」
「既にトマス神父の連れていた聖騎士2名は死亡しています」
それで、と神父は土気色の顔をした聖騎士2人を見下ろして合点が行く。眷属というのは人外の力を得ているが故に、殺しの方法も凄惨だ。戦った聖騎士の死体が五体満足で残らないことも多いと聞く。
「何故、お二人を残して…?」
トマスとレオ、そうして彼らがそれぞれ連れてきた聖騎士が合わせて四名。武器を持つ聖騎士がその場を離脱し、聖水を持っているとはいえ、非力な悪魔祓い二人が眷属との交戦の場に残されたことになる。純粋にどうしてそうなったのか気になった神父の問い掛けだったが、それを叱責と受け取った聖騎士二人は一層縮こまった。
「申し訳ありません…!」
「我らの力が及ばず」
「あ、ああ、そういう意味で言った訳では」
神父は慌てて訂正の言葉を入れる。
「助けに行くにしても、向こうの状況を知っておきたいのです」
極力聖騎士を刺激しないように言葉を選んで神父が告げると、聖騎士らはお互いに顔を見合わせて言葉に詰まっている様子だった。神父は信者にするように、彼らのそばに膝を付いて目線を合わせる。
「…け、眷属の一人が、トマス神父の名を聞き出したのです」
ようやく聖騎士の一人が震える声で語り出す。名を、と瞬時に険しい表情になる神父とテオだが、もう一人の聖騎士が堰を切ったように続けた。
「不気味な男が、トマス神父の名を呼んで命じると、トマス神父は付き随った聖騎士の名前を明かしました。そのまま、レオ神父の名まで…!」
「男が名を呼んで命じると、聖騎士の一人は自害したのです。レオ神父は、我々に逃げよと命じられて…無様に逃げることしか、できませんでした…!」
聖騎士が血が滲むまで唇を噛む。実際、大量の悪魔憑きに囲まれて、眷属に嬲り殺しにされそうになったことのある神父は彼らを責められない。恐ろしかっただろうし、逃げるしかなかっただろう。テオが腕を組みながら言った。
「恐らく、レオ神父はあなた方の名がトマス神父から漏れるのを危惧したのでしょう」
「え」
「その場合、名をもって命じられたあなた方は、聖騎士でありながら悪魔の眷属の手下となって戦わせられていた可能性が高い」
神父がその言葉を継ぐ。目を剥く聖騎士らに、テオはなおも理路整然と続けた。
「万一、誰かが救出に向かったとして、名を知られ、眷属の手下と化したあなた方を助けることは難しい。亡くなった二人は残念ですが、これは見せしめといったところでしょう」
冷徹にも思えるほど淡々とそう述べるテオの言葉を聞いて聖騎士二人は一層青ざめる。単に、彼らの命を慮ってレオは二人を逃した訳ではないのだ。だが、そうと分かったところで、彼らにできることは無いに等しい。
テオは真剣な表情で神父に向き直る。
「ぼくは、トマス神父たちの救命は不可能だと思います」
「テオ」
スティカが縋るように彼の名を呼び、聖騎士二人は蒼白となって若い神父を見上げる。だが、彼らは強く声を上げる立場にない。そもそも名を明かすことの危険性を事前に説いていた神父とテオに、それを軽んじたレオやトマスのために危険に身を投じてくれとは言えないのだ。神父も概ね同意見だった。
「急ぎ、本部への応援を要請し、更に大人数での掃討戦が妥当といったところでしょう」
「神父様まで」
「確認できた眷属の数は」
神父が問うと、聖騎士は青い顔のまま答える。
「四人…」
「レオ神父は我々の名を知っています。ならば、我らの名も眷属らに知られていると見るのが無難でしょう。そこに飛び込む利は薄い」
「うっ」
耐え切れず、聖騎士の一人が泣き出してしまう。大の男が泣くほどのことだ、彼はそれだけ望みに賭けて神父らに助けを求めたのだろう。スティカも物言いたげにテオと神父を見ているが、彼女にも状況は分かっている。名だけで自害を命じられるような眷属となれば、それは彼らが出会った中でも指折りの魔力的な強さを持つ悪魔に他ならない。
淡々としているように見えて、テオとて助けてやりたいのは山々だった。いけ好かないとはいえ、死んでしまって構わないと言えるほどにテオも無慈悲な男ではない。仮にも聖職者。救える命を見放すことが、辛いのは誰もが同じだ。神父にしてもそれは変わらない。聖騎士二人に泣き付かれた形とあっては、このまま自分たちは生き延びたとして後味は悪いだろう。
神父は背後に立つ護衛を盗み見る。しっかりと目が合った護衛は、普段の人を食ったような笑みでもってそれを見返す。溜息を吐いて、神父は護衛の腕を掴んだ。
「…ちょっと、相談してきていいですか」
了承を求めた相手はテオと聖騎士らである。テオは目を丸くして、一方聖騎士は期待に満ちた目で神父を見つめる。
「えっ…も、もちろん構いませんが、ぼくは…」
「護衛と二人で話したいことが」
暗に聞かれたくないのだと言えば、テオは不承不承ながらおとなしく引き下がる。不安と期待の入り混じる視線に見送られ、神父は護衛を連れて一行から離れた木々の合間で向き合う。現状を面白がっている風な護衛に向かい、神父は言い出したくないのを懸命に堪えて口を開く。
「一応聞きますけど、積極的にどうにかする気はありますか?」
「単に堕天が暴れてるなら、お前らを憐れんで助けてやる気はあったが、眷属となるとそこには人間の意思がある。俺の管轄じゃあないな」
独自の理論でもって答える男に、敢えて事態に介入する気のないことは想定内だった。神父の命に関わることなら積極的に手を出す化け物は、しかしそれ以外のことには大抵無関心だった。人助けのために地上にいる訳でない。そもそも悪魔なのだから、人助けなどするはずもないが。神父は顔を顰める。
「それは…例えば、私が…お願い…しても、変わらないものでしょうか」
「お願い?」
護衛が肩を揺らして笑い出す。これは不機嫌な方の笑いだ、と神父は直感した。
「俺は召使いじゃねえ。俺に命令できるのは俺自身と王だけだ。だが、そうだな。俺をその気にさせたなら、お願いとやらも聞いてやってもいい」
久々に、全身に冷や汗の滲む感覚で神父は化け物の前に立っている。良好な関係を築けていたと勘違いしていたが、それは一度高波に攫われてしまえばあえなく転覆するような、危うい平穏だったのだ。
神父は震える声で続けた。
「…私の…」
「うん?」
「私の裁量でどうにかなるものでしたら、差し上げます…から、だから、どうか、彼らを助けてはくれないでしょうか…」
清貧を誓願として立てる神父に持てる財産は少ない。日々せっせと稼ぐ悪魔祓いの報酬でさえ、教会に寄付金として献上している。それが後に位階となって神父の将来を約束するのだが、そもそも化け物は金に興味はないと最初から公言している。となると、彼が欲しがるのは神父の魂ということになる。寿命が尽きる前に神父を手ずから殺してしまうような無粋は、化け物の性格からしてしないだろうと高を括っての条件だが、果たしてそれによって護衛が何を要求してくるのか、神父には見当も付かなかった。
額にじっとりと冷や汗を浮かべ、震えながらそう提案する神父の姿は、とにかく化け物の目には好意的に写ったらしい。護衛は一点、表情を明るくして白い歯を見せて笑った。
「いいぞ」
「それじゃあ…」
つられて表情を緩め、肩の力が抜けかけた神父の胸倉を乱暴に掴み、護衛が笑顔のままに続ける。
「『味見』、させてもらうから。そのつもりでな」
ぱっと手を離し、護衛はテオらが待つ方向へと歩き始める。今更、神父は軽率な取引を申し出たことに激しく後悔するのだった。




