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天国か地獄か  作者: 垓
21/55

レオンハルトの受難

※割と軽率に人が死にます

「君たち、仲悪いのかい?」

 そう尋ねてくるのは、向かいに座るトマス神父であった。レオは憮然とした表情を隠せなかったが、それでもどうにか取り繕って愛想笑いを浮かべて見せる。

「仲が悪いという訳では…。まぁ、良くはないかもしれません」

「小さい子はともかく、眼鏡の彼は悪魔祓いとしてはほぼ同期だろう?」

 それが問題なのだ、とは口には出さずに胸の内に秘める。きっと、あの眼鏡の神父が同じ時期に神学校におらず、同じ時期に悪魔祓いになっていなければ、こんなに気に入らないこともなかったはずだ。同時期に悪魔祓いとして台頭してきた二人はいつも比べられ、同時にレオの耳には眼鏡神父の素行だとか評判だとかが絶えず入ってきた。人付き合いが悪く、金にがめつく、模範的な使徒とは到底呼べない振る舞いの数々。そんな彼が聖成の儀でレオより優れた才覚を発揮するのが信じられない。もっと言えば、「神に愛されている」のが理解できない。捧げた祈りの数と時間はレオの方がはるかに多いはずで、今生で評価されているのなら間違いなくレオは一番に神に愛されて遜色ない努力と信仰を神に捧げてきたはずだった。

 だが、聖成の儀の可否を決めるのは今生の信仰ではなく魂が辿ってきた業の数々であり、それは前世だとかそういったレオの努力とは無縁の位置に存在する事柄であった。あるいは、来世でレオの魂は神に愛される練度に達するのかもしれないが、それでは意味がないのだ。そう思うと、努力もしていないのに神に愛されたというただそれだけで、与えられている眼鏡の神父に腹が立つ。

「…彼の振る舞いは色々と目立つので」

 それだけに言葉を濁してレオは囁く。うんうん、と力強く頷く両脇の護衛は付き合いも長く、レオの才能に心酔してくれている。いわゆる太鼓持ちといったところだろうか、少々権威をかさにきているきらいはあるが、基本的には正直者で好感の持てる者たちである。トマスはそういった一切を知る由もなく、素直にそうだね、と腕を組んだ。

「眼鏡の彼の話は、神学校の頃からぼくたち現役の悪魔祓いの耳にも届いていたよ。とんでもない『愛され方』をした子がいるってね。だが、同時に、早死にするだろうとも言われていた」

「ああ…」

 その話はレオも知っていた。神に愛され、祝福された人間は、聖成の奇跡を賜る。同時に、神に気に入られたその魂は、現世で穢れる前に天上に召されて行くのだと。正式に教典としてそのことが明記されている訳ではないが、その法則性は明らかだった。数年、あるいは十年以上の間隔は空くが、聖成が異常に早く正確な人間が度々現れる。そういった者は将来を有望され、期待の内に教会の職務に就き、そうして早くに不幸な事故で死んでいく。神に愛されたから、と人々はその死を惜しんで口々に言うが、果たしてそうだろうかとレオは考える。それなら、レオにも早くに迎えが来てもおかしくはない。多分。

「しかし、彼は生きています」

「そうだね」

 トマスはやんわりと微笑む。他愛もない話をしているつもりなのだろう。レオは無理やりに話題を変えた。

「…トマス神父は、悪魔祓いとして働いて随分長いとか」

「ああ、そうだね。かれこれ20年ほどになる」

 悪魔祓いは、当然危険な職務である。途中で命を落とす可能性もあるし、身体能力の衰えを理由に前線を早くに退く者も多い。レオの指摘を深読みしてか、トマスはそのまま続ける。

「本当は、もう辞めた方がいいと妻や子供にも言われているのだけど…」

「ご家族がいらしたのですか」

 レオはもちろん、テオ、眼鏡の神父も独身である。清貧、貞潔、従順とは、主神に捧げる誓願である。だが、それは聖職者になる前の婚姻を禁ずるものではなかった。司祭として正式に叙階を受ける前であれば、婚姻をすることは可能で、叙階を受けた後にこれを結ぶことは禁じられた。

「ああ、そう。家族がいると、稼ぎが必要で、なかなか辞められなくて」

 後ろ向きな愚痴ではなく、幸せな悩みであるのは明白だ。トマスの表情も先より緩い。レオはそれを見て、つられて己の頬が緩むのを自覚していた。

 

 悪魔信仰の徒らが拠点として利用している廃村の位置は、既に眼鏡の神父が捕らえていたという眷属の男からの情報で特定されており、二手に分かれた悪魔祓いたちはそれぞれ西側、東側から廃村の様子を偵察し、それぞれの情報を持ち寄って一度合流地点で落ち合う手筈になっていた。眷属の男は斥候としての役割が主で、それ故に聞き出せたのはあくまで拠点の位置のみで、具体的な規模や武器の有無などを彼は知らされていなかった。

 レオとトマスがやって来たのは廃村の東側で、身を隠すのにちょうど良い低木が群生しており、そこから村の様子を具に確認できた。廃村であるはずのそこには、人が生活している痕跡がそこかしこに残され、家屋からは火を使っているためか煙が立ち上っている。

「多いですね」

 レオが声を潜めて囁く。既に敵地に程近い。警戒はし過ぎるということはない。さすがに、ここに至れば仲間の名を口にすることは憚られる。験担ぎのようなものだが、敢えてそれを破るような不信心者ではレオはない。トマスが身を乗り出す。

「もう少し、近くで様子を窺えそうだ。もしかしたら、会話が聞こえるかも」

 確かに、村の端に位置する少し大きめの家屋から、男たちの話し声が響いてくる。遠すぎで内容までは聞き取れないが、トマスの言う通り家屋の側まで寄れば、空いた窓から声が漏れ聞こえそうだった。廃村の往来に人通りはなく、今なら貴重な情報を盗み聞きできるかもしれない。だが、本当に安全だろうか、と脳内の片隅で慎重な己が警鐘を鳴らす。

「行きましょう」

 危険だろうが、そんなことは百も承知だ。だが、ここで大した情報もなく落ち合ったのでは、眼鏡の神父や天才と呼ばれる後輩に合わせる顔もない。幸い、こちらは聖騎士が四人もいる。向こうは幼い少女と無名の護衛、どちらが危険を冒すべきかは明白だ。念のため、聖騎士の一人が家屋の壁に張り付いて会話を盗み聞き、それ以外の面々が周囲の警戒をするという形に落ち着いた。周囲に人影がないことを確認し、聖騎士が足音を忍ばせて低木の影から素早く飛び出す。そのまま低い姿勢で駆けて行き、彼は家屋の壁に背を預けた。

「……うなった、あいつは?連れていった者共々、音沙汰なしだ」

「本部から来たとかいう、悪魔祓いに敗れたと見るのが無難だろう。もしかすると、拷問に掛けられて、ここのことも吐いているかも…」

「ご、拷問なんて、教会の奴らがするんですかい?」

「はは、お前は地上に来てから日が浅いか。異端審問、一度見てくると面白いぞ」

 複数の男が話し合う声が聞こえてくる。悪魔信仰の者たちも、現状に困惑している様子だった。特別、迎撃の態勢を整えている風でもない。所詮は悪魔、考えることなどその程度、と聖騎士はほっと胸を撫で下ろす。もはや神の使徒である悪魔祓いと聖騎士がこの村に集結しつつあるとは夢にも思っていないのだろう。これなら、奴らが寝静まるのを待って、夜襲を掛けるだけで事足りるかもしれない。悪魔憑きや眷属は、人間の肉体を憑代にするために食事はもちろん睡眠も不可欠だった。

 もしかすると、さらに有益な情報が手に入るかもしれない、と聖騎士は耳を澄ませる。しかし、それ以上の会話は聞こえてこなかった。不意に、男たちは黙り込んでしまった。何が、と思う間もなく、聖騎士が背中を預けていた家屋の土壁が内側から吹き飛ぶ。一緒に吹き飛ばされて地面を転がる聖騎士を、家屋から飛び出してきた人影が馬乗りになって押さえ付ける。

「おっとぉ、盗み聞きとは趣味が悪い」

 聖騎士に馬乗りになっているのは若い男だ。尖った歯を覗かせて好戦的に笑む。握った拳に土壁の欠片が残っているので、壁を壊したのもこの男だろう。そのような人外の力を発揮するということは、疑いようもなく彼は眷属へと昇華した存在である。低木に隠れるレオは、一瞬どうすべきかを迷った。相手は眷属。それも、まだ家屋から続いて出てくる者たちがいる。彼らも眷属と見て間違いなさそうだ。数は2。今聖騎士に馬乗りになっている者と合わせて3人。微妙なところだ。

「その者を離しなさい!」

 そうこうしているうちに、隣にいたはずのトマスが低木の影から立ち上がり、堂々と銀の首飾りを掲げながら歩み出た。温和な普段の口調とは一転して、厳しい口調で悪魔憑きたちに命じる姿はまさしくベテランの悪魔祓いといったところ。倣うように、レオも低木を跨ぎ越えて聖水を掲げる。

「哀れな悪魔信仰の徒よ。お前たちの主神への冒涜、ここで悔い改める機会を与えよう」

「ほう、神父様が2人もいらしてたとは!言ってくれれば盛大にお出迎えしたのに」

 眷属の1人がおどけたように言う。彼らに聖騎士や悪魔祓いを恐れる気配はない。悪魔憑きは往々にして人間に対する侮りがある。人外の力を持つ彼らを打ち倒すには、この侮りに付け入るのが得策だった。聖騎士を人質にされては手痛いが、人数の上ではこちらが勝る。勝てる!

「減らず口もそこまでだ、主神の教えに背く異教徒たち」

 さらに一歩進み出て、トマスが険しい表情で聖騎士に馬乗りになる眷属を睨む。神父様、と眷属の下で倒れ臥す聖騎士が縋るように呟くと、眷属は凶悪な角度に口角を持ち上げた。

 そうして、言う。

「いいのかな?お前らのオトモダチの命は、今俺が握ってるんだぜ。減らず口を叩いてるのはどちらだ?」

 眷属の男は、そのまま馬乗りになっている聖騎士の片腕を踏みにじる。屈強な聖騎士がその痛みに悶絶して悲鳴を上げる。その内に聞くに耐えない音がして、聖騎士の腕が不自然な形に折れ曲がった。思わず後ずさるレオとは対照的に、トマスは酷く取り乱した様子で怒鳴った。

「や、やめなさい!なんて悍ましいことを」

「先に仕掛けてきたのはアンタらだろ」

 事態を傍観している風なもう1人の眷属が忍び笑う。レオの警戒に反し、彼らは戦闘に参加するつもりがないように見えた。今聖騎士をいたぶって見せている眷属に全てを任せる気でいるのだろうか。その侮りが、付け入る隙になるかもしれない。レオは目配せだけで連れている聖騎士たちに作戦を指示する。私が合図をしたら、捕らえられた聖騎士を救出するのだ──。

「名を」

 唐突に、低い声が響く。それは倒壊しかけた家屋の奥から聞こえてきた。まだ新手がいたのか、とレオは唇を噛む。同時に、それまで飄々としていた眷属の間に、僅かながら緊張が走った様子だった。その理由を知る前に、倒れた聖騎士の折れた腕を掴んで、眷属の男が言う。

「なぁなぁ、名前、教えてくれよ」

「ぎっ…ああああ!痛い!やめてくれ!折れてるんだ」

「知ってるって。だから、名前」

「だ、誰が悪魔などに…ッ」

 聖騎士がそれを言い終わる前に、彼の首は胴体から離れて土の上に投げ捨てられていた。尋常ならざる膂力で骨ごと首を毟り取った眷属の男が、そのまま近くにいたトマスの前に立つ。祝詞を唱える暇すらなく、強烈な蹴りを鳩尾に入れられたトマスはそのままくの字に折れ曲がって蹲る。後方に吹き飛ばなかったのは、彼の頭を乱雑に眷属の男が掴んでいたからで、当然それは親切などではない。

「で、ボスがさぁ、お前らの名前知りたいって。名乗ってくれよ、これ以上乱暴したくないからさ」

 眷属の男の背後で、頭部を失った聖騎士の胴が痙攣している。首から垂れ流される血の勢いが、そのまま心臓の拍動を表しているようだった。蹴られた衝撃で声も出せない様子のトマスが青ざめた表情で首を振る。唾液と鼻水と涙を垂れ流す彼の声にならない言葉に、眷属の男は耳を寄せて聞く姿勢を見せている。逆に、ここまでしたのだから、答えなければ次はないという言外の脅しでもあった訳だが、そんな様子をレオは息を詰めて見守るしかなかった。

「と、トマ、ス…」

「へえートマス神父」

「ど、どうか、命だけは…」

 トマスは息も絶え絶えに懇願した。唾液に混じって赤い物が口元から滴っている。目の前で聖騎士が無残に殺されたのだから、次は自分だという予感は決して杞憂ではない。眷属は「それを決めるのは俺じゃねえなぁ」と笑った。

 眷属の男が振り返ると、その背後に不気味な男が立っていた。特別に体躯が逞しい訳でもなく、人間離れした異形に成り果てている訳でもなく、ただ明らかにその場にあることが悍ましい気配を漂わせている。男は言った。

「なるほど、ではトマスよ。その魂に命じよう。同行した者共の名を言え」

 地の底から響くような声に、レオですら吐き気が込み上げる。その男に正面から瞳を覗き込まれて命じられたトマスは、のろのろと腕を上げ、付き添いの聖騎士を指差した。

「アラン…」

 聖騎士の名はアランだった。抵抗すらなく従順にしているトマスの様子にアランは驚きを隠せない様子だったが、不気味な男はそのままアランに向き直り、続けた。

「では、アランよ。命じる。自害せよ」

「え」

 目を見開くアランだったが、彼はそのまま腰に提げた鞘から銀の剣を抜き放った。嫌な予感がする、と声を上げようとしたレオだったが、それより早くアランの剣は己の首を斬り落としていた。

 異常なことが起こっている、とただそれだけは理解できた。レオは数多の悪魔憑きたちを祓ってきたが、悪魔の実態など少しも理解していなかったのだ。眼鏡の神父の言う通り、名には魂を縛る力がある。そうしてそれは、己の名を秘するだけではどうしようもない事態に陥りかねない危険を孕んでいる。トマスがレオを指差している。咄嗟に振り返り、レオは付き従う聖騎士2人に怒鳴った。

「逃げたまえ!」

「し、しかし」

「これは、命令だ!」

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