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天国か地獄か  作者: 垓
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間章2

 テオドシアという男は、これまでの人生でここまで一生懸命になったことはなかった。というのも、大抵のことは人よりそつなくこなせてきたし、要領も良く手を抜いているように見えない工夫も幼い頃からできていた。才能が物を言うという悪魔祓いの仕事ですら、その才能があったのだから、さして苦労をしたこともない。教会から付けられた護衛の少女スティカが優秀なことも一因だろう。元々優秀なテオに、優秀なスティカがフォローとして付いて、仕事で身の危険を感じることなど一度もなかった。

 実際のところ、今もテオは自分の身の安全は確保されていると確信している。何故なら、晒されるはずだった矢面に、テオの先輩神父が立っているからだ。テオが唯一、才能で敵わないと認めた相手──聖成の儀に関して、彼より早く、彼より練度の高い聖水を作る人間はテオの知る限り、現職の司教ですら存在しない──そんな彼が、数え切れない悪魔憑きたちを引き付ける囮を買って出て、そうしてそのままテオを逃した。

 悪魔憑きたちの襲撃は、街の門までは到達していなかった。後になって思えば、聖騎士の多くが教会から締め出され、街の中心から離れた門に配置されたのは、聖騎士を恐れる悪魔信仰の徒らによる策略であったのだろうが、そのお陰で聖騎士の大半の戦力はここに残されていた。街の門まで辿り着き、逃げ惑う民衆たちの混乱の最中に護衛の少女の名を叫ぶと、彼女は即座に駆け寄ってきて並々ならぬテオの様子を察してくれた。どうして欲しい、と彼女が聞くので、テオは息を整える暇もなく「先輩を助けて欲しい」と懇願する。先輩神父が、本当に生きて助けを待っているかはもはや自信は無かった。だが、こんなところで死なすにはあまりに惜しい男だ。彼がいないのなら、テオが聖職に在り続ける理由もない。

 他の聖騎士たちは、悪魔憑きたちが蔓延る市中に戻るのを渋ったが、幼い少女であるスティカが二つ返事でテオの求めに応じると、屈強な男たちである騎士連中は負けじと鬨の声を上げてスティカに続いた。調子のいい奴らだ、と思いつつ、今はその雄々しい声が頼もしい。

 そして、先輩神父と別れた広場に戻ってきたテオは絶句する。広場は惨憺たる有り様だった。広場の石畳の上に折り重なるように倒れた物言わぬ人の数々。中央の噴水は山のように死体が積まれ、中の水がそれらを伝って外の石畳に溢れ出ていた。噴水の程近くには、血の痕が点々と広がり、そのすぐ側に聖職者に与えられる銀の輪がひしゃげて転がっていた。最悪の事態を予感したテオは立ち尽くす。あるいは、広場に転がる死体の中に先輩神父のそれがあるのかもしれない。同行した聖騎士が近くに倒れる住人に駆け寄る。そして言った。

「神父様、この者、まだ息があるようです」

「えっ」

「神父様、こちらの者も」

 さすがに噴水に放り込まれた者は既に息の無い者たちだったが、広場に倒れる人々の大半はまだ息がある様子だった。もしや、先輩神父はこれだけの数の悪魔憑きを祓い切ってしまったのだろうか。だが、それなら彼の姿が広場にないのが気にかかる──とテオの横に並び立つスティカが銀の剣を握る手に力を込める。何が、と彼女の視線を追うと、住宅と住宅の間を通る、狭い路地を彼女は油断なく見据えている。

「…あそこ、何かいる」

 何が、と言い掛けたテオの声を遮るように、悲鳴が続く。

「いっ…!痛い痛い痛い!やめて…やめてくださ──ッ」

 飛び上がって、それでもテオは即座に気付く。聞き慣れた先輩神父の声だった。

 反射的に駆け出して、光の差し込まない路地に飛び込む。ほとんど同時にスティカも路地を覗き込み、そうして息を呑んだ。先輩神父と見知らぬ男がいた。男は神父の腕を捻り上げるように掴み、神父はボロ雑巾のように薄汚れ、血に塗れた様子で座り込んでいる。

 神父が悲鳴を上げたのは、この男のせいであるのは明白だ。ならば、先輩神父がここまで傷だらけなのも当然得体の知れない男のせいだろう。となれば、この男も悪魔信仰の徒であって、悪魔憑きであるとするのが自然な帰結。テオは先輩神父から託された聖水を手にして男に殴りかかった。

「先輩から離れろ、この悪魔め!」

 怒鳴り、殴りかかるテオを興味深そうに見つめ、男は避ける素振りを見せない。そのまま男の顔面に聖水の小瓶を叩き付ける。砕けた小瓶から聖水が飛び散って、男の頭から滴った。

「何すんだこの野郎」

 男は聖水に苦しみ悶える様子もなく、間合いに入り込んだテオの脳天にげんこつを見舞った。足がもつれるほどの衝撃に、思わずテオも殴られた頭を抱えて悲鳴を上げる。

「痛い!」

「ま、待ってください、テ…彼は、知り合いです!」

 狼狽えた様子で先輩神父がテオを庇うように男との間に身体を割り込ませる。男はテオにとどめを刺そうと追撃してくる様子はない。先輩に庇われる為に戻ってきた訳ではない、とテオは声を絞り出す。

「──スティカ!」

「うん」

 最初からそうするつもりだったのだろう、テオの呼び掛けと同時かそれより早く、スティカが銀の剣を手に神父らを飛び越えて男に斬り掛かる。聖水が効かないのなら、眷属である可能性もある。だが、眷属の一人や二人、スティカの腕なら物の数ではない。

 そのはずだった。袈裟懸けに振り下ろされたスティカの剣を、やはり男は軽く上体を逸らして躱し、そうして拳を握り締める。テオと同様、げんこつを見舞う気なのだろう。瞬時に反撃を察知したスティカは、しかし避けられないと踏んで来たる衝撃に備えて目を瞑る。今更のように、男が全くの丸腰であることにテオは気が付いた。

「おっと」

 振り下ろされた拳は、スティカに触れる寸前で止められる。すっかり衝撃に身構えていたスティカはそのまま尻餅を付き、何が起こったのか分からないといった様子で男を見上げた。一瞬、時間が止まる。聖水が効かず、聖騎士の中でも指折りの実力を持つスティカを圧倒するこの男は何者なのか。

「こ、この男は、悪魔憑きではありません。もちろん、眷属でもない」

 慌てて立ち上がった神父が、スティカから男を引き離すように間に立って言った。ずたずたに避けた法衣とシャツ、血だらけの顔には眼鏡もない神父だったが、足取りは随分としっかりしていて、どこかを痛めている様子もない。テオは堪らず叫んだ。

「では、何者ですか!?先ほど先輩を拘束していた様子だったのは」

 男が悪魔憑きでないのは、百歩譲って認めよう。無論、先輩神父が言うことを疑う気はテオにはないが、男が悪意のない無辜の民である証明にはならない。痛みを訴え、やめて欲しいと叫んだ神父の声を確かにテオは聞いている。神父は一瞬、言葉に詰まったように男を見た。

「えぇ…その、傷の具合を、診てもらっていました。そう、悪魔憑きたちに襲われていたところを、助けてもらったのです。彼に」

 妙に歯切れの悪い神父である。言いたいことは山ほどあるテオだったが、ひとまずそれらを呑み込んで、息を吐く。

「…先輩がそう言うなら、信用します。いきなり聖水を掛けたりして、悪かった」

 一応、謝罪する。男は全く謝意のないテオの様子も特に気にした風でもなく、にやにやと笑って首を傾げた。

「何、気にしてない」

 依然として得体の知れない男に対する信用は置けないが、先輩神父が無事でいたことは、喜んでいいだろう。テオは神父に駆け寄り、今度は男から距離を取るように引き寄せた。神父自身も、男に対して確かな信頼を寄せているようには見えない。寧ろ、どこか怯えている風にも見える。腕を引いたのは、そんな男から神父を引き離す思惑もあったし、また彼が怪我を隠しているのではないかと確かめる意図もあったが、神父は腕を引かれるままテオの前までやってきて目を細めた。眼鏡のない彼は、そうしていないと人の表情すら判別できないのだった。

「本当に、怪我はないんですか?随分汚れています、痛むところは…」

「ええ、ありません。お前の方こそ、怪我はありませんか?」

「ぼくはありません!それからスティカも。門の警備にあたっていた聖騎士は無事でした。ですから、こうして戻ってきたんです」

 スティカも立ち上がり、テオの隣に並ぶ。神父の無事を喜ぶように目を細める一方、彼女の意識はやはり得体の知れない男の方に向いている。テオらの警戒に反し、男は彼らの再会に水を差すような真似はしなかった。ただただ、興味深そうにその様子を眺めている。神父はほう、とようやく肩の力を抜いたように溜息を吐いた。怪我はないと言うその言葉に嘘は無い様子だが、随分と疲れているのは間違いないようだった。

「とにかく、本当に無事で良かった…。さあ、帰りましょう。随分汚れてしまったようですし、門のところまで戻れば、着替えくらいは用意できます…」

 言いながら、神父の背を押して歩き出す。触れてみると、神父の衣服はずぶ濡れだった。噴水の水を聖成していたのだから当然だろう。あれだけの悪魔憑きとの戦いがどれほど熾烈だったのか、もはやテオの想像も及ばない。それをあの男がどのように手助けできたというのか、それもまた想像が付かなかった。

「…って、何で付いてくるんですか!?」

 数歩歩いたところで違和感に気が付き、テオが叫ぶ。並んで歩くテオ、神父、スティカの後ろを、当然のように男が付いてくる。確かに、先輩神父の命の恩人なのかもしれないが、テオにとってはもはや信用ならない得体の知れない男以外の何物でもない。もしや何らかの褒賞を期待しているのだとしたら、何て意地汚い男なのだろう。いやそうに違いない。神父が慌てた様子で口を挟む。

「あ、あまり彼を怒らせないでください…」

「先輩も怯えてるじゃないですか!命を助ける代わりにとか言って、何か悪どい約束でも無理強いされたんじゃないですか!?」

「う」

 あからさまに神父の目が游ぐ。図星。やはり信用ならないというテオの直感は正しかった。思わず振り返って男を睨み付けると、男は愉快そうに金の瞳を細めて笑っている。他人事のようにしているのも、やはり気に食わない!

「お前!一体先輩にどんな酷いことを」

「ひ、酷いことなんてされてないですから!本当に!だから落ち着いてください!」

 結局、神父の口からも、男の口からも、男が働いた(と思われる)神父への無体の内容は明かされなかった。

 

 後日、神父が教会に上げた"あの街"での顛末に関する報告書には、男の存在すら一言も言及されていなかった。


あの街での出来事編、これでおしまいです

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