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天国か地獄か  作者: 垓
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"あの街"で起きたこと3

※暴力表現が続きます。

 広場の中心に据えられた噴水は、膝丈ほどの深さの水が溜められていて、その中央に神父の身長と同じくらいの背丈の噴出口があり、そこから絶え間なく水が湧き出ていた。神父は革靴が濡れるのも構わず噴水の周囲の溜め池へと足を踏み入れる。水は冷たく、すぐさま歯の根も合わぬ程に体が震えたが、命には代えられまいと歯を食い縛る。

 祈り、願う。天に座す神の慈悲をと必死に乞えば、たちどころにその祈りは聞き届けられた。噴水から湧き上がる水が聖性を帯びたことを知る。これで、悪魔憑き共は聖水の浸す場所全てに触れることはできなくなるだろう。この噴水から、その中に膝まで浸かる神父にも、である。

 次第に、広場には悪魔に取り憑かれた人々が集まり始めていた。いくらかはそのまま街の外へと逃げていくテオや住民の後を追い掛けたが、大部分は逃げ遅れたように見える神父を見つけて足を止めた。そうして、噴水に近寄り、逃げ道を塞ぐように取り囲む。それが限界だった。周囲を埋め尽くすのみで、彼らは一向に神父に近寄ることはできなかった。

 だが、それは神父にしても同じだった。噴水を取り囲む悪魔憑きたちは、神父の手の届かない距離で様子を窺い、じりじりと時間だけが過ぎる。悪魔たちは神父に触れることはできなかったが、神父から反撃の手を打つこともまたできなかった。無論、時間稼ぎが神父の狙いであるのだから目論見通りなのだが、果たしてそれがいつまで保つのか、神父は中央の噴出口を背に、身体の芯まで冷え切りながら助けを待つ。

 1分1秒が遥かに長く感じられる。勢いよくテオを送り出したは良いものの、早々に彼の帰りが待ち遠しい。よく気が付き、要領のいい後輩である。神学校時代よりの付き合いであるが、そもそも学年も違うというのに、神父より随分と出来の良い学生であった。どうして彼が自分を慕ってくれるのかはよく分からなかったが、少々冷たくあしらったところで全く堪えた様子のない彼だからこそ、神父も報いたいと感じたのかもしれない。彼を死なせることは元より、彼の将来を奪うような罪を犯させる訳には──。

 息を吐く。身体が震える。未だ行水には寒過ぎる季節。濡れた衣服が触れた肌から体温を奪う。気が付くと、過去を清算するようなことばかり考えてしまう。諦めるな!ここにいるうちは安全なのだから、何も恐れることはない。そう自分に言い聞かせて、神父は顔を上げ、そして見た。広場に現れた新手の姿を。

 他の悪魔憑きたちが皆正気を失った様子で亡霊のように覚束ない足取りで歩くのに対し、それは威風堂々と胸を張って歩みを進める。人間の姿を借りながら、既に膂力は馬より強い。踏み締める石畳にヒビすら刻みつつ、顔を見せたのは悪魔の眷属と化した容貌魁偉の大男。その両脇に控える男女も、既に人間の枠から外れた殺気を漂わせている。

「何をしている」

 大男が一喝する。悪魔憑きの群れはさっと割れて、主人に道を空けるように整然と並んだ。まずい、と神父は震えながら唇を噛む。状況が動いた。それも、神父に好ましくない動き方である。眷属が教会で見た獣のような男の他にいる可能性は勿論考慮していた。だが、それが三体。大男を頂点として、統率の取れた動きを見せる悪魔憑きたち。明らかな力関係から生まれる強固な主従関係が見て取れた。

 脇に控えた女が何事かを大男に耳打ちする。それを聞きながら大男は神父を見やり、凶悪に笑った。

「ほう、なるほどな。そこな神父に、愚かな雑兵どもは足留めされていたという訳か」

 悪魔憑きは、基本的に知能が低い。魂だけの存在であった悪魔が肉体を得た喜びと万能感で開放的になるためだとされる。だが、眷属はそうはいかない。

 大男が引き連れていた悪魔憑きの人間たちに何かを命じた。彼らは無言でそれに応じ、真っ直ぐに神父のいる噴水の前までやって来る。

 大きなものが投げ込まれる。飛沫を上げて水の中に沈んだそれを見て、神父は呻く。教会の前で死んでいた聖騎士だった。投げ込まれた死体は一つではない。聖騎士のみならず、司祭や信者、見知らぬ町民など、次々と噴水の中にその遺体が乱雑に放り込まれていく。見せしめのためか、人間の恐怖を煽るためか、悪魔は殺した人間の死体をここまで運んで来たのだった。清らかで澄んでいた噴水の水が、血と汚物、泥によって濁っていく。神父は後退り、浅い息を繰り返しながら祈った。祈らずにはおれなかった。加護を。加護を。加護を。これから起きるだろう悍しい出来事を可能な限り思い浮かべることなく。虚空を見つめる死体と目が合わないように、ひたすらに噴水の中央にしがみ付いて祈った。

「ひっ…」

 足に何かが触れて、思わず神父は目を見開いてその正体を見る。同行していた一番年嵩の司祭の腕が、だらりと脱力した状態で浮いていた。既に噴水の内側には死体が積み重なって、清らかな水など溜まっていない。見上げると、死体を足場に悪魔憑きたちが神父を取り囲んでいた。

「あ、ぁ…」

 震え上がったのは、決して冷たい水のせいだけではない。神父の服や髪を乱雑に掴み、悪魔憑きたちは神父を噴水の外へと引き摺り出した。投げ出され、無様に四つん這いになる。もはや聖水の加護は望めなかった。

 悪魔憑きの一人が、神父の髪を掴んで無理矢理に立たせようとした。咄嗟に神父は首に下げた銀の輪を引き千切り、それを悪魔憑きの額に押し当てる。祝福を受けた純銀は、悪魔祓いの奇跡を宿す。ぎえ、と焼けた皮膚を押さえてよろめく悪魔憑きだが、その思わぬ抵抗に他の悪魔憑きが黙ってはいない。

「調子に乗りやがって」

 即座に神父は複数の悪魔憑きたちによって引き倒され、地面に押さえ付けられる。銀の輪を押し当てられた者は怒りが収まらずにそのまま銀の輪を握る神父の腕を踏みにじった。骨の折れる音がして、泣き出すような悲鳴を上げる神父に、悪魔憑きたちは色めきだって、他の者までが神父の身体に覆い被さる。眷属の気のない制止など聞く者はいない。見せしめですらなく、行き場のない加虐欲が暴発したのだった。

 殴られ、蹴られ、腕で顔を庇うことも出来ず、石畳に何度も額を叩き付けられ、神父の視界はとっくに霞んでいた。

 死が目前に迫っていた。息を吸うことすらままならない暴力の最中、ただ死にたくないとそれだけを考えていた。これが終われば、助けが来るだろうか?終わりがあるのだろうか?楽な道があるならそちらを選びたかったが、ともかく死ぬことだけは、まだやらねばならないことが──死にたくない──……

「なるほどなぁ」

 今まさに掻き消えようとする神父の命の灯火を、眺める者が呟く。

「穢されちまう前に、殺して連れて行こうって腹か?天使様は、やることがえげつない」

 明るい夜だった。街灯のない広場でも、月明かりが照らす手元は十分に視認できる。それ故に、一層暗く影の落ちる狭い路地の奥から、無数の金の目が覗いていた。

既に眼鏡はキャストオフしています。

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