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天国か地獄か  作者: 垓
14/55

"あの街"で起きたこと1

「ちょっと、ちょっと待ちなさい!」

 護衛の手が悪魔信仰の信者に触れる寸前、神父が制止の声を上げる。助かった、と詰まった息を吐き出す信者の男は噴き出す冷や汗を止められない。主神を信じない男でも、この時ばかりは神父の慈悲に感謝した。

「この者は異端審問にかけてあることないこと洗いざらい吐いてもらわないといけません、殺すのはナシです」

 慈悲などなかった。神父の制止にも関わらず、護衛の殺気も収まらない。どちらに転んだところで己には救いなどないのだと直感した男は、慌てて神父の方に縋り付いて見せた。

「し、神父様!どうかお慈悲を…!悪魔に脅され、仕方なく従っていたのです!」

 無論、口からでまかせだが、これは悪魔信仰の信徒たちの常套句であった。悪魔に不本意ながら憑かれた人間は哀れな被害者であり、庇護されるべき仔羊である。対して、悪魔信仰は自ら進んでその身を差し出すが、あとからそれらの見分けを付けるのは難しい。

 神父は男を見下ろし、縋り付く手を払い除けた。

「それを決めるのは異端審問官でしょう」

「そんな!」

 異端審問とは、主神信仰に害なす異教徒を排除、あるいは正統な教徒に復帰させることを目的に開かれる裁判である。だが、その実情は拷問による自白の強要など苛烈極まり、これにかけられて五体満足で俗世に復帰できたものは少ないとされる。無論、彼らもまた主神教の教義に則り、あくまで人道的な配慮を欠かさず裁判を進めているとは言うものの、一方で悪魔信仰の徒は既に人としての配慮を要さない悪魔の仲間であるとの見方もあり、大義名分を得た異端審問の拷問手段は多岐に渡る。教会の中でも負の部分を請け負う異端審問を、悪魔信仰の徒ですら恐れた。

 護衛は恐れ慄いて震え上がる信者──ではなく、神父の方を見て声を上げて笑った。

「はは、お前がそれを言うか?」

「どうか、どうかお慈悲を…神父様、話を聞いてください」

「ええ、そうでしょう。何か問題でも?」

「神父様!実は、私ではなく、街の警官が悪魔信仰に傾倒し」

「問題しかないように思えるがな」

「ですから、私は何も知らず!騙されてこのような」

「うるさいな」

 神父の足元にへばり付いて申し開きを続ける男の声に護衛が片眉を持ち上げ、もう一発げんこつを見舞う。男はそのまま白目を向いて、地面に突っ伏して沈黙した。気を失ったらしい。

 そんな男を見下ろして、神父は溜め息を落とす。あるいは、護衛の指摘通り、神父もこの男のように異端審問を恐れ、悪魔に魂を売り渡す異教の徒に成り下がっていたかもしれない。そんな考えが脳裏に過って、頭を振る。そんなことはあり得ない。あり得るはずがない──そう思いつつ、この護衛の男と出会わなかったもしもの未来に思いを馳せずにはおれない。気絶した男の足を持ち上げ、街まで引きずって運びながら、神父は“あの街”で起きた出来事を回想する。

 

 それは、悪魔祓いではなく、司祭として招かれたとある街での聖餐会での出来事であった。聖餐会とは、祝福を授けた食物を信者に授け、死後の魂の救済を祈る礼拝行事である。特にその時は大勢の信者が集まるということで、駆り出される聖職者の数も多く、神父のみならず、その場にはテオも同行していた。神父よりも年嵩の司祭らがほとんどで、概ね行事の準備は同行した修道士や修道女が行うが、それでも司祭が行うべき事柄は若輩者であるテオと神父に回ってきた。その間、司祭らは街の者たちに歓待を受け、酒まで入って出来上がっている者までいる始末だが、テオと神父はむしろその状況を歓迎していた。

「ああいうとこ、苦手なんですよねぇ」

 テオが並べられた水差しに手を添えてぼやく。何気なく行っているが、これは信者に振舞われる水に祝福を与えているのである。冷え切った料理の前で手を組み祈りつつ、神父が言った。

「そうですか?お前はどこでも上手く立ち回れるではありませんか」

「そりゃ、そつなくはこなしますけどね」

「…今日は、スティカは一緒ではないのですか?」

 忙しく教会の中を走り回るのは、皆修道服を着込んだ聖職者のみで、帯剣した聖騎士の姿はない。自分の護衛を持たない神父は、聖騎士の動向に関し情報を持たなかったが、専属の聖騎士を連れるテオは事細かに事情を説明してくれた。彼らは異教徒の襲撃を警戒するという名目で、教会の外に配置されていたが、その実武器による穢れを嫌う一番年嵩の司祭の提案で会場から締め出されていたのだと。

「…それで、スティカも教会の外どころか、街の入り口の警護に回されているそうです。あのおっさん、自分で聖成なんてしないくせに」

 テオが口先を尖らせて言う。武器による穢れが、聖成の可否に影響を与える──とは、古くから聖職者たちの間で信じられてきた言説であったが、悪魔祓いを生業とするような特に聖水の扱いに長ける神父らにとってはその限りではなかったし、概ね大半の司祭たちも同様であった。聖成の成功率に不安の残る者が、失敗の言い訳にしているに過ぎない、というのがテオの持論である。

 教会で礼拝を行う信者らの静謐な空気とは対照的に、街の有力者らの用意した席ですっかり会話に花を咲かせている年嵩の司祭らの談笑が漏れ聞こえてくるので、神父とテオは揃って溜息を漏らす。教会に所属する聖職者もピンキリだ。本当に敬虔な尊敬すべき司祭もいれば、多額の寄付金によって位を買う信仰の薄い成り上がり気質の者もいる。そもそも、教会での階位は寄付金の寡多で決まる。それが単純で良い側面もあるのだが、さておき。

 唐突に、がちゃんと陶器のようなものが割れる音がして、悲鳴が上がる。音の出所は今まさに会食の最中であろう部屋からだ。酔いが回って羽目でも外したのだろうか。神父とテオは顔を見合わせ、仕方なく作業を中断した。

「少し、様子を見に行きましょう」

 廊下を渡り、何事かと顔を覗かせる修道士たちの隙間を通り抜け、神父とテオは会食の会場となる広間に顔を出す。酒が入って羽目を外しているのなら、いくら年配の司祭とはいえ苦言を呈さねばならない。形式上は、司祭という位に上下の区別はない。多少、経験年数で先達を敬うことはあれど、それは本人の裁量に任されるところであって、それを無視したからといって罰則を与えることはできないのだ。これはいけ好かないおっさんに嫌味を言うチャンスであると、寧ろテオは勇んで広間に飛び込んだ。

「何事ですか。聖餐の前に………」

 言いかけて、テオは口を噤む。彼に向かって、真っ青な顔をした修道女が飛び付いて来たからだった。彼の立つ出口を目指して、一目散に逃げ出そうとしていた、というのがより正確か。テオは慌てて身を躱し、入り口近くの壁に張り付く。そのまま神父も広間の惨状を目の当たりにして立ち尽くした。

 街の有力者たちが、司祭たちに馬乗りになってしがみ付いている。他にも修道士や修道女が数名、同じように床に引き倒されて悲鳴を上げている。何が、と問うまでもなく、街の者たちの口元から這い出す黒いヘドロのようなものが、司祭らの口や耳の穴から侵入しようとしているのを見て、察する。悪魔憑き!

「テオ!」

 鋭く叫んだ神父が、テオの服を引っ張って広間の外に引き摺り出す。それまでテオが立っていたその場所に、折り重なるように正気を失った人間たちが殺到した。中には修道服を着た聖職者や、司祭の姿もある。

「せ、先輩、ありがとうございます」

「言ってる場合ですか。逃げますよ!」

 悪魔祓いであれば、その場に踏み止まって戦うべきなのかもしれないが、とても二人が常備している数本の聖水で祓い切れる数ではない。神父とテオは訳も分からず廊下で立ち尽くす修道士たちにすぐさまその場から逃げ出すように指示を出しながら礼拝堂に引き返した。ここにも多くの信者が集う。彼らを一刻も早く逃がさなければ、との焦りを嘲笑うように、礼拝堂の扉が内側から開かれ、怯えた信者が折り重なるように飛び出してくる。悲鳴と怒号の混じる中に、「悪魔憑きだ!」との叫びを拾い、最悪の状況であることを悟る。信者の中にも悪魔が潜んでいたのだ。

 信者の幾人かが、神父らを見つけると縋るように駆け寄って助けを乞うた。無論、そうしたいのはテオや神父も山々だが、これだけ人の入り乱れる礼拝堂で、悪魔憑きとそうでない者の区別を付けて、限られた聖水を使って戦うことは難しい。

「動ける者は教会の外へ!聖騎士の元まで逃げるのです」

 神父が怒鳴る。混乱の極致にあって、それでも最善の策を探すことを神父は諦めない。小柄なので人の波に押し流されそうになりながら、テオも必死に信者を誘導した。

「外には聖騎士が控えています!彼らの庇護下に入り、まずは態勢を…」

 言いながら、テオは教会の外へと繋がる両開きの大扉を押し開く。わっと人々が殺到し、我先にと外へと飛び出して行くが、人の波はそのまま教会の入り口付近で固まって止まってしまう。後ろがつかえているんだ、と誰かが怒鳴り、前の人間を押し出そうとするが、先頭の女が鋭い悲鳴を上げて一行はその理由を知る。

「せ、聖騎士様が!聖騎士様が亡くなっておられる」

「なんですって」

 人の壁を掻き分けて、何とか外に出たテオと神父は、教会の周囲で血を流して倒れる聖騎士の遺体を目にする。鋭利な爪のようなもので易々と引き裂かれた鎧は無残に砕け、石畳の通りに血溜まりを作っている。その横に、返り血を浴びた男が立っている。人間ではあり得ない、獣のような長い爪に血を滴らせ、怯え慄く信者らを見つけると、血塗れの口元を凶悪な角度に持ち上げて笑った。

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