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天国か地獄か  作者: 垓
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悪魔信仰

 翌朝、聖成のために人払いのされていた小屋に修道士が訪れると、既に小屋の前には衣服を整えた神父が護衛と何やら話し込んでいる様子だった。修道士に気が付くと、神父は早々に会話を切り上げ、折り目正しく頭を下げて修道士を出迎える。

「おはようございます、ブラザー」

「おはようございます、神父様。…それで、聖成の儀は…」

 言い付けられた人払いを護衛に任せてこの場を離れてしまったことを、修道士は未だに気にしているようだった。彼はちらちらと護衛を盗み見つつ問う。神父は小屋の中を指差しながら言った。

「恙無く」

 神父が示した先には、水樽が二つ並んでいる。これは昨晩村人と共に修道士が運び込んだものだが…。

「ま、まさかこれだけの量を1日…いや、半日で蒸留を済ませ、聖成されたと仰るのですか!?」

「ええ!」

 妙に力強く神父は頷く。例によって護衛は肩を震わせているが、奇跡を目の当たりにした修道士がそれに気が付くことはなかった。修道士は別の意味で肩を震わせ、神父の手を取り涙ぐんだ。

「ああ、主神のお導きに感謝を…!この村に遣わされたのが、あなた様で本当に良かった」

「当然のことをしたまでですよ」

 やんわりと微笑んで神父は修道士の手を外す。そのまま神父は教会を指差し、続けた。

「これでしばらくは聖水に困ることはないでしょう。必要な分だけを取り分けて、瓶詰めにしていただければ」

「はい、はい…なんとお礼を申し上げたら」

「では、聖成の方はもうよろしいですね。実は、予定していた日取りを過ぎておりまして、そろそろお暇しようかと」

「えっ」

 修道士が落胆したような声を上げて、それから慌てて口を塞いだ。基本的に、本部から派遣される神父は鼻持ちならない者たちであるとの偏見が強く、地方でいい顔をされないことが多い。それがこの短期間でここまで頼りにしてもらえたとは、神父としても悪い気はしないが、それはそれ、神父としてはもう少し割りのいい仕事を都会で受けたいというのが本音だ。

「もちろん、この村が苦しい状況であったという報告は、本部に十分伝えておきます。すぐに、という訳にはいきませんが、設備投資や備蓄品の補充など、援助が得られるよう微力ながら手配しておきましょう。ああ、人員ももう少しゆとりがあるといいですね」

 本来なら、そういった奏上は教会の管理人が行うものであるが、そんな報告さえまともにできないほどに修道士のなすべき仕事は山積していた。悪魔憑きが連続して現れたという不幸がそうしたにせよ、小さな村の教会にそれらを自力で解決する経済力も人的余裕もないのである。修道士は再び感激した様子で神父を拝み始めた。

「本当に、何から何までありがとうございました。あなた様に主神の祝福があらんことをお祈りするしか、私にはできることがありません」

「いえ、いえ、一層主神の慈悲が民に知れ渡ることこそ、私は喜ばしいことだと思いますよ。ブラザー、あなたの献身的な振る舞いこそ、主神の慈悲を体現するものでしょう」

「神父様…!」

 

 教会に残されていた他の雑務をいくつか手伝い、様々な手配を依頼する書簡を近隣の街へと運ぶついでにそのまま帰還する旨を修道士に伝えて、神父と護衛は出立の準備を整える。行きに手配されていた馬車はその街に逗留しているはずで、任務が終わったら合流する手筈になっていた。

 小さな村の真ん中を通り、神父は帰途に付く。僅かな滞在であったが、村人たちは神父の出立を惜しんだ。そもそも、人口もさほど多くない村である。全ての村人が既に神父の顔を知っている様子だった。修道士もまた、村の門扉までを見送りに来て、再会を願う口上を長々と読み上げていた。それを聞き流して踵を返そうとした神父は、しかし村の奥から聞こえた叫び声に足を止める。ただの叫びであればそのまま歩き続けただろうが、その内容が彼の足を止めさせたのだった。

 叫んでいるのは、村人の一人である。往来によろめき出て、ほとんど這うようにして現れた彼は、修道士と神父を見るや表情を綻ばせたが、それも一瞬のことですぐさま青い顔で修道士に縋り付きながら続けた。

「先生…!と、ああ、神父様もおいでで!大変です、悪魔憑きが出ました!」

「なんですって」

 すぐさま色めき立つ修道士とは対照的に、神父は怪訝な表情を隠さない。先日の子供に取り憑いていた悪魔には、これでもかというほどに聖水を浴びせて飲ませて完全消滅を確認している。となると、また別な悪魔による被害と考えるのが妥当だが、こんな短期間にこの狭い村で立て続けに悪魔が出ることなど普通は有り得ない。或いは、先日の悪魔も、前任の悪魔祓いが失敗したものかと思っていたが、そもそも全くの別件だった可能性さえ出てくる。

「私が行きましょう」

 走り出そうとする修道士の肩を掴んで押し留め、神父が告げる。村人と修道士の表情が目に見えて明るくなって、これはいよいよ面倒なことになったと神父は肩を落とすのだった。

 悪魔憑き自体は大したこともなく、村の年若い女に取り憑いた悪魔が交際していた男を人質に供物の要求をするという内容の出来事であったが、交渉を一切取り次ぐこともなく、真っ直ぐに家屋に踏み込んだ神父が女の顔面に水を投げかけて呆気なく事態は収拾した。悪魔の中にも知能の高いものと低いものがある。本当に狡猾な者であれば、人間に紛れて正体を現すことなく隠れて過ごすだろうに、と神父は度々こうした悪魔を目にする度哀れに思う。もし、自分が天の国への入場を拒まれ、地獄に堕ちることがあれば、それだけは覚えておこうと心に誓う神父である。

 とはいえ、問題は今片付けた悪魔憑きではない。神父は振り返り、家屋の入り口で祈りを捧げる修道士を見やる。

「お聞きしますが、今月に入って悪魔憑きの数はどれだけになりますか」

「へ、ああ、ええと…これで5件目でしょうか」

 多い。神父は溜息と共に舌打ちを零す。修道士はそれに気付かずに首を傾げる。

「王都では、もっと多くの人々が悪魔憑きに苦しんでいると聞きます」

「ええ、ですがこの村とは人口が違いすぎる。はっきり言って、この狭い村でそれだけの悪魔が、しかも別個体のものが現れたとなると、それは異常です」

「そ、そうなのでしょうか…」

 修道士が困惑した様子で呟くので、これが常態化してしまっていることが知れる。もちろんそうです、と頷いて見せて神父は続けた。

「自然に発生したものでないとするなら、作為的な攻撃ということになるでしょう。…おそらく悪魔信仰の徒が、この村に忍び込んでいます」

「悪魔信仰…」

 主神信仰において、悪魔は主神の庇護から外れた邪悪なる者供の総称である。彼らは主神の教えに背き、人間を惑わし、死後人々が向かうとされる天国への道筋を阻むとされる。だが、彼らもまた理外の魔法を扱うことは知られるところであり、一部の不信心者たちはこの力を利用して現世で莫大な富と権力を得ようと画策している。これを、主神信仰に対して悪魔信仰と呼んでいた。悪魔祓いとは対極にあるその集団は、人間を贄として捧げ、悪魔に肉体を提供する。その見返りに、悪魔の能力の一端を授けられた人間は、脆弱な人間たちの中で成功を約束されるのだ。

「そ、そんな…私達は一体どうしたら」

 修道士は目に見えて狼狽えて青い顔をする。悪魔憑きのみであれば、悪魔祓いを呼び寄せて清めれば済む話であるが、悪魔信仰の信者となると、悪魔を祓うのみでは問題の解決には至らない。危険な思想を持つ異教徒は、異端審問に掛けて場合によっては裁かなければならない。それは強い抵抗が予想され、武力を伴うことが多い。

「聖騎士を伴った悪魔祓いの応援が必要です」

 神父は家屋の外に集まった村人たちを一瞥しながら言う。彼らは皆神父らの会話に目を白黒させながら聞き入っているようだったが、あるいはこの中にも既に悪魔信仰の間者が紛れ込んでいるかもしれなかった。

「やはり、私は一度街へ向かいます。そこで教会本部へ応援の要請と現状報告の早馬を走らせましょう。その後、方針が決まり次第、ご連絡を」

「神父様…」

 修道士は不安げな声を上げる。悪魔信仰と聞いて怯えない信者はいない。この異教徒共は生きた人間を供物に捧げて邪悪な儀式を行うと噂されている。取り残される修道士の不安も大きいだろう。神父は修道士の手を持ち上げて言った。

「恐れることはありません、ブラザー!我々には常に主神の加護があります。信仰を忘れずに!慈悲に感謝を!さすれば、主神は必ずやあなたを守るでしょう。のみならず、あなたの祈りが、この村の信者をも守るのです」

「神父様…!」

 怯えていた風の修道士は、一転闘志を燃やすように神父の手を握り返した。彼は神父の出立に際し、もはや泣き言を言わなかった。道中の神父の無事を祈り、村の門扉の前でいつまでも彼らを見送っていた。

「ああ言ってたが、置いてきて大丈夫だったのか?」

 村から離れ、街へと向かう小道を進みながら護衛が問う。護衛はそれまで、黙って神父のやることを見守っていたし、彼の決定に口を挟むことはなかった。特別村の事情を心配した風でもない。明日の天気を聞くような気軽さだった。神父は頷く。

「応援の要請は絶対に必要です。伝令を立てたところで、それが信用できる伝令とも限らない。それに、むしろ…」

 何かを言いかけ、神父は立ち止まる。それは護衛にしても同様で、彼らは両脇に茂る木々の隙間から漏れ聞こえる吐息に耳を澄ませた。何者かがこちらの様子を窺っている。

「…むしろ、標的となるのは私の方でしょう。こんな辺境で隠れて何かをしている様子なのに、本部の人間が応援など呼びに行っては、悪魔信仰の徒には堪らない」

「分かってるじゃないか…」

 もはや姿を隠すのも無意味と悟ってか、木々の陰から数人の男たちが姿を現す。皆一様に血走った目で神父を見つめ、にやにやと品定めするようにほくそ笑んでいる。

 神父は突っ立ったまま続ける。

「といった具合に、伝令に走る私を襲う方に人員を割く方が、色々と都合が良いだろうという訳です」

「なるほどなぁ」

 興味深げにしげしげと悪魔信仰の信者を見やる護衛に、襲撃を受けているのにまるで緊張感のない神父の様子に、暴漢たちは神経を逆撫でされる。そうしてさほどの口上もなく、行け、とリーダー格の男が一声叫ぶと両脇に控えた者たちが手に手に武器を掲げて襲い掛かってきた。武器といっても、彼らが手にしているのは農具や包丁などの日用品で、そこに技巧や連携などは一切ない。即座に神父は腰に提げていた聖水の小瓶を取り出し、器用に彼らに振り掛けていく。ぎゃあ、と悲鳴が折り重なって、狭い小道に苦しみ悶える人々が倒れ込んで行く。

 リーダー格の男が乾いた唇を湿らせるように舌を出して、それでも不敵に笑った。

「なるほど、本部の神父様ともなれば、悪魔祓いの腕も一級品って訳か」

「お褒めに与り光栄です」

「だが、俺はそうはいかないぜ!」

 そのままリーダー格の男が驚異的な身体能力で一歩を踏み出すと、瞬きの合間に神父と男の間合いは詰まる。咄嗟に後退る神父が、それでも待ち構えていたように聖水の小瓶を開けて中身を注ぐが、男がそれを避けることなく顔面で浴びて、そのまま狂ったように笑った。

「ヒャハハ!俺に聖水は効かねえな!既に俺と悪魔は、魂の融合を澄ませている!」

「…眷属!」

 僅かに目を見開いて呟く神父の首元を、伸びてきた男の腕が捉えて地面に叩き付ける。短く呻く神父に馬乗りになって、男は尖った歯を見せて一層笑った。

「残念だったなぁ、神父様よぉ。だが、安心しな。アンタの体は俺たち悪魔信仰が有意義に使ってやるよ。そのまま王都に戻ってアンタの体を隠れ蓑に勢力を拡大し、国盗りをおっ始めようって寸法さ!」

 神父は渋い顔をする。ここに至ってまだ事の重大さが分かっていないのか、さほど焦った風でもないのが気に障り、男は苛立ちを隠さず仲間の悪魔憑きに号令をかける。

「おい、まだ動ける奴はいるか。この神父の中に入れ。あとそこで固まってる護衛の男もついでにな」

 神父が倒した悪魔憑きの村人の内、二人の口からもぞもぞと黒いヘドロのようなものが這い出して来る。一瞬で祓い切れなかったのだろう、それらはゆっくりと地面を張って男の命令通りに神父と護衛の元にそれぞれ這い寄って来る。

 地面に押さえ付けられたまま、抵抗も許されない神父の口元にヘドロが近寄る。ようやく神父は口を引き結んで侵入を許すまいとしてみせるが、男が無理矢理に唇の隙間に指を突っ込み、口を開けさせた。

「こらこら」

 唐突に、護衛が声を上げる。護衛の癖に、襲撃に怯えて声も出せないのだ──との評価を下していた男は、見やった護衛が己の体をよじ登っていたヘドロをひっ掴み、地面に投げ捨てながら、こちらに向かってはにかむのを見た。

「横入りはいけない。それは駄目だ。先に見つけたのは俺なんだから」

「あ?何の話だ、おいお前、さっさとこいつに取り憑いて──」

 情けなくも投げ捨てられた仲間に向かって言いかけて、男は目を剥く。投げ捨てられたヘドロは、そのまま搔き消えるように崩れていった。聖水で溶かされたように、魂が消滅してしまったのだ。その出で立ちから聖騎士ではないと判断していたが、何らかの悪魔に対する攻撃手段を持っている護衛であるらしい。だが、それとて悪魔と融合を果たした男の敵ではない。今の彼を屠れるのは、聖なる銀の剣をおいて他にない。だが、護衛が腰から提げているのは安い鉄製の剣だということは察しが付いている。

「は、どんなトリックを使ったか知らないが、貴様ごとき俺の敵では──」

 優位を確保するためにそう口走る男の手元で何かが爆ぜる。視線を落とすと、神父の喉元まで迫っていた仲間の魂が、再び跡形もなく消えていた。護衛の男が何かをした様子はない。いや、本当に?だとすれば、先ほどから周囲に漂うこの得体の知れない気配は何なのか。

 すたすたと歩み寄ってくる護衛の得体の知れなさに、男は神父の拘束を放り出して身構える。警戒すべきは神父ではない。護衛だ。聖騎士でもないのに悪魔を祓うこの力。一体どんな武器を隠し持っているのか──と護衛の一挙手一投足に神経を集中させている男の目の前までやってきて、護衛はそのまま男の脳天にげんこつを食らわせた。

「痛い!…え!?」

 思わずそう叫んだ男は、殴られた頭を抑えながら尻餅を付き、そうして自分の真横にぽとりと落ちた黒い塊を見て再び驚きの声を上げる。それは、随分昔に自分と融合、同化したはずの悪魔の魂だった。悪魔の方も、驚いた様子で護衛と男の体とを見比べている。

 だが、それも長くは続かない。護衛の足が伸びてきて、悪魔の魂を踏みにじる。ぎえ、と小さな悲鳴を上げて、護衛の足の下でヘドロは潰れて消え去った。男は慌てて体内に残った悪魔に語り掛けて助けを乞うたが、既に彼の中には悪魔の残滓すら残ってはいなかった。見下ろす護衛の影が、男の上に落ちる。

「よう、次はお前の番だな」

 にたりと笑う護衛の金の瞳が、光源もないのに怪しく揺らめいた。

 


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