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天国か地獄か  作者: 垓
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聖成の儀

 翌朝、教会本部より派遣された神父様が礼拝堂にて様々な儀式を執り行うらしい…との噂は瞬く間に狭い村に広がった。朝一番に教会を覗きに行った子供たちが、そのように神父から直接聞き、親に話が広がり、そのご近所にまた話が広がり、といった具合に、である。ここ最近、教会の修道士様は聖水の聖成と悪魔憑きとの対話に取られる時間が多くそういった日常的な業務は一切滞っていたし、本部の神父様がいかにしてそれらを執り行うのかも気になる村人は、特に用がなくても教会に押し掛けた。一目神父の姿を見ようと礼拝堂の窓から覗く者までいた。神父はそれらを特に注意しなかった。

 神父は、痩身の男だ。黒い悪魔祓いの装束に身を包み、教会で儀式や説法を行う際はその上からさらに教会の紋章が刻まれた黒いケープを羽織る。壮年の修道士に比べるとかなり年若く、かといって聖職に就て日が浅いというほどでもない。いわゆる中堅といった頃合いだろう。本部の神父たちがどちらかといえば煌びやかな装飾を好み、高価な首飾りや耳飾りを魔除けの一環として身に付けるのに対し、神父は支給された基準の品だけを付け、清貧といえば確かにそうだが、寧ろ本人にはそういったことに頓着がないように見えた。長めの髪は切り揃えられている風でもなく、伸びるままに任せた不揃いさであるし、一応束ねて顔が見えるようにはしているものの、重い前髪と眼鏡に隠れて、神父の表情は窺い辛い。

 そんな取っ付きにくい神父が、列をなしてありがたいお言葉を賜ろうと尋ねる村人に対して親切に振る舞うことができるのか──との心配は無用であった。彼は非常にてきぱきと、尋ねる信者の迷いを晴らし、罪を赦し、祝福を授けた。無論、それはテンプレート通りの対応になる訳だが、修道士の真摯な対応しか知らない村人にとっていっそ新鮮にすら映る対応は、概ね彼らの不安と不満を解消したのだった。

 日が傾き、教会に興味本位で顔を出す村人たちも帰り始める頃、昨夜から眠り続ける修道士が目を覚まし、恐縮しきった様子で礼拝堂に顔を出した。ちょうど神父は、洗礼を授けた赤子とその母親を見送っているところだった。

「し、神父様…!申し訳ありません、私としたことが、とんだご迷惑を…!」

 小綺麗に片付いた礼拝堂と立ち去る村人の背中を見比べつつ、よれた服もそのままに現れた修道士はまさに今目が覚めたばかりなのだろう。自分が一服盛られて眠りに就いたことなど知る由もない彼は、疲労のあまり客人を前にして倒れてしまったのだと思っている。もちろん、それを訂正する気のない神父は、朗らかな笑みの形に口元を吊り上げて首を振る。

「いえ、いえ、迷惑などと。ブラザー、あなたは大層疲れておいでのようでした。休息が取れたのであれば良かった」

「それにしても、その…本部の神父様に何もかもをお任せする形になってしまい、本当に…」

 修道士と神父とでは、年齢こそ修道士の方が上であり、聖職に就てからの年数も長いのだが、階位としては神父の方が上である。神父とはある種敬称であり、実際の彼の肩書きは司祭である。それが本部に所属する者ともなれば、力関係は歴然だった。神父は首を振る。

「主神の御許において、庇護される我々は皆平等でございましょう。困った時はお互い様…畏ることはありません」

「し、神父様…!」

 感極まったように修道士が天を仰ぐ。貼り付けた笑みのまま神父はそれを見守るが、礼拝堂の隅でそれまでの会話を聞いていた護衛が噛み殺した笑いを誤魔化すように咳払いをしていた。護衛のことは視界に入れず、神父は続ける。

「今日だけで終わらなかった儀式の手配は、明日以降に予定してあります。まだまだ忙しい日は続きますから、そのためにもブラザーには体を壊してもらっては困ります」

「はい…もちろんです」

「それらの業務を円滑に行うためにも、聖成の儀を執り行っておきたいと思います」

 そんな神父の宣言に、修道士が目を輝かせる。聖成の儀。悪魔を祓い、人を助ける神の慈悲。特に、この場では聖水を作り出すことを言う。

「神父様が…!なんと心強い」

「そもそもそのために来たのです。器具をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「はい、離れに用意してあります」

「では、案内をお願いできますか」

「えっ」

 修道士が目を丸くする。神父が首を傾げると、修道士は我に返った様子で口元を押さえたが、今更誤魔化せないと諦めた様子でその手を下ろした。

「あ、ああ、すみません。もう日も暮れるので、明日になさるのかと」

「………善行は早いに越したことはありません」

 微妙な間の後、神父が答えると、一層感激した様子で修道士は早足に離れへと神父を連れていった。

 聖水とは、不純物の含まれない、神の加護を与えられた清らかな水である。そのため、大抵の場合まずは井戸水の蒸留を行い、塵や不純物を取り除いた上で聖成の儀──すなわち祈りを捧げ、場合によっては聖遺物を使用して主神に加護を乞い願うこと──を始める。器具というのは水の蒸留装置のことであり、本来はそういった蒸留水を備蓄しているものだが、当然この教会にはその予備などなかった。神父は修道士と奉仕のために教会を訪ねてきた村人に、井戸水を樽二つ分用意するように言い付けた。修道士が再びひっくり返るほどに驚いていた様子だったのは、彼が二日掛けて行う聖成の儀では、水差し一瓶を聖成するのがやっとであるからだが、もう面倒になってきていた神父は細かい説明を省いた。

「まあ、量が多いので、翌朝には出来上がっていると思います」

 水の用意などを済ませて、離れの小屋で準備を整える頃には、既に日が暮れて月明かりが周囲を照らしていた。修道士、村人は顔を見合わせる。

「し、神父様は、昨晩から寝ずに働いておられると聞いております。大丈夫でしょうか…」

「迷える仔羊たちのためと思えば、この程度の奉仕は苦でもありません」

 答える神父の言葉は言い淀むこともなく、彼が何度も使ってきたお決まりの文句であろうことは護衛にとってはすぐに察しの付くことであったが、当然そうではない修道士と村人は大層ありがたがって何度も礼を述べて頭を下げた。

「なんて、気高い…!あなた様こそ、主神が現世に遣わした御使様でしょう」

「………、まぁ、とにかく、神聖な儀となります。人払いのほどはよろしくお願いいたします」

「もちろんです!」

 重大な任務を任された、というように修道士は胸を張る。聖成の儀は、聖職者の無垢なる祈りによって達成される。あらゆる外界の穢れから遮断された空間で、断食の上で臨むことが推奨される。それが一層、聖水の練度を高め、効果をも高めることに繋がるのだった。

 人払いの上、誰かが聖成の儀を覗くことのないよう十分に言い付けた神父は、そのまま小屋の中に引っ込むと唯一の扉に内側から鍵を掛ける。よほどの用がない限り、この扉を開けることは許されず、やむを得ない場合にのみ、戸口に取り付けられた小窓から会話ができるようにはしてあるが、それすら聖成の成否に関わることであるので、当然許されない。

 神父の神聖な儀式を好奇心から覗く不届き者が現れないよう、修道士は離れの戸口の前に仁王立ちしてしばらく立っていたが、護衛がその肩を叩いて言った。

「お疲れさん。ここは俺が代わってやるから、あんたは他の仕事をして休んで来いよ」

「し、しかし」

 修道士は言い付けられた仕事を放棄することを渋る。確かに、神父の護衛である彼が聖成の儀の戸口を守ることは何の不自然もないことであったが、何故か神父は水の用意から器具の調整に至るまで、護衛に何かを頼む訳でもなく、彼がただ付いてくるのを放任している風であった。てっきり修道士は護衛は神事に一切関わりを持たないのだと思っていた。護衛は薄っすらと金の目を細めて笑う。

「神父様からお叱りを受けるようなことがあれば、俺が言い出したことだと言えばいい」

「それは」

「…まぁ、正直言うと、あんたが近くにいると、俺の気が散るってだけなんだが」

 ぞわりと背筋を這うような威圧感を覚えて修道士は後退る。修道士にはよく分からない感覚であったが、手練れの武人ともなると周囲にある人の気配を感じ取って警戒を高めることもあるのだとか。果たして、目の前の護衛がそれほどの武人であるのかは定かでないが、彼にとって修道士が足手纏いになることだけは確かだった。

「わ、分かりました…では、ここは護衛殿にお任せいたしますが…」

「おう」

 護衛はひらひらと手を振って見せる。さっさと行けということだろう。それでも、と修道士は食い下がる。腕は確かなのかもしれないが、護衛は神聖な儀の繊細さを理解しているようには到底見えなかった。

「護衛殿は、ご存知やもしれませんが…!聖成の儀は僅かな穢れも許されぬ神聖な儀。余人の立ち入りはもちろんのこと、護衛殿といえど、決して神父様のお邪魔はされませんよう」

「任せとけって」

 さして重要でもない風に、軽い調子で護衛が答える。修道士は何度も何度も念を押して、ようやく小屋の前を立ち去った。後ろ髪引かれるように、教会の扉の向こうに消えるまで、護衛の方を振り返るので、信用されてないなぁと護衛は苦笑する。無論、信用される努力をした訳でもないので構いはしないが。

 修道士が立ち去り、しばらくして、護衛は徐に戸口を振り返ると小窓を開けて中を覗き込む。果たして、小屋の中では椅子二つを並べてその上に足を投げ出した状態で座る神父が、寛いだ様子で本を読んでいた。神父は小窓が開けられた気配に気が付いて顔を上げ、護衛の姿を確認すると眉根を寄せる。

「開けちゃダメだって言われてませんでした?」

「お前なぁ…」

 小窓からでは、小屋の全容を具に確認することは難しい。とはいえ、神父が準備や調整として弄っていた蒸留装置が稼働している様子もなく、用意された樽の位置は移動された様子もない。護衛が呆れて次なる言葉を探しているうちに、神父はしかし取り繕うことも一切なく、そのまま本に視線を落とした。

「もう終わってるんで、暇を潰しています」

「蒸留?とかいうのは」

「面倒なのでやってないです」

 面倒だからで工程を省ける儀式ではないはずだが、神父は本の頁を捲る。

「色々試しましたけど、井戸水で作ろうが、蒸留水で作ろうが、私の聖水は練度に差がないので。主神の加護に感謝ですね」

「主神の目は節穴だなぁ」

「不敬ですよ?」

 護衛の軽口にも神父は軽口で返す。彼が本気で怒っている様子はない。きりの良いところまで読み進めたのか、神父は本に栞を挟むとそれを閉じ、机の上に置く。そのままローブを脱いでシャツの首元を緩め、部屋の隅に置かれた簡素なベッドに腰を下ろす。

「じゃあ、私は寝るんで、小窓は閉めておいてくださいね」

「修道士のおっさんや村人は、お前が朝まで寝ずに儀式を執り行ってると思ってるのに?」

 肩を揺らしながら護衛が問う。神父は特別悪びれた様子もなく、部屋唯一の灯りである蝋燭を吹き消した。

「その方が、この聖水が有り難いものに思えるでしょう?」

今更ですが、宗教体系とか、階位の話とか、大変ふんわりしたものになっています。ファンタジーということで、架空のものだと思ってください。

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