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天国か地獄か  作者: 垓
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村の教会

 舗装された石畳はとうに終わり、人々の往来によって出来た小道を馬車に揺られて進みながら、神父は向かいに座った護衛の男の顔を睨み付ける。とうの護衛は涼しい顔で長い足を無遠慮に組んで寛いでいる。上等な客車は足を組んで座っても余裕があるほどに広い。

「なんですかアレ…」

 地の底から響くような声を絞り出して神父が問う。護衛はにやにやと笑いながら首を傾げた。

「アレって?」

「司教様に対するあの態度です!あんな、あんな風に振舞って、まさか司教様に取り入るつもりでは!?でも残念でしたね、司教様は聡いお方です、あなたの本性などすぐさま見抜いて、思い通りになどなりませんとも!」

 怒ってみせたり、顔を青くしてみせたり、不敵に笑ってみせたり、忙しい神父である。がたごとと揺れる馬車で立ち上がり、護衛を面と向かって指差す神父を見上げつつ、護衛は肩を竦めて応える。

「別に、あんな爺さん興味はねえよ。それに、俺が礼儀を弁えた男だなんて、あの爺さんたちにも思われてないだろうよ」

「えっ」

 眼鏡の奥で伏し目がちの瞳を見開いて、神父は護衛を見返す。あの状況で、それすら気付けなかったのか、と今更のように当時の神父の狼狽え具合を思い出す。──あれだけ狼狽えていれば、気付かないのも無理はないか。

「じ、じゃあ、私がとんでもない無法者とつるんでいる不良神父だと思われてしまうではないですか!どうしてくれるんですか!」

「めちゃくちゃ言うなよ」

 恭しく振る舞えば取り入ろうとしていると難癖を付け、慇懃無礼であればそれはそれで文句を垂れる。護衛に対し、神父は度々そういった無理難題を吹っ掛けた。対外的には、分厚い眼鏡の下で表情を隠して冷静沈着に振舞っているつもりなのだろうが、護衛と共にいる時、大抵神父は冷静沈着とは程遠い位置にいた。彼は護衛には何を言っても構わないと思っているのだ。

 だが、護衛にとって神父のそんな罵詈雑言などそよ風も同然だ。そもそも、彼の暴言は大型犬を前に吠え立てずにはいられない小型犬の威嚇行為であると護衛は理解している。喚けば喚くほど、それは神父の動揺を証明していた。気の小さい男なのだ。護衛は窓の外に目を移しながら気の無い声で言う。

「こらこら、神父様。馬車で立つと危ないですよ」

「茶化さないでください!今からでも遅くありません、司教様の前で私の体面を傷付けない最善の申し開きを考えて──」

 唐突に、馬車が速度を落とす。その拍子に立っていた神父はつんのめって向かいの座席に倒れ込んだ。それを見越していたのだろう、護衛は組んでいた足を避けて座席の端に移動している。

「止まりますよ、お気を付けて」

 のんびりとした御者の声が、遅れて御者台から聞こえてくる。「ええ」とずれた眼鏡を掛け直しながら神父は座席に手を付いて立ち上がる。護衛が窓の外を見ながら肩を揺らして笑っているのがよく分かった。

 とはいえ、馬車が止まるのには理由があろう。神父もまた馬車の小窓を開けて御者の肩越しに前方を見やる。それに気が付いたらしい歳老いた御者は、神父が見やすいように僅かに座る位置をずらした。

 小道を横断する、黒装束の人の列が並んでいた。各々が俯き、啜り泣きながら花束や子供の衣服、玩具を手に持ち、中央では男たちが無言で一つの棺を運んでいる。葬列だった。

「葬送ですなぁ」

 完全に止まった馬車で、葬列に道を譲る御者は小窓から覗く神父に話し掛ける。人が亡くなった時、教会で死者との最後の別れを済ませ、参列者が遺体を墓地まで送り出すことをそう呼ぶ。葬列の先頭は神父と同じ主神信仰の聖職者の出で立ちなので、御者は敢えて神父に話を振った様子だが、そうですね、とそれ以外答えることもない神父の素っ気無い口調にも気が付かないで、御者はのんびりと続ける。

「棺の大きさや遺品から見て、子供の葬送のようですな。悲しいことです」

「…そうですね」

「早死にってのは、主神さまに早くに召し上げていただくことだと街の神父さまは仰います。選ばれたからこその誉れであると分かっちゃいるんですが…やはりどうしても痛ましいもんです」

 それが迷信なのか、早くに子を亡くした親への慰めであるのかは、定かではないが、そういった言説が信じられていることは神父も知っている。現世の穢れを清廉な魂が吸い上げない内に、主神は人を天上へと召上げる。神の御許で人は永遠に飢えを知らず、憎しみを知らず、幸福に過ごせるのだと主神教は説く。特に、才能ある人間や無垢なる子供が若くして亡くなると、遺された人々は決まってこう言うのだ。「彼らは神に愛されたが故に、早々に天上へと招かれたのだ」と。

「気に入ったら、殺して連れて行っちまうんだ。勝手な野郎だぜ」

 護衛が吐き捨てるようにぼやく。しっかりその呟きは御者台にも聞こえており、御者は顔を青くした。神父の護衛をする男が、神の奇跡を冒涜したのだ。聖職者でなくとも、主神への信仰が深いこの国で今の護衛の発言にいい顔をする者は少ないだろう。御者は、むしろ神父の反応を恐れるようにそうっと振り返る。先程から護衛と口論していた風でもあるし、気の短そうな眼鏡の神父はすぐにでも声を荒げて護衛の不敬を叱るだろうと思ったのだ。

 予想に反して、いつまで待っても神父の怒鳴り声は聞こえてこなかった。神父はぼんやりと葬送の列を眺め、一言「そうですね」と抑揚のない声で囁いた。

 

 依頼を出した教会のある場所は、教会本部の置かれた国の中央部から馬車で丸一日掛けてようやく辿り着く山の麓にある小さな村落だった。馬車がその小さな村落の門を潜ったのは、日が山の裾に沈んでから随分経ったあとだった。点在する家々から、好奇心で顔を覗かせる子供たちが窓に顔を張り付けている。上等な馬車がこの村に乗り入れることなど滅多に無かったし、中央から派遣されてくる本部の神父様を一目見たいと、彼らの親までもが戸口に顔を出しているのだった。

 村人たちの好奇の目線に晒されながら村を通り抜け、教会の前に横付けされた馬車より神父は降り立つ。御者が足台を用意する前にさっさと降りてしまった護衛が、興味深そうに村の教会を見上げる。豪奢ですらあった教会本部のある大聖堂と比べると、随分と質素な佇まいの小さな礼拝堂である。よく言えば清貧とも言えるだろうが、老朽化した建物をよく手入れと補修だけでここまで保たせたものだと感心する。教会の横には手作りの柵に囲われた農作物の葉が青々と茂って、神聖な空間というより長閑な村の光景の一部と成り果てていた。

「ほ、本部の神父様ですか」

 馬車の音に気が付いて、礼拝堂からくたびれた様子の男がよろめき出てくる。その様子を見て、神父は思わず目を見張る。痩せ型の神父よりなお貧弱な体つきのその男は、隈の出来た目元に皺を寄せて破顔したが、一目で彼が十分名休息と食事も取れていないことが分かる痛ましい姿である。神父は出迎えようとするその修道士を押し留めるように己が駆け寄った。

「はい、私が本部より派遣されて参りました。ブラザー、あなたは少しお休みになられた方が良さそうだ」

「いえ、いえ、そういう訳には。悪魔に怯える村人を、待たせることはできません」

「悪魔?悪魔憑きがいるのですか?」

 神父は問い返す。修道士が土気色の顔で頷いた。それでは話が違う、と神父は受け取った司教の手紙を思い返す。聖水の需要が増えたと聞いてはいるが、悪魔祓いが必要だとは聞いていない。

「本部に連絡をした際は、一度悪魔祓いを終えた後だったのです。しかしすぐに、次の悪魔憑きが…」

 それは、悪魔祓いに失敗したということではなかろうか、と神父は喉まで出掛かった言葉を飲み込む。悪魔の魂を浄化し消滅させる作用のある聖水であるが、十分な量がなければ完全に消し去ることは出来ない。無論、しばらくは魂の総量が減って悪魔も弱るだろうが、時間と共に回復すれば、活動を再開させる。有事の際に村の平穏を守る為の聖水を補充に来た訳だが、まずはその悪魔憑きとやらを片付けないと話にならない。

「では、その場所を教えてください。半刻で祓って来ますので、あなたはその間少しでも休息を」

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