海を走る電車から
海だ。
心の中でそう呟くのは、もう何度目なのだろう。
高校に入ってから通学に使っている電車は、街を抜けて程なくすると海沿いに出る。
海沿いは崖になっていて、そちら側の窓からは海しか見えない。
海の上を電車が走っている。そんなような、眺めなのだ。
電車の中、俺と同じような歳の人は皆、スマホを覗き込んでいるか、誰かと話しているか。
そんな中俺は一人、何を思うでもなく海を見る。何もかも忘れて、海に見入って、見続ける。
しばらくすると、トンネルに差し掛かる。海が途切れ、黒く覆われた窓。その窓に反射して、向かいの席に座ってる女の人と目があった。
この電車は、進行方向に垂直に、二人乗りシートが、向かい合うように配置されているタイプだ。
窓越しに目が合ったっていう事は、この人も海を眺めてたのかな。
そんな風に思って見ると、その人は上品に会釈した。慌てて頷くように頭を下げる。
年は俺より少し上だろうか。自分と同じ高校生じゃないだろう。制服着てないし。
それに今時の女子高生はそんな上品じゃない。だって周りを見れば、品の欠片も無くゲラゲラ笑っている女子高生ばかりだ。別に文句じゃないけど。
そんな風に思っていると、綺麗な声が耳に届いた。
「海、好きなんですか?」
騒音の中で、時間が止まったように、その声は響いた。
「……ええ、まぁ」
いきなり話しかけられて少し戸惑ったが、なんとかそう返した。もともと人と話すのが苦手なクチだ。
「いつも海ばかり眺めてるから、気になって」
その人は少し申し訳なさそうな顔をした。
いきなり話しかけた事を悪く思ったのだろうと思い、俺は言葉を探した。
「海を見ると、忘れられるんです。嫌な事とか、そういうのがちっぽけに思えるんです」
その人は真剣な顔で、俺の話を聞いている。
「なんか、前に進もうって、そう思えるんです」
その言うとその人は、ハッとしたような顔をした。
「……私、あなたが羨ましいです」
「……え?」
意味がわからず聞き返した時、電車が止まって、その人は席を立った。
それから度々、電車の中で海を眺めるその人を見るようなった。見るようになったと言うより、今までも乗っていたけど、俺が目に止めなかったのだろう。
たまに向かいの席になると、言葉を交わしたりした。
その日も、たまたま向かいの席になった。俺もその人も海を見ていた。
ガラス越しに見えるその人の表情、その人の海を眺める表情はいつも、どこか悲しげだった。
俺はずっと気になっていた事を聞いた。
「前、俺の事を羨ましいって言いましたよね?それは……なんでですか?」
「……そのままです。海を見て、前に進もうと思えるあなたが、羨ましいんです」
意味が、分からない。
そう思ったのが伝わったのか、その人は言葉を紡いだ。
「私の父は、漁師でした」
でしたーー。その響きが、脳裏を巡った。
「私がまだ小さい時に、海で死んだんです」
「……」
なんて返せばいいのか、分からなかった。
あの悲しげな表情の裏に、そんな過去があるなんて、思いもしなかった。
「海を見るたび、父を思い出すんです。あの頃に……父がいた頃に戻りたいと……そう思ってしまう。あなたのように、前に進もうとは思えない……」
ーーーーーーーー
雫が一粒、彼女の頰を流れて弾けた。
海を見て思う事は、人それぞれ違う。俺は未来を思い、彼女は過去を想った。
それだけの違いが、この人と僕を隔てている。大きく、深い溝となって。
何か……何か出来る事はないのだろうか。
……考えても……仕方ない。今の俺の気持ちを言うしかないだろう。
俺が
「俺がなんとかします」
俺が
「前に進もうと思えなくても、俺が手を引きますから……!」
俺は
「俺は……あなたに前に進んで欲しいから……!」
あなたと
「あなたと、前に進みたいんです!」
*
それから、月日は流れ、俺は彼女と結婚し、男の子を一人授かった。
名は大洋。
もう3歳になる大洋を連れ、俺たちは実家に顔を出しに、海を走る電車に乗っていた。
街を抜けると、大洋が窓に伸び上がった。
電車は、決して戻らない時のように進み、海は決して変わらないものとして、俺たちを見守っている。
大洋は無邪気に言った。
「海だ」ーーと。
僕が通学で使う電車から着想を得ました。本当にこの話のような眺めなんです。