第48話
突如として現れた人型の魔物は、塔に空いた大きな穴から気だるそうに身を乗り出すと、まるで周囲を威嚇するかのような鋭い視線で辺りを見渡していた。
ナタク達とは距離があったため、ここからでははっきりしたことは分からぬが、それでも空いた穴の大きさから魔物の体長は成人男性の約三倍は優に超えており、全身を墨で塗りつぶしたような漆黒の毛皮で覆われ、その筋肉の塊ような逞しい体躯は、地球に生息していた霊長類最強の腕力を誇る“ある生物”を彷彿とさせていた。
あまりの事態に一同が呆気にとられている中、件の魔物は一旦大きく後ろへ仰け反るような姿勢を取ったかと思いきや、次の瞬間、両手で耳を塞ぎたくなるような強烈な咆哮をあげた後、塔の最上階付近にいたのにも拘らず、臆すること無くそのままの勢いで塔の外へと飛び降りてゆく姿が確認できた。
幸いなことに、魔物の着地地点とナタク達が使っていた訓練場では城の区画を仕切る内壁で隔たれていたため、すぐさま自分達が魔物と対峙することはなかったが、壁を挟んだ向こう側で訓練に励んでいたであろう領兵諸君にとっては、まさに青天の霹靂であったことは想像に難くなかった。
「ったくよう、人がせっかく気分良く戦ってんのに盛大に水を差しやがって。アイツはいったい何なんだ?」
こんな事態となってしまっては模擬戦など到底続けてられるはずもなく。先ほどまでとは打って変わり、渋々といった感じに使用していた騎士剣を肩に担ぎならがら対戦相手のナタクの側へと近づいてきたライルの顔には、はっきりとした不満の色が浮かんでいた。どうやら楽しんでいた模擬戦を邪魔され、相当ご立腹のようだ。
「距離の関係上、俺の鑑定では届きませんでしたが、見た感じ“クレイジーコング”という魔物に姿が似ていましたね」
「“クレイジーコング”・・・・初めて聞く魔物だな、強いのか?」
「ダンジョンで言うところのボスクラスに該当する魔物なのですが、毛並みの色が種族中もっとも格下の黒一色だったので、PT推奨レベルは35~40といったところでしょうか。
主に近接戦闘を好み、厄介な魔法などは使ってきませんが、高い腕力と豊富な体力が持ち味の魔物だったはずです」
「そいつは随分と“お手頃”だな」
「まぁ、邪魔をしてくれた憂さ晴らしをするのには、もってこいの相手ではありますね」
二人の青年が顔を見合わせ腹黒い笑みを浮かべている間にも、彼ら周りでは着々と戦いの準備が整いつつあった。
観戦していたアレックスも直ちに魔物へと対応すべく部下へ指示を飛ばし始め、レナートの警護に派遣されていたブルーノ率いる精鋭達も、全員が高価なアイテムボックスが付与されたアイテムないしスキルを保持していたようで、既に殆どの者が訓練装備から実戦兵装への換装作業を終えていた。
着替えの済んだ彼らを良く見ると、装備の何処かしらにメスティア王国の王家を象徴とする二頭の獅子をモチーフにした紋章が刻印がされていることから、どうやらこの場を借りて訓練していたのは、すべて現役の近衛部隊の者達であったようだ。
「クロード、“特別監獄塔”の使用状況はどうなっている」
「現在あの塔には、明日の午後に処刑が予定されている例の犯罪者一名のみが収容されていたはずです。ですが、塔の利用を開始してから今に至るまで、特に異常があったとの報告はされておりません」
「あそこは領兵寄宿舎のすぐ隣であろう?あんな近くに魔物が潜伏していて、誰も異変を感じなかったとは考えにくいのじゃが・・・・」
「ふむ、どうやら余興ではなさそうだな。アレックスよ、魔物討伐を開始するのであれば、ブルーノの隊からも人を貸そうか?」
「いえ。これは私の城で起こってしまった不祥事ですので、我らリマリアの兵にお任せを。
それよりも、叔父上は安全のために城のシェルターへとご退避なさって下さい」
「この城で、近衛と兄が守護するこの空間以上に安全な場所など他にはあるまい。それにお前のことだ、今から襲撃者に対して報復活動を始めるのであろう?」
「当然です。私の居城を土足で踏みにじってくれたのですから、舐めたマネをしてくれた犯人には、それ相応の報いを受けてもらいます」
「くっくく。それは、ますます見逃せんな」
「アレックスよ、こうなってしまってはテコでも動かん。いざという時はわしがどうにかするから、そのつもりで行動しなさい」
「はぁ・・・・畏まりました」
「しかし何処の誰だか知らないけれど、この時期のローレンス家に喧嘩を売るとはいい度胸してるよ。クロード、今お猿さんが暴れている辺りで訓練してたのは何処の部隊になるんだい?」
「今の時間ですと、バナック率いる重装歩兵隊が使用していたはずです」
「なるほど、貧乏くじはバナックじゃったか」
「ヤツの隊ならば、多少放っておいても涼しい顔で持ち堪えるであろう。今のうちに作戦を立てるとしよう」
「・・・・その前に、今にも飛び出て行きそうなあそこの二人をこっちに呼び寄せた方がいいんじゃない?」
「あれは間違いなく、何か悪巧みをしている顔だね」
「ホントですねぇ・・・・」
「この忙しい時に・・・・そこの戦闘狂ども、勝手な行動は許さん!戦いたければ、こっちの話し合いに加われ!!」
アレックスの怒気を孕んだ呼びかけに対し、渋るどころか「待ってました!」と言わんがばかりに、嬉々としてナタク達も話し合いへと加わった。と言うのも、ここまで聞き分けが良かったのには彼らなりの思惑があり、ナタクが持っている魔物の情報を交渉材料に、暴れたりなかった自分達も魔物討伐に参加できるよう、先ほどまで取引内容を二人して話し合っていたためであった。
「・・・・と言うのが、俺が持っている“クレイジーコング”の情報ですね」
「お前は魔物についても呆れるほどに詳しいな」
「父上、オレも絶対アイツと戦うからな!!」
「討伐に関しては、ちゃんと考えてやるから少し待っていろ!」
「あはは・・・・ちなみに私も鑑定を飛ばして確認したので、先生が仰っていた“クレイジーコング”でまず間違いないと思います。ただし、上位鑑定でもステータスが読み取れなかったので、あれは自然発生した魔物ではないと思います」
「その辺は、ダンジョンなどで出現するボス個体と特徴が一致していますね」
「アキナ君は道具も使わずに、あの距離にいる魔物へ鑑定が使えるのかい?」
「えっと、私の戦闘職は『斥候』『偵察』『情報収集』なども仕事の内に含まれますので、それに必要なスキルも積極的に伸ばしているんですよ」
「一応確認しておくが、お前達があの魔物を手引きしたのではないな?」
「神に誓って」
「滅相もない、そんな大それたことはしてません!」
「父上、ナタク君達に限ってそれはないよ。だってここ数週間、彼らを探すためにアテナがずっと精霊を飛ばしていたからね」
「・・・・流石に一度会ったことのある二人がお城に潜伏していたら、フギン達が何かしらの痕跡を感知していたはずだよ」
『なたく達、今日までまったく見当たらなかったの』
『お城でかくれんぼしてたら、絶対見つけてたです!』
「知識を司る精霊のお墨付きとは、これまた豪勢じゃな」
「私も、囚人をあの塔へ移送する際、点検作業に立会っておりましたので、彼らのアリバイを証明できるかと。こちらは、つい数日前の出来事ですしね」
「ならば良し。だがそうすると、あの魔物はいったい何処から沸いたというのだ?」
アレックスも本気でナタク達を疑っていたわけでは無さそうだが、続く問いに誰も答えを出せないでいると、ここでアキナ達の後ろでスラキチを抱えたまま控えていたアルンが、徐に片手を挙げて発言の許可を求めてきた。
「恐れながら、発言をお許しいただけますでしょうか?」
「君はナタク君の従者だっけ。今は少しでも情報が欲しいから、何か気が付いたことがあれば自由に発言してくれて構わないよ」
「ありがとうございます、それでは失礼しまして。実は先ほどの魔物についてなのですが、少しばかり私に心当たりが御座います」
「何っ、それは本当か!!」
一同が驚く中、アルンは肯定するため一度頷いてみせると、ここからナタクも知らなかった知識を皆の前で披露し始めた。
「これは魔族についての古い文献に記載されていた情報なのですが、まだ魔族と人間が戦争をしていた時代に、『愚者の剣』という生きた人間を魔物に変えてしまう恐ろしい呪具を魔族側が使用していたという記録が御座います。今の状況は、それに限りなく酷似しているかと」
「そんな資料が残っているのか。そっちの二人は何か知っているか?」
「私は、そのアイテムの名前を初めて聞きました」
「似たような物で『悪魔の書』ならば知っていますが、その『愚者の剣』というのはどういったアイテムになるのですか?」
「『悪魔の書』をご存知なんですね。ならば『愚者の剣』は、その劣化模造品であるとお考えいただくのが一番イメージしやすいかと思われます。
『悪魔の書』は使用者の心に巣食う“七罪”全てを糧として、人間を国落しすら可能となる究極の化け物へ進化させてしまう戦略兵器であるのに対して、『愚者の剣』はあくまでその中の一つである『嫉妬』の感情をより強く引き出し、使用者を無理やり魔物に変える戦術兵器であったと、その文献には書かれていました」
「なるほど、それで劣化コピーというわけですか」
「と言うと何かい、あそこで暴れているお猿さんはつまり・・・・」
「人間を材料にして生み出された可能性が、極めて高いと考えられます」
「あまり気持ちのいい話ではないな」
「だが、かなり役立つ情報ではありました。アルンといったか、協力に感謝する」
「しかしそうなると、あちらで暴れているのは陽動の可能性が非常に高く、呪具を城へ持ち込んだ不届き者が裏で何かを企んでいるか突き止める必要があるわけか。中々に厄介じゃな」
「それについて、もう一つ訊ねてみたいことがあるのですが・・・・」
「この際だ、気になることがあるなら好きに申してみよ」
レナートの許しを得て、一瞬アルンがナタクの方を向いて微笑んだように見えたが、この笑顔、ナタクにはどうにも引っかかるものに感じられた。
(って、あれはクランに所属していた頃、アルンが何か悪戯を仕掛ける際に使用していた合図ではないか!?)
ナタクがそれに気が付き、慌てて彼女の発言を止めようと動くも、時すでに遅く。アルンの口から、とんでもない爆弾発言が投下されたのだった。
「この城では、“魔族”を雇っていたりしませんか?」
バナックか!それなら安心だ( ー`дー´)
バナックなら持ち堪えるじゃろ(`・ω・´)
(バナックさんっていったい?)(;´・ω・`)