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日本海兵隊所属の登場人物

1939年9月1日時点での(現役以外も含む)日本海兵隊所属の登場人物紹介になります。

現役


石川 信吾(イシカワ シンゴ)、1894年生、海兵42期、海兵隊大佐

 第4部で登場。ベルリンオリンピック、日本サッカー代表監督を務める。独特の政治力の持ち主でもあり、日米の仲が悪ければ、日米戦を引き起こしていた、とまで評される。


石原 莞爾(イシハラ カンジ)、1889年生、海兵37期、海兵隊少将

 第5部で登場。満州事変、スペイン内戦で、帷幄の参謀として辣腕を振るい、「現在の日本海兵隊の作戦の神様」等の異名の持ち主。


大田 実(オオタ ミノル)、1891年生、海兵41期、海兵隊大佐

 第3部で登場。地獄を見た、と謳われた海兵41期の中で、当初から海兵隊員となった中では、今や唯一の生き残りであり、第一次世界大戦のガリポリの戦いで初陣を飾り、その後も軍功を挙げた武人。


岡村 徳長(オカムラ トクナガ)、1897年生、海兵45期、海兵隊中佐

 第4部で登場。土方歳一の(自称)親友(土方歳一曰く、腐れ縁)の間柄。第一次世界大戦以来の様々な経験から、戦車のエキスパートして知られた存在。


岸 総司(キシ ソウジ)、1916年生、海兵65期、海兵隊中尉

 第8部で登場。「ユーグ・ダヴー」の遺児の「四姉弟」の一人で、三番目の出生。岸三郎の孫にして養子。


北白川宮 成久王(キタシラカワミヤ ナルヒサオウ)、1887年生、海兵36期、海兵隊中将

 第4部で登場。第一次世界大戦のガリポリの戦いで初陣を飾り、満州事変等で武名を轟かせた宮様。父、北白川宮能久王海兵隊大将の血を受け継いだこともあり、日本国内外の知名度は高い。


高木 惣吉(タカギ ソウキチ)、1893年生、海兵43期、海兵隊中佐

 第3部で登場。第一次世界大戦のヴェルダン要塞攻防戦で初陣を飾る。「ユーグ・ダヴー」の友人で、スペイン内戦に出征した際は、(お互いに知らなかったが)遺児のアラン・ダヴーの上官を務めた。


土方 勇(ヒジカタ イサム)、1918年生、海兵67期 海兵隊少尉

 第8部で登場。土方歳一の長男。


土方歳一(ヒジカタトシカズ)、1895年生、海兵45期、海兵隊中佐

 第4部で登場。土方勇志の長男。第一次世界大戦末期の最終攻勢で初陣を飾り、その後も、中国等で戦歴を重ねる。


退役


北白川宮 能久親王(キタシラカワミヤ ヨシヒサシンノウ)1847年生 海兵隊大将

 第1部で登場。幕末時の輪王寺宮として(史実でも)著名な存在。明治天皇の義理の叔父であり、草創期の海兵隊が存続したのは、この人の影働き(明治天皇等へ海兵隊存続を働きかけた)が大きい。林忠崇等のために、前線で戦うことは余りなかったが、西南戦争や義和団事件等では自らも出征した。日露戦争後に薨去されている。


斎藤 一(サイトウ ハジメ)、1848年生、海兵隊少将

 第1部で登場。新選組の隊士として(史実でも)著名な存在。西南戦争終結後、大尉として予備役編入されて民間人として暮らしていたが、日清戦争勃発に伴い、現役招集された。日清戦争後も、海兵隊拡張に伴い、現役を続行し、義和団事件にも出征、最終的に海兵隊少将として退役。第一次世界大戦中に病死した。


斎藤 實(サイトウ マコト)、1858年生、海兵6期、海兵隊中将、元首相

 第1部で登場。本多幸七郎の後継者として、育て上げられ、海兵本部長を務めていたところ、シーメンス事件(の予防)処理の為に海相に就任。第一次世界大戦中の舌禍事件で、海相を辞任した後は、元老の山本権兵衛元首相の顧問等を務めていたが、ロンドン海軍軍縮条約による海軍本体の粛軍の為に、海相に復帰する。その後、海相在任中に、五・一五事件発生。その後始末の為に、首相に就任したが、衆議院選挙大敗に伴い、首相を辞任した。米内光政首相を政界に引き込んだ張本人。米内内閣の誕生を見届け、病死した。


鈴木 貫太郎(スズキ カンタロウ)、1868年生、海兵14期、海兵隊大将、枢密院議長

 第2部で登場。林忠崇、斎藤實に目を掛けられて、昇進し、海軍次官、海兵本部長を務めた。その一方、日露戦争や第一次世界大戦では、「鬼貫」の異名を謳われた勇将でもある。海兵隊予備役編入後は、侍従長を務めたが、宇垣内閣成立に伴い、侍従長を辞職。米内内閣成立に伴い、枢密院議長に就任した。


林 忠崇(ハヤシ タダタカ)1848年生、元帥海兵隊大将 侯爵

 第1部で登場。本編の主人公格の1人(もう一つの主人公格は、土方一族)。元大名にして、戊辰戦争から第一次世界大戦までの戦歴を誇る海兵隊の大御所。第一次世界大戦後は、予備役に編入され、元老の山本権兵衛元首相の懐刀として働き、その死後は、(現在も)元老の西園寺公望元首相の相談役を務める。


本多 幸七郎(ホンダ コウシチロウ)1845年生、海兵隊中将

 第1部で登場。本多正信の生まれ変わり、とまで評された政治的才能を誇る元幕臣にして、日清、日露戦争時の大海兵本部長。西郷従道や山県有朋、陸奥宗光、小村寿太郎等とも渡り合い、小倉処平と組んで、下関条約やポーツマス条約締結時には暗躍した。日露戦争後に病死した。


米内 光政(ヨナイ ミツマサ)、1880年生、海兵29期、海兵隊中将、首相

 第3部で登場。斎藤實、鈴木貫太郎の薫陶を受けて育ち、海兵本部長を務める。最も、鈴木貫太郎と同様に、戦場でも名声を馳せており、特に、北京政変時における元皇帝溥儀救出作戦成功は、英雄として知られる由縁にもなった。斎藤實の誘いにより、立憲政友会所属の代議士候補として、衆議院選挙に出馬して当選し、更に、立憲政友会総裁代行に抜擢される。その後、紆余曲折を経て、首相に就任し、立憲政友会総裁にも正式に選出される。


「ユーグ・ダヴー」、1892年生?、海兵42期、海兵隊中尉

 本編では登場していない。なお、ユーグ・ダヴーという名も、外伝で、もし今でも生きていたら、という小説で描かれた名前で、本来の日本人名は、別にある。会津藩の中士階級の士族だった。「四姉弟」の村山幸恵、土方(篠田)千恵子、岸総司、アラン・ダヴーの実父。ヴェルダン要塞攻防戦の際に、戦死している。

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