日本の民間人、外国人の人名録
日本の民間人
小倉 処平(オグラ ショヘイ)、1846年生
「飫肥の小西郷」、と地元の飫肥では謳われた名士で、小村寿太郎の恩師に当たる。西南戦争で西郷軍に所属して戦ったが、武運拙く負傷して捕虜となり、それをきっかけに、本多幸七郎の隠れた親友になる。その後、自由党、立憲政友会等の代議士として活動し、下関条約やポーツマス条約では暗躍する。弟子の小村寿太郎の死を見届けた後、弟子の後を追うように病死する。
篠田(土方) 千恵子 (シノダ(ヒジカタ) チエコ)、1916年生
「四姉弟」の一人で、「ユーグ・ダヴー」の二番目の子、篠田りつの娘。土方勇の妻。東京高等女子師範学校を卒業した才媛。岸総司を異母弟として、可愛がっている。村山幸恵が異母姉なのを察しているが、沈黙している。アラン・ダヴーについては、全く知らない。
高畑 誠一(タカハタ セイイチ)、1887年生、
鈴木商店に入社し、頭角を現す。第一次世界大戦時には、ロンドン支店長として、辣腕を振るい、「カイザーを商人にしたような男」と謳われる。その後、2代目鈴木岩治郎の娘婿となる、昭和金融恐慌により、破たんに瀕した鈴木商店を救うために、2代目鈴木岩次郎の女婿ということもあり、鈴木商店の3代目のトップに就任。GMの支援を仰ぐこと等によって、見事に鈴木商店を日本第一の財閥に成長させた。
村山幸恵(ムラヤマ サチエ)、1916年生
「四姉弟」の一人で、「ユーグ・ダヴー」の最初の子、村山キクの娘。料亭「北白川」の若女将。なお、幸恵自身は、篠田千恵子や岸総司の異母姉なのを察しているが、沈黙を保っている。アラン・ダヴーについては、全く知らない。(なお、早生まれなので、学年的には、千恵子や総司の1学年上になる。)
外国人
アラン・ダヴー、1917年生、フランス陸軍中尉
「四姉弟」の一人で、「ユーグ・ダヴー」の末っ子、ジャンヌ・ダヴーの息子。フランス陸軍士官学校在学時に、スペイン内戦の「白い国際旅団」に志願し、実戦で、軍人としての才能を示す。それによって、土方勇志伯爵から推薦状がフランス陸軍に出されたこともあり、中尉に特進している。なお、他の姉弟については、全く知らない(「ユーグ・ダヴー」が実父であることさえ、母のジャンヌは秘している。)。
エーリヒ・フォン・レヴィンスキー、1887年生、ポーランド陸軍少将
元々は、独陸軍所属で、ヒンデンブルク独陸軍元帥(独大統領)の義理の甥という、独軍人としては名門の流れをくむ存在。だが、第一次世界大戦後のソ連・ポーランド戦争において、独の赤化を防ぐためにポーランドと共闘したドイツ人義勇兵の一員に参加したことから運命が暗転する。ラパッロ条約等により、ドイツ人義勇兵は、戦犯としてソ連に引き渡されることになったことから、ポーランドに亡命し、ポーランド陸軍士官になる。今では、ポーランド陸軍少将にまで昇進している。
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