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最終話

 よく分からないこと、あるいは思い出せないことが、ディータには沢山あった。


 両親が死んだ時、自分は何を思ったのか。初めて人を斬った時、何を思ったのか。自らの師匠を斬った時、自分は彼から何を受け取ったのか。


(――そもそも、俺はなぜ、剣を極めようと思ったのか)


 本当は心のどこかで、何か別のことを望んでいるような気がしていた。しかしそれが何なのか、ディータには分からなかった。意思や感情というものはあまりにも曖昧で、はっきりと掴むことはできないのだ。


 ただ、何も分からないまま、ディータはここまで来てしまっていた。



 ◇



 月明かりの下、ナツメの抜いた二本の短刀は鈍い光を反射していた。


「何のつもりだ」


「ですから、私があなたを止めるんですよ。この二本の短刀で」


 迷いの無い声でナツメは返した。


「無理だ。お前では俺を止めるなどできない」


「そうですかね?」


「剣を収めろ」


「嫌ですよ。私と戦いたくないなら、このまま引き返して、ベッドに戻って下さい。そしたら何の問題もありません」


 しかし、ディータは動かない。


 沈黙の末、ナツメは悲しそうな様子で言った。


「私は、あなたの剣に憧れていたんです。盗賊退治をしたあの日、私はあなたの振るう剣に惹かれ、心を奪われたんです。あなたの戦っている姿が見たくて、私はあなたと一緒にここまで来たんです。……だから本当は、今でも、あなたには剣を握って戦って欲しいんです」


「……ならなぜ、止める」


「あなたに、死んでほしくないからです。……最初の頃なら、別に止めなかったでしょうし、むしろ喜んだと思います。……本当に、私も良く分かりません。いつからか、知らないうちに、私の中の優先順位がすり替わっちゃっていました」


 困った顔で彼女は言った。


「だから、もう一度お願いします。ここはどうか、引いてくれませんか? ……それで、剣の道が進めなくなったのなら、いっそのこと剣を捨ててみたらどうですか? 私とあなたで、小さな行商なんかをやりながら、あちこちを旅したりしませんか? どこにでもあるような普通の生き方です。一緒にやっていきましょうよ。あなたにとって普通の生き方というのは難しいと思いますし、私にだってよく分かりませんけど……。でも、二人でやれば、意外と簡単にできちゃうんじゃないかと思うんです」


 彼女は一息にそう言った。


 ディータは彼女のその発言を、頭の中で反芻する。


(……思えばなぜ、俺はああも必死に、毒使いを探したのか)


 彼女を助ける義務などなかった。さらに、フェリクスとの決闘を前に、自らを鍛えなくてはならない時でもあった。


(それでもナツメを優先したのは、恐らく――俺がナツメの存在に、安らぎを感じていたからだろう)


 ざあっと二人の間を風が通り過ぎた。


 やがて、ディータは静かに顔を上げ、言った。


「ナツメの言うような可能性も、あるかもしれない。ありえるかもしれない。……だが、今の俺にはそれを選ぶつもりはない」


 彼は自らの剣の柄にそっと手をやった。


「もう一度言う。剣を収めろ。そこをどけ。でなければ、本当に斬らなくてはならない。俺は真剣を抜いた相手に手加減をするつもりはない」


「何度言っても無駄ですよ。私はどきません」


 その表情は美しかった。彼女は命を賭けてそこに立っていた。


 ディータは小さく息を吐き、そして音もなく抜刀した。



 ◇



 ナツメは決して弱くはなかった。むしろ、ディータが今まで斬ってきた人達の中では、腕が立つ方であった。


 しかしその戦いは、わずか三合の打ち合いで決着がついた。


 彼女の戦闘能力は確かに優れていた。しかし、ディータのそれとは比較にならなかった。ましてや病み上がりで動きが鈍っているとなれば、その結果は必然とも言えた。


 ナツメはその場に崩れ落ちた。狭い道路に彼女の血が広がっていく。それは鮮やかな朱色だった。


 彼女はここで死ぬ。ディータには、殺さずに彼女を止めることなど容易にできた。しかし、彼はそれをしなかった。


 剣士として、彼女を斬った。


「…………あは……」


 血溜まりの中で、ナツメは笑った。


「……私、気づいちゃいました。……さっき私が言ったことは、全部、ただの建前です。……本当は、ただ、あなたと……あなたと、剣を交わしてみたかっただけ……」


 そして、彼女の生命活動は終わりを告げた。


 ディータは横たわるナツメのの躯を、じっと眺める。


 自分の中の何かが、音を立てて崩壊していくのが彼には分かった。


 今ここで彼が斬ったのは、彼女だけではなかった。彼の中にあるもっと根本的な、彼を今いる場所につなぎとめている紐のようなものを、彼女と一緒に斬ってしまったのだ。


 崩壊の音を聞きながら、ディータは歩き出した。月の明かりが先程よりも眩しくなっているような気がする。視界が広がっているように感じる。


 世界から色が消えていく。研ぎ澄まされ、シンプルに、真っ直ぐになっていく。ただ透明で、色のない世界。


 全ては変わってしまった。そしてそれはもう二度と、元には戻らない。


(だが、これこそが、俺の望んだ……)


 彼は透き通るような現実の中、ゆっくりと、決闘の場所に向かった。



 ◇



 闘技場の裏のその場所には、既に多くの人が集まっていた。


 ディータが来たことに気づくと、彼の前からさっと人が引き、道ができる。そしてその先にはフェリクスが立っていた。


「すまない。少し遅れた」


 そう言うディータを、フェリクスはじっと見つめる。


「……この前とは、まるで別人ですね」


「分かるのか?」


「はい。――ともすれば、極めてしまったようにも見えます。剣というものを」


 それ以上交わすべき言葉は無く、ただ沈黙が漂った。


 やがて、示し合わせたかのように同時に、二人は抜刀した。



 ◇



(相変わらず、なんて静かな気配だ)


 一切の乱れが無い。迷いも恐怖も、何も無い。あまりにも静かなそのあり方に、ふとした拍子に吸い込まれてしまいそうになる。


 先に仕掛けたのはディータだった。毒の影響で体力的にギリギリの彼がフェリクスに勝つには、素早く一気に決着に持っていくしか無い。長引けば長引くほど不利になる。


 ディータの放った一撃を、フェリクスは流れるように受け流す。


 と同時に、ディータの左腕に激痛が走った。


(速いな)


 彼にはその軌跡を追うだけで精一杯だった。防ぎ切ることなどとてもできない。


 腕の傷は深いが、幸い、剣を握れないほどではない。


(この程度の傷なら、いくら受けても問題無い。もとより、命を捨てるつもりでここに来た)


 と、次に仕掛けたのはフェリクスだった。ギリギリでその攻撃をいなしながら、ディータは相手の急所を狙って突く。それはフェリクスの頬を微かに傷つけるが、あまりにも浅い。対してディータには、見切りきれなかった剣筋により、またしても深い傷が一つ加わった。


 ――それから更に幾度か、二人は剣を交わした。


 気づけばディータの周りには血溜まりができていた。


 受けた傷はあまりにも多い。ふとした拍子に飛んでしまいそうになる意識を、ディータは必死につなぎとめている。そろそろ、彼は限界だった。


 唐突に、すぅっと周りの音が消えていった。そして深い静寂が訪れる。


 聞こえるのはただ、自らの心臓の鼓動だけ。その無音の世界は、まさしく彼の命そのものだった。


 フェリクスが間合いを詰めてくるのが見えた。その踏み込みは先程までよりも鋭い。この一撃で決着をつけるつもりなのだろう。


 しかしディータはその攻撃に反応できない。ゆらゆらと、体が揺れている。視界が定まらない。よく見えない。


 突然、ディータは、自分がこれまでに斬ってきた人達のことを思い出した。彼らの死ぬ間際の様子が一気によみがえり、しかしそれは瞬時に消えた。その僅か一瞬、ディータは、剣を極めるというのがどういうことなのか、理解したような気がした。しかしその気付きは、あっという間に通り過ぎていく。なんとかそれを掴もうと、ディータは手を伸ばし――――その手に握られた剣は、フェリクスの喉を見事に切り裂いていた。



 ◇



 鮮血は噴水のように飛び散った。月明かりの下、真紅の華が咲く。フェリクスはそれを眺めながら、息絶えた。彼は最後の最後まで、その落ち着いた気配を乱すことは無かった。


 ふとディータは、自らの肩、腕の付け根の部分にフェリクスの剣が突き刺さっていることに気がついた。彼はそれを反対側の手で無造作に引き抜く。痛みはほとんど感じなかった。


「……まさか、あのフェリクスが」


 戦いを見守っていた誰かの呟きが聞こえた。


「ここ何年も、ずっと、ほぼ無傷で戦い続けてきたあの男が……」


 群衆はざわついていく。


 いつだったか、フェリクスをこの大陸最強の剣士だと言っていた男のことを思い出す。


(それが本当なら、それを斬った俺が、今の最強なのか)


 ディータはふらふらと歩き出した。応急処置をしようと近寄る男たちを手で制し、その場から立ち去る。


 もともと毒により体は疲弊しきっていた。そこにこの無数の傷と出血。今更何をしようと、生き延びることは不可能だった。


 這いずるようにディータは歩く。どこか明確な目的地があるわけではない。ただ、今は一人、静かな場所に行きたかった。


 血の跡を残しながら歩き続け、気づけば彼は町を出ていた。


 やがて、町の側に広がる草原の真ん中で、ディータは倒れた。立ち上がろうにも立ち上がれない。もう僅か一歩進むだけの体力も残っていない。


 風が通り過ぎる音が聞こえる。仰向けに倒れる彼の目の前には、広い空が広がっている。その空はうっすらと白み始めていた。


 全身の感覚が消えていく。血液とともに、意識が外に流れ出ていく。


 戦いの最中、一瞬だけ、剣というものを極めた気がした。しかしすぐに、それは消えた。もともと、自分が追っていたのはそういうものだったのかもしれない。現れては消え、永遠にたどり着くことはできない。


 ここに来るまで、沢山の人を斬ってきた。その全てを、ディータは覚えている。


 師匠も、善人も、悪人も、そして、もしかしたら共に生きることができたかもしれない人も、斬った。


 その果てにあったのが、この何もない殺風景な草原だ。


(何も無い……が……)


 空を眺める。明るくなり、星や月の光はもう見えない。もうすぐ日が昇るのだろう。


(何だか、少し、安らかな気持ちだ)


 ディータは目を閉じた。


 そして、鮮やかな朝陽とともに新しい一日が始まろうとする中、一人の剣士が、その草原で命を落とした。

これにて完結です。

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

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