第一話
「強い剣士を探している?」
「ああ」
「強い剣士ねぇ……。そんなのこの村にはいないよ。昔から争いごととは無縁の場所だったからね」
「そうか……」
「まぁそれもあって、最近は何やら困ったことになってるみたいだけど」
「……?」
◇
その村には名前が無かった。近くに大きな川が流れていることもあり、川沿いの村、などと旅人や商人の間で呼ばれているが、正式な名前はまだついていない。
人口も少なく、これといった名産もない小さな村である。
そんな村の片隅。先程まで村人達に、「ここに強い剣士はいないか」と尋ね回っていたディータは、人知れずため息をついた。
誰に聞いても、いないと返ってくる。村の小ささを考えると、それも仕方がないかもしれない。
(……必要なものだけ買って、明日にでも発ってしまうか)
と、丁度そこに、
「あのー、もしかしてあなたですか? 強い剣士を探しているっていうのは……」
話しかけてきたのは小柄な女性だった。さらりと黒い髪が揺れる。この辺りで黒髪は珍しい、とディータは思う。
「ああ、確かにそれは俺だ」
「差し支えなければ、なぜ探しているのか教えていただいてもよろしいですか?」
「決まってる。戦うためだ」
「戦うため?」
「ああ。俺は剣の道を極めるために旅をしている。そのためには強い剣士を探し、斬って、探し、斬って……。これを続けなくてはならない」
「な、なるほど……」
ディータの発言に彼女は少々困惑しながらも言った。
「そういうことでしたら、少し面白い話がありますよ」
「何だ?」
「最近、この近くに山賊が出るって話があるんです。それを心配した村長さんから、倒してくれって依頼が出ていて。……それでまぁ色々あって、腕に自信のある流れ者を集めて、大勢でアジトを襲撃するって計画が現在進んでいるわけなんですが……」
黒髪の女性はさらに続けた。
「ちょーっと戦力が足りない感じで、困ってるんですよ。最強を目指すってことは腕に覚えがあるってことですよね? 少しばかり力を貸してはくれませんか?」
「盗賊退治か……」
僅かに思案した後、彼は言った。
「そいつらは強いのか?」
「そりゃもう! すんごい強いですよ! 以前に何人か盗賊退治に行った方々もいるんですが、誰も彼もが死んじゃって。聞いた話によれば、そこの頭領は妙な妖刀を持ってるとか……」
「なるほど。強い奴を斬れるのなら俺も参加する」
「ありがとうございます!」
◇
それから数日後の夜。彼らは行動を開始した。
月明かりの下、大勢の武装集団が音を立てないように注意しながら行進していく。ディータはその中に混じりながら、かすかな落胆を覚えていた。
(これが討伐隊か……どいつもこいつも、剣の腕は並以下だな……)
盗賊の力がどの程度かは分からない。強いとは聞いていたが、果たしてどれほどのものなのか。ここを歩いている人間のうち、どれだけが生きて帰れるのか。
それから暫くして、
「何だお前らは!?」
前方からどすの利いた男の声が飛んできた。
「出たぞ!」
「構えろ!!」
その声と共に皆が一斉に抜刀する。
「ちっ、どうやら俺達とやる気らしいな!」
盗賊らしき男の後ろから、さらにぞろぞろと仲間がやってくる。
「行くぞ!」
先頭の誰かがそう叫ぶと同時に、戦いが始まった。
あちこちで武器のぶつかりあう音、罵声、そして悲鳴が飛び交う。その間を縫うようにしてディータは進む。彼のもつ剣は未だ鞘に入ったままである。
「おい! 先には通さねえぞ!」
剣を突きつけそう言う男に、ディータはただ淡々と返した。
「お前たちの頭領はどこにいる?」
「はぁ? そんなの言うわけねぇだろうが!!」
「そうか」
と、ディータが呟くと同時に鮮血が迸った。その男は自らの斬られた箇所を確認しようとする途中で絶命し、崩れ落ちる。ディータは剣を鞘に収める。
(とにかく、先に行ってみるか)
彼は戦いの場を背にし、そのまま森の奥へと進んでいった。
◇
戦闘が行われている場所からさらに先。そこにはいくつかの小屋が建っていた。
まわりにはテントが貼られ、大人数がここで生活していることが分かる。しかし、今は誰もいない。皆、戦いに向かった後だからである。
そうして誰もいない盗賊の拠点を、木々の間に隠れながら見ているのは、黒髪の小柄な女性――ナツメだった。
(――実際の所、盗賊の討伐が成功しようが失敗しようが、どうでもいいのです)
もっとも、戦いが成功して報酬が手に入ればそれに越したことはない。しかしナツメの本当の目的は、彼らを陽動として使い、その間に盗賊の拠点から金品を盗み出してしまうことだった。
(そもそも、流れ者を寄せ集めただけの烏合の衆で、太刀打ちできるのかって話ですよ)
気配を殺しながら、彼女はいくつかのテントと小屋を見て回る。
ざっと価値のありそうなものを回収した後、彼女は困ったように眉を寄せた。
(……あそこの建物だけ、なんでか人の気配がするんですよねぇ。それもなんかヤバそうな類の。いやーなオーラをガンガン感じますよ)
感じられる気配は一人分。しかしどうにも、まともに戦って勝てそうな気配ではない。妖刀やらの噂もある。もしかしたら盗賊の頭領が一人、残っているのかもしれない。
(でももし頭領がいるのだとしたら、ぜったい何か高価な物が近くにありますよね。そもそも、その妖刀というのも高く売れそうですし。……うーん、困りました…………あれ……?)
ナツメの視界に、一人の男の姿が入ってきた。
(――ああ、あの、強い剣士と戦いたいって言ってた、なんか暑苦しくて固い感じのおサムライさんみたいな人ですね)
その男は一直線に、盗賊の頭領がいるであろう建物へと向かっていく。恐らく、戦うつもりなのだろう。だとすれば、その戦っている隙をついて小屋の奥に忍び込むこともできるかもしれない。
(チャンス到来、ですね)
ナツメは音を立てずに行動を開始した。
◇
ディータがその扉を開くと、中からむわっとした空気が漂ってきた。それは肉と酒の匂いだった。
「酒盛りでもしていたのか?」
彼が言うと、奥から返答が届いた。
「いや。ちょうどこれから始めるところだったんだ。まったく、てめぇらのせいで台無しだ」
男の鋭い眼光がディータに突き刺さる。まるで狼のような男だ、と彼は思う。
「ここの盗賊の頭領は、お前か?」
「そうだ。てめぇは何だ?」
「俺はディータと言う。剣の道を極めるために旅をしている。お前は強いと聞いたもんでな、斬りに来た」
「俺を斬る? 馬鹿を言え。斬られるのはてめぇのほうだよ。俺は人を虫けらと同じだと思っているが、仲間は別だ。殺されれば俺もすごくいてぇし、腸が煮えくり返る」
「そうか」
「けっ、澄ました顔をしやがって」
「――お前は、今までに何人の人間を斬ったことがある?」
ディータのその問いに、男は驚いたような顔をし、それから笑った。
「ははは! 何だよそれ! そんなの覚えてるわけねぇだろ!? 何かを襲う度に人を殺してきたさ。好きなだけ殺した。人数なんて覚えちゃいねぇよ」
笑う彼に、ディータはただ告げた。
「俺は生まれてから今まで、九十五人の人間を斬ったことがある」
「あん?」
「そのうちのほとんどは名前も、出身地も分からない。どんな思想を持っていたのかも分からない。だが、そいつが使った剣の動き、気配、そして死ぬ瞬間の表情はきちんと覚えている。脳裏に焼き付いている。忘れようにも不可能だ」
ディータは続ける。
「人を斬るというのは、そういうことだ」
男は大きく舌打ちをした。
「これだからお前みてぇな奴は嫌なんだ……。剣も刀もただの人切り包丁。それを振り回す行為に、つまらん思想や哲学を重ねやがる。美しいものが見たいなら宝石でも眺めてろってんだ。殺し合いにそんなもの必要ねぇんだよ」
それに、と彼は刀を引き抜きながら言った。
「男が二人、腰に刃物をぶら下げてるんだ。ぐだらないお喋りする意味なんてねぇだろ」
「……そうだな。確かに無粋だ」
ディータは音もなく剣を引き抜く。
彼は男の持つ刀に目をやった。刃の色が少し赤い。ただの血液によるものとは違う色合いだ。妖刀がどうとかいう噂については話半分に聞いていたが、まるっきり嘘というわけでもないらしい。
ほんの数瞬ばかり、二人の間を沈黙が漂い――やがて動いた。
◇
ちょうど男が二人、会話をしていた頃。
気づかれないように気配を殺し、ナツメは奥に忍び込んでいた。
彼女の読み通り、そこには確かに高価な物がいくつか保管されていた。が、それは彼女が想像していたよりも幾分少なかった。
(なんというか、もうちょっと溜め込んでいて欲しかったですねぇ……。手に入れたそばから全部使っちゃうタイプだったんでしょうか)
ゴソゴソと回収しながらナツメは内心で呟く。
(まぁ、例の妖刀もありますし、さっきのサムライさんがうまく倒してくれれば万々歳なんですが)
一通り物色したナツメは、立ち去るために足音を殺して動き出した。そしてゆっくりと、二人の男の様子が見える位置に移動していく。そして、その姿が彼女の視界に入ったのとほぼ同時に、鋭い剣戟の音が強く響き渡った。
一合。ビリビリとした痺れが彼女の背筋を走った。その音は今までに聞いたことが無い類のものだった。ただ金属同士を叩きつけただけではこのような音は生じ得ない。
二合。薄暗い小屋の中に瞬く光。それはあまりにも鋭く、かつ緩やかで、まるで水面に映る月を眺めているよう。剣というのは刃のついた棒とは違うと、脳ではなく本能で理解する。
三合。先程までの二撃とは異なり、響いた音はあまりにも小さい。すぅっと空気は流れ、数瞬の空白が作られる。
そしてその空白を射止めるように、気づけば盗賊の頭領の胸に、剣が突き刺さっていた。
「…………あ……」
彼は吐息のように微かな声を漏らし、そのまま絶命した。
静かに剣を引き抜いたその剣士は、少しの間その男の死体を眺めた後、ふと気づいたようにナツメのほうを向いた。
「何だ。いないと思っていたら、こんなところにいたのか」
「――――」
「これで俺の用事は終わった。先に帰らせてもらうぞ」
そう告げ、彼はそのまま何気ない足取りで出ていった。
残されたのはただ、呆然としているナツメだけだ。
脳裏には先程の光景が焼き付いている。そして何度も何度も、彼女の中でその様子が繰り返されている。たった今目の前で繰り広げられた戦いは、あまりにも美しすぎた。
「……なんで?」
その声はまるで小さな子供のようだ。気づけば心はむき出しになってしまっている。ナツメにとってそれは初めての経験であり、何もかもが分からなくなっていた。
「なんで、泣いてるんだろ……」
ただただ涙を拭うことしかできない。
人が戦っているところを見るのは今までに何度もあった。しかし今の戦いには、それまで見たこともなかった、何かが含まれていた。何もかもが美しく、今まで積み上げてきたモノがボロボロと崩れ落ちてしまうような……。
本来なら足元に転がる妖刀を拾い、すぐにでも立ち去るべきだった。しかし彼女はそれから暫くの間、そこで泣いた。
◇
「あ、こちらにいたんですか! 探しましたよ!」
川沿いの村。寂れた喫茶店の片隅で一人静かに食事をしていたディータは、その声に顔を上げた。そこには彼に盗賊退治の話を持ちかけた、黒髪の女性の姿があった。
「報酬は後で取りに来て下さいねって言いませんでした? 全然来ないんですから」
「――ああ。そういえば忘れてたな」
「はい。というわけでこれがサムライ様の分です」
「……こんなに貰って良いのか?」
「とんでもない! 少なくて申し訳ないくらいです! 本当は頭領を倒したあなたが一番多くもらうべきなんですけど……山分けするって契約で人を集めていたので……」
「そうか。何にせよわざわざ助かる」
ディータはその報酬を懐にしまった。
「…………えーっと、それでですね。ちょっとだけお尋ねしてもいいですか?」
「なんだ?」
「剣を極めるっておっしゃてましたけど、サムライ様はこれからどこを目指すのかなぁというのが少し気になりまして……。いえ別に何か下心とかは無いんですけど」
「どこを……か……」
思案した後、彼はため息をついた。
「とりあえず転々を移動してはいるが、明確な目的地は無い。むしろこちらが教えて欲しいくらいだ。強い剣士の噂は知らないか?」
その言葉に、彼女は目を輝かせながら言った。
「でしたら、西方にある闘技場に行くのはどうでしょう!」
「闘技場?」
「はい。私も実際に行ったことは無いんですが、何やら、大陸中から腕に覚えがある人が集まって、日夜決闘をしているとか……」
彼女は説明を続けた。
その始まりはわずか二十年ほど前。最初は何もない空き地に好き者だけが集まり、喧嘩のようなことをしていたのが発端だったという。
次第にその噂を聞いた人が集まり初め、気づけばその喧嘩にはルールが作られ、戦いの場も整えられていった。そしてそのまわりに店や住居が次々に並び始め……今では大きな町のようになっているという。
「現在、一番お金の流れがホットなのはそこなんですよね。実は私もちょうど、そこを目指している途中なんです」
「……なるほど、闘技場か。確かに行く価値はあるかもしれない」
そうディータが言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「でしたら、是非私の馬車に乗って行きませんか!?」
「馬車に? ……というか、あんたは何なんだ?」
「あれ? もしかしてまだ名前も言ってなかったりします? ――失礼しました! 私はナツメって言います。基本的にしがない商人みたいなことをやっててて、さっき言ったように、ちょうど私も闘技場に行くところだったんですよ!」
まくし立てるように続ける。
「それで、ですね、もしよかったらその、一緒に来て用心棒のようなことをやっていただけないかなぁ、と。ここから闘技場まで徒歩なら数ヶ月かかりますが、一緒に来ていただければ一ヶ月ほどで済みますよ!? それに給金もはずみます。三食昼寝付きで、なーんにも面倒事が無かったとしても、きっちり払わせて頂きますから!」
「用心棒か。分かった。やらせてくれ」
「本当ですか!?」
「別に金はいらない。運んでくれるだけで良い」
「そんなわけにはいきませんよ! サムライ様はめちゃ強いですから! ……でも、良かったぁ」
ナツメはほっと息を吐いた。
◇
早朝。ようやく太陽が登り始めようとしている時間帯。
村の入り口で、ナツメは一人、ディータが来るのを待っていた。
約束の時刻まであと少し。彼を待ちながら、彼女は静かに、自らの行動の意味を考えていた。
(いったい、私はどうしてしまったんですかね……)
ディータが盗賊の頭領と戦っているところを見てから、何かが致命的なまでにおかしくなった。頭の中のネジがいくつかはじけ飛んでしまった。
(闘技場がどうとか、用心棒がどうとか、全部ただの口実。たとえサムライ様にどこか明確な目的地があったとしても、何だかんだ理由をつけて私はついていったはず……)
自分はもっと合理的な考えをする人間ではなかったか、と彼女は思う。
(彼の剣が、これからどうなるのか見届けたいと……私はそう思ってるんですかね? ……なんですかこれは。まるで子供のように地に足のついていない思考。恋する乙女のような甘ったるい発想……)
ナツメは大きくため息をついた。
(まぁ、これが本当に恋みたいなものなら良かったんですが、ちょーっと違うんですよねぇ……)
彼女自身にもそれが何なのかは分からない。が、恋のように一般に肯定される感情でないことだけは、彼女は確信していた。
ナツメの耳に静かな足音が聞こえてきた。顔をあげると、そこには待ち人であるディータの姿があった。
「立派な馬車だな」
彼はナツメの馬車を見てそう呟いた。
「おはようございます。この馬車、乗り心地もすごく良いんですよ。――そういえばサムライ様、もう朝食は摂りました?」
「いや、まだ。……あと、前から気になってたんだが、サムライとは何だ?」
「あー……サムライとは何か、ですか……うーん……」
用意してあったパンを取り出し、ディータに渡しながら考える。
「ちゃんとした言葉の定義は思い出せないんですが……なんというか……刀を持ってる人で、古風というか、男らしいというか……誇りとか意志とかが強い感じというか……そんなイメージの言葉、ですかね? 東方の私の出身あたりでは普通に使われてた言葉なんですが、確かにこっちのほうだとあまり言いませんね」
「なるほど。だが俺は刀は使わないぞ」
「いやまぁそりゃそうなんですけど。なんか私の中のイメージにぴったりというか。……もしかしてお嫌でした? ディータ様って呼んだほうが良いですか?」
「別に嫌というわけじゃない。ただ気になっただけだ」
やがて二人して簡素な食事を終えると、ナツメは言った。
「さて、それじゃあ出発しましょうか」