えいぷりっ! ~少女の嘘と淡い恋心~
わたし、八百は去年の雪辱を何としても晴らしたかった。
とは言っても、周りから見れば大したことではない。去年の四月一日、つまりエイプリルフールの日、わたしは親友である空の嘘にまんまとしてやられ、今年こそはリベンジを……と思ったのである。
準備は整った。助っ人を呼ぶのはズルいような気もしたが、わたしだって親友に一度くらいぎゃふんと言わせたいのだ。
三月の最後の日、わたしはソラに電話をかけた。
「ソラちゃん、明日いっしょにどこかへ遊びに行かない?」
「ヤオ? ……ああ、私は構いませんよ」
ソラは基本クールな少女だが、このときばかりは「やれやれ、今回はどんな嘘を吐いてくれるのでしょうね」という余裕に満ちあふれているのがハッキリとわかった。エイプリルフールには言及していないが、そのへんは長い付き合いというやつである。
待ち合わせ場所を確約して通話を切り終えたとき、わたしの顔にも笑みが広がっていた。
見てなさいよ。今年は今までの四月馬鹿なわたしとは違うんだからっ。
◆ ◇ ◆
「こんにちは、ヤオ。今年はどんな嘘を吐いてくれるのですか?」
「ふふっ、嘘って何のこと?」
四月一日午前一〇時、わたしたちはデパートの入り口で待ち合わせ。
一緒によく買い物に来ているわたしたちにとって、すっかりおなじみの光景である。
ソラは切れ長の瞳に眼鏡をかけており、きりっとした顔には、すでに勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
だが、笑みの濃さならわたしも負けてない。
わたしは得意げな笑みで言う。
「そうだ、ソラちゃん。ちょっと紹介したい人がいるの」
「人……?」
予想外のことらしく、ソラは目を丸くしている。
そんな彼女にわたしは背を向け、柱の一つに呼びかけた。
「誠さん、もういいですよ。こちらへ」
柱の陰から現れたのは、前もって来てもらった二十歳前後の男性。背は高く、見てくれはそれほど悪くはないが、ソラはそんな彼を見て卒倒しそうな有様だ。
その反応にわたしは驚いたが、何食わぬていを装って、
「この人。わたしの恋人である誠さんなの」
と、紹介した。
実はこの男性、私の四つ上の従兄なのである。
遠方で一人暮らしをしていたが、わたしが『エイプリルフールのために協力して』と無理をして頼んだら、二つ返事で駆けつけてくれたのだ。
もっとも、従兄のことはソラにまったく伝えていないため、恋人と紹介しても否定する材料は持ち合わせていないはずだった。ただ一つ、今日がエイプリルフールであることを除いて。
ソラは身体のふらつきを抑えながら、ずれてもいない眼鏡を指でくい、と持ち上げた。
「……な、なるほど。今年のエイプリルフールは手を込んだことをしてくるのですね。そちらの殿方が何者かは存じませんが、私はヤオの嘘に騙されませんよ?」
「嘘じゃないよ。……そうでしょう、誠さん」
「ああ」
誠さんは頷くと、背後からわたしの身体を抱きしめた。
実のところ、従兄の行動はわたしも予想外のことだ。会うことを確約しただけで詳しい内容を打ち合わせしたわけではない。だが、友人にわたしたちが恋人同士であるという確信をよりいっそう強めることができただろう。
「これで、あたしと誠さんが恋人同士だって納得してくれた?」
ソラは黙っている。わたしたちの様相にみるみる表情をこわばらせて、低い声で言った。
「……もし本当なら、どうして私にそれを見せつけにきたのです?」
「えっ?」
ただならぬ反応にわたしが戸惑っていると、眼鏡の奥の瞳に焦熱をたぎらせながらさらにうなった。
「ヤオさんはそもそも何をしにここへ来たのですか。私と買い物に来たはずでしょう。彼氏を自慢したいだけなら他を当たってください。気の利いたことなど言えるはずありませんので」
「そ、ソラちゃん……」
「もう、私は帰ります。せいぜいお幸せに」
怒気もあらわにソラは背を向け、このときわたしは初めて自分のしたこと、考えてきたことに後悔した。
「待って、ソラちゃん!」
デパートを出ていこうとするソラの背中にわたしは呼びかけたが、返ってきたのは通行人による喧噪ばかりであった。
視界から完全に姿を消した親友を追いすがろうとしたが、ここでなおも抱擁を解いてくれない従兄の存在を思い出した。
焦りとともに、わたしは語気を強める。
「離して、従兄さん」
「なぜだ? お友達だって祝福してくれてたじゃないか。離れる理由はないだろう」
「従兄さん、恋人ごっこはもう終わりにして。今は一刻も早く友達を追いかけないと」
「そんなそそるような格好をして、ごっこもクソもあるものか」
従兄の声にわたしはゾクリとした。身の危険を感じずにはいられない、妙に熱をはらんだ声。
(この人、本気だ……!)
さらに強く身体を締めつけられて、わたしは恐怖よりも先に生理的嫌悪感が先にそそり立った。
もはや一刻の猶予も言ってられない。身内であることも忘れて、わたしは死に物狂いで叫んでいた。
「だれか助けて! このひと痴漢ですッ!!」
「お、おい、八百……」
拘束が緩んだのをいいことに、わたしもまたデパートの外へ飛び出していた。
◆ ◇ ◆
どのように走ったかは覚えていないが、気がつけばわたしは小さな公園の中に入っていた。
従兄の追ってくる気配がないことにひとまず安堵すると、木製のベンチに座って息を整えた。
うなだれて、ため息を吐く。
(馬鹿な真似、しちゃったな……)
まさかソラが本気で腹を立てるとは思わなかった。ちょっと本格的に騙そうと思っただけなのに。あの時の親友の怒りはとても嘘を吐いているようには思えなかった。
「ごめん、ソラちゃん……」
いきなり面と向かって言える自信がなかったので、予行練習がてらにそう呟く。
その時だった。公衆トイレの中から人がゆっくりと現れて、わたしの心臓に一気に血液が駆けめぐる。
「ソラちゃん……?」
先ほどと同じ服装だから間違いない。そもそも親友の顔を見間違えることはない。だが、わたしは呆気にとられた。
ソラは今までの冷静さをかなぐり捨てて、目をこすりながらしゃくり声を上げていたのだから。
躊躇する時間は、実際は非常に短かった。わたしが呼びかけるとソラはぎょっとした表情でこちらを向いた。
近づくと、ソラはふて腐れたようすで顔を背けた。
「……私なんかより、彼氏に構っていたほうがよろしいのでは?」
「あんなの嘘に決まってるでしょ! どうして真に受けちゃうの!?」
ソラは歯をきしらせて応じた。
「嘘か真実かはどうでもいいのです。あなたが男とくっつこうと考えたことが私には許せない」
「だから、あれは仕込みなんだって! あれはただの従兄だし、本気であんなのと付き合うはずないじゃない!」
抱きつかれた怒りが蘇って、従兄の対してかなり悪態をついてしまった。ちなみに、わたしのことを本気で愛そうとした従兄は後に、このことが親にバレて徹底的にヘコまされたらしい。もっとも、わたしが「ざまあみろ」と思ったのはしばらく先のことだったけど。
わたしはソラの視線にたじたじになっていたが、あることが気になって首を傾げた。
「でも、どうしてわたしが男と付き合うとソラちゃんが許さないの?」
「ぶぼっ!?」
ソラちゃん、いきなり奇声を発してそわそわし出します。
クールな顔に赤みが差し、正直、わたしまで緊張してきた。
ぱくぱく動かされたソラちゃんの口から言葉が出ようとした。まさにその瞬間、
カーン、カーン、カーン……
わたしとソラは一斉に鐘の音のするほうを向いた。公園に備え付けられた時計台が正午をお知らせしたのであった。
お昼を自覚すると、急に空腹をおぼえ、わたしは照れくさそうに提案した。
「ね、今から一緒に食事にしない? 従兄が来そうにない場所、知ってるから」
わたしはソラの手を引こうとしてやめた。傷つけておきながら、なれなれしく手を取ることにためらいを感じたのだ。
公園を出ようとしたとき、ソラの声がかかった。
「ヤオ、待って」
わたしは振り返る。いつになく真剣な友人に声に胸を騒がせると、その彼女は瞳を潤ませながら静かに切り出した。
「あなたが、好きです」
「…………」
「あなたが私のもとから離れてしまう。あの男とくっついたとき、私はそう思った。だから私はあの時のあなたが許せなかったのです」
「ソラちゃん……」
「私もあの男が現れるまで自分の気持ちに気づくことができませんでした。いえ、認めたくなかっただけかもしれませんが、もう自分を偽るのはもうやめます」
震えた唇で笑みの形を作る。今まで見たことのないような恋する女の子の笑顔。
「許してくれますか。これからもあなたの側にいることを」
「本当に……? それこそ、エイプリルフールの嘘とかじゃないよね……?」
ソラの純情を傷つけたかもしれない。だが、彼女の言葉はあまりにも実感がなさ過ぎた。
それに対してソラは得意げな顔になった。
「ヤオ。ご存知ないのですか」
「……?」
「エイプリルフールは本来、正午までしか嘘を吐いてはいけない決まりなんですよ」
それはわたしにとっては知らない事実だった。あるいは、その情報が嘘の可能性があるが、もう、嘘か本当がで振り回されたくない。
親友に対して素直でありたい。
「ソラちゃん、嬉しい! わたしも……!」
親友の気持ちに応えようと、彼女の華奢な身体にわたしは腕を回した。正午の鐘はとうに鳴り終わっていたが、その余韻はわたしたちを祝福するかのようにいつまでも心に響いていた。