その旋律を奏でて
唐突ですが、どうやら私、乙女ゲームの世界に居て、あと主人公らしいです。ファンタジーでは良くある話みたいですけど、まさか自分の身にこんな非現実が振りかかるとは思いも寄りませんでした。
気付いたのは高校受験の際に、その舞台である「響盟学園」の文字を目にした時でした。恐らくそれがトリガーとなって前世の情報を思い出したようです。多少の混乱はありましたが、不思議とその情報は容易に私に馴染みました。前世の私と、今世の私の根本的な部分が同じとでも言いましょうか。私は私のままでいられました。
落ち着いた所で、私は状況の整理と今後について考えました。私が転生したこの世界の原作のタイトルは確か『響盟のはな』。主人公は私、天野雫。ゲームの内容自体は至って普通の高校生活を送るもの、だったと思います。――だったと思うという曖昧な言い方をしたのは、前世の私はゲーム本編を流す程度にしか遊んでいないので内容を殆ど覚えていないのです。こういう展開ならば、普通やり込みまくった作品に転生するものではないのでしょうか。神様、居るなら詳しい説明を要求します。
さて、そんな有って無いようなアドバンテージを自覚したところですが、正直に言って、乙女ゲームは好きでも、それを現実に自分が演じるとなると……話は別ですよね。ゲームならではのドキドキはらはらも、恥ずかしい台詞も、三次元で体験するには私には度胸が足りません。だからあえてゲームの舞台である学園へは進学しないという選択肢もあるのです。そうすれば、恐らく攻略対象さん達との出会いも無い訳ですから、お互いこのまま普通に生活出来るのでしょう。
しかし、私はここであえてゲーム舞台への進学を選択しようと思います。そうすることに、看過出来ない重大なメリットがあるのです。何を隠そう、私、原作『響盟のはな』の音楽の大ファンなのです! ゲーム本編は流す程度にしか遊んでいないと言いましたが、そのサントラは繰り返し繰り返し、何度も聴きました。そもそも原作ゲームとの出会いが、偶然オープニング曲を耳にした事がきっかけなのです。あそこまで琴線に触れる曲に出会った事は、後にも先にもありませんでした。オープニング曲もさることながら、挿入曲の数々も素晴らしく、当然ながら作曲家さんのファンにもなりました。そんな素晴らしい曲に包まれて、高校生活を送れるのです! 素敵です! 攻略対象さん達と同じ環境に居ることで、何が起きるか分からないというリスクを負ってしまいますが、私が大人しくしていれば恐らく平気でしょう。
待っていて下さい、私の大好きな音楽たち!
――そうしてついに、高校生活の始まりの日。意気揚々と校門を潜ります。
「……?」
――恙無く入学式が執り行われます。
「……??」
――HRも問題なく終わりました。
「……」
……問題、大有りですよ! 何で? 何で、オープニング曲はおろか挿入曲の一曲も流れないのです? 確かに現実に音楽が流れてきたら不自然かもしれませんが、それだけを楽しみにここまで来たのに、神様酷いです。居るのかどうかは知りませんけど、恨みました。
大好きな音楽に囲まれて生活する夢を絶たれたショックを受け止めきれない私は、とぼとぼと帰ります。同じクラスになった子達に心配されてしまいました。皆、良い子ばかりですね。でも、ごめんなさい、どうか今だけはそっとして置いてください。諦めきれず大好きだったオープニング曲を鼻歌で流してみましたが、虚しいだけでした。
そんな鬱々とした状態で幾日かが過ぎたある日の放課後、何処からかピアノの音が聴こえてきました。懐かしいような、でも知らない曲でした。
そしてふと閃きました。『響盟のはな』には攻略対象の人が六人居ます。俺様何様生徒会長、微鬼畜眼鏡副会長、小悪魔会計、幼馴染同級生、不思議系司書、そして――ピアノの君! えっと名前は確か……何とか何とかさん! 駄目です名前は全然覚えていません。でも、何とか何とかさん、もといピアノの君ルートには、主人公にピアノ曲を捧げるシーンがあるのです。盲点でした。勿論、攻略しようだなんて事は考えていませんよ。というか、フラグとか殆ど覚えていないので無理です。しかし、覚えている事だってあるのです。ふふふ、ピアノの君に『響盟のはな』音楽を弾いて貰おう計画始動です! そうと決まれば早く帰って仕込みを行わねば。
――仕込みには、結構な時間が掛かってしまいました。その間、例の懐かしいようなでも知らない音楽が聞こえて来る日がありました。どうやら毎週木曜日の放課後、ピアノの君は音楽室で練習するみたいです。その日だけは、私は仕込みの手を休めてこっそり演奏を拝聴することにしました。本当なら近くで聴いてみたいものですが、あまり近寄るとフラグ的に危険な可能性があるので、良い場所は無いかと探した結果、一つ下の階の渡り廊下を見つけました。此処なら人目につきにくく、そして何より音が空から降ってくる感じがしてお気に入りの場所になりました。来週、計画を実行して、このお気に入りの場所で、大好きなあの曲を聴きましょう。実に楽しみです。
時は翌週木曜日。放課後私は急ぎ音楽室へ向かいます。辺りに気配が無いことに細心の注意を払いつつ、室内にも誰も居ないことを確認して、体を滑り込ませました。室内にはピアノと机があるだけです。私はピアノの譜面たてに用意しておいた封筒を置いて、急ぎ部屋を後にします。離脱の際も人目につかないよう気を配ることを忘れずに。
「ふぅ、隠密行動って訳も無く緊張するなぁ」
お気に入りの場所に着いた安心感で、思わず独り言もこぼれます。別に悪いことをしてる訳でも無いのですけどね、やはり私は小心者だと苦笑してしまいました。間もなくいつもならば、ピアノの君が音楽室にやってくる時間です。そして奏でられた曲は――
「あぁ……」
私は感嘆の息を漏らさずには居られませんでした。それは儚くも美しい旋律、前世で幾度と無く聴いた、今世では焦がれたあのオープニング曲でした。意図しない涙が頬を伝うのを感じました。演奏が終わった後も、それは暫く止むことがありませんでした。
さて、もうお分かりかもしれませんが、私がピアノの上に置いてきた封筒の中身は楽譜です。勿論『響盟のはな』オープニング曲の。その楽譜の出所はといいますと、私、頑張って手書きしました。前世の私は耳が良い人間でした。聴力が良いというよりは、正確には音感が良いといいますか。なので、胸のうちで鳴る音を頼りに必死で書き上げました。旋律とコードだけの簡単なものですが、なかなかの出来だと思います。楽譜を書くことには慣れていなくて思ったより時間が掛かってしまいましたが、慣れればもう少し生産性も上がるはずです。
しかし、ピアノの君のアレンジは素晴らしかったです。オープニングのムービーが垣間見える程でした。流石ピアニストとしての将来を嘱望されているだけあるお方です。毎週通っておいて今更ですが、すっかりファンになってしまいました。デビューをなさった暁には、是非CDなり買わせて頂こうと思います。
それからというもの、私は学生生活の傍ら、原曲の楽譜化に勤しみ、木曜日は隠密活動に勤しみました。ピアノの君の演奏力は素晴らしく、毎曲楽譜を書き上げるのが楽しみで仕方がありませんでした。
そして今日はいよいよ問題の曲です。ピアノの君ルートの主人公に捧げるあの曲です! 曲名はずばり『雫』。私ってば大胆です。だってどうしても聴きたかったのです。その為ならばルートのショートカットすらも辞しません。
「それにしても、自分の名前の曲だと考えると照れる……」
おっといけません。いつもの場所に居るからと油断してまた独り言を言ってしまいました。まぁ、周りに人も居ないし少しならば良いでしょう。あ、演奏が始まりました。けど。
「……あれ? 『雫』じゃない。これ、オープニングだ。しかも、ピアノの君じゃない人が弾いている……?」
「耳が良いな」
どういうことだろう首を捻った時、いきなり後ろから声がしました。びくってなりましたよ。そっと振り返ると其処には、男の人が立っていました。確かこの人は、微鬼畜眼鏡の――
「えっと、副会長さん?」
「そうだ。君はこんな所で何をしている? ピアノが聴きたいなら音楽室へ行けば良いだろ。今、演奏しているのは碧海だぞ」
「碧海……さん?」
「知らないのか? ピアニストになると、学外でも有名な奴だが」
ふむ、言われてみれば確かにそれは、ピアノの君はそんな名前だったように思います。でも、今流れているこの演奏は、いつも私が聴いていた人の演奏じゃない。どういうことなの。そう混乱する私の前で、ふっと副会長さんは笑いました。
「何て、な。これの犯人は、君だろう」
そう言って差し出されたのは、私がこれまで書いた楽譜です。どうしてこれを副会長さんが。ということは、私がいつも聴いていたのは、副会長さんの演奏だったの? でも副会長さんにはピアノを弾く設定なんて無かったはず……。
「君、天野雫? 転生者だろう?」
何でそれを、と驚きに目を見開くばかりの私に、彼は苦笑してみせた。
「何で分かったか不思議か? 簡単な話だ。――俺も転生者だからだよ」
それから話をしてみれば、副会長――黒金さんは、ご実家が音楽に傾倒する事に良い顔をされず、人目を忍んで学校で練習していたこと。毎週木曜日は、碧海さんが講堂で演奏会を開くので、その日ならば目立たないだろうと考えていたこと。私、主人公の事も知っていたけど、特に行動を起こすでも無かったので傍観していたこと。そんなことを教えてくれました。何より一番驚いたことは――
「まさか、副会長さんが、あの長谷川恭也さんだったなんて!」
あの『響盟のはな』の音楽を作ったその人だったのです。それは、素晴らしい原曲の再現力ですよね! ご本人にあの拙い楽譜を差し出していたのだなんて顔から火が出そうですが、あの素晴らしい演奏と引き換えだったのだから致し方なしです。また、前世の私が如何に長谷川さんのファンだったかを語ってみせたところ、黒金さんに引かれてしまいましたが、これもまた致し方なしですね。
――その後、副会長さんが私に『雫』を聴かせてくれるまで、色々あるのですが、それはまた別のお話と言うことで。
おまけ、ピアノの君(本物)と副会長の会話文。
「ふぅん? 黒金が僕に頼みごとなんて珍しいね」
「悪いな、碧海。次の木曜日の演奏会は音楽室で頼む」
「別に構わないけどさ。その楽譜の子を探しにいくんでしょ」
「あぁ」
「それで、僕が演奏する曲は? この曲? いい曲だね」
「! それは駄目だ。こっちにしろ」
「ふーん、まぁ良いけど。こっちも綺麗な曲だし」
ピアノの君に『雫』を弾かせるのは流石に駄目だろうということで止めたものの、副会長にとっても意味深な曲として位置づけられてしまい心理的に演奏しにくい曲に。聴きたがっていた主人公ちゃんはどんまいです。きっと紆余曲折あって最終的には聴けると思いますが、頑張って。
乙女ゲームを題材にしたお話を書いてみたくなった結果、出来上がったのがこちら。作者の乙女ゲー経験不足で、こんな仕上がりに。拙い作品ですが、最後までありがとうございました。
※2014/06/08追記
沢山のアクセス、評価、お気に入り登録をありがとうございました。作者は感無量です。
皆様への御礼の意味を込めて、副会長視点とその後『その旋律を奏でたのなら』を投稿しました。
もし宜しければそちらもご覧下さい。