記憶
ゆっきー独り言モードはやはり暗し。
それは、気がついたら存在していた。
広大な敷地を持つ生家の離れに、自分とほぼ同い年の子供。
いつからいたのか、どこの子なのか、説明はなかった。
両親は仕事や付き合いが忙しく、ほぼ家にはいなかった。
食事や身のまわりの世話は数人いる側付の人間がいたから困ることはなかったけれど。
幼いころからあまり興味や関心を持つことも少なかったので、その子供の存在に多少の疑問は持っても誰にも問い尋ねることはしなかった。
その子供も、僕を目にしても近寄ってきたり話しかけてくることはなかったので、僕と似たような存在なんだと思ってた。
お互いがお互い、きっと空気のように感じていたに違いない。
そして、季節は過ぎた。
さすがにおかしいのでは、と感じたのは小学校に上がってから。
当然のように学校へ向かう僕とは対照的に、その子供は家にいるだけのようだった。
小学校は義務教育のはずでは?
僕はたびたびその子供を眺めるようになった。
監禁や軟禁をされてる様子はない。
強いて言えば放任に近いが、それは己も同じこと。
数は違えど世話をする人間ついてるのも同じだ。
時々一人でどこかへ出かけているようではあった。
どこへ、出かけているのだろう。
その子供は、いつも飄々とした表情をしていた。
子供らしく笑うことも、怒ることも、泣くことも、ない子供。
いつも無表情の自分と似ているようで、どこか違う。
気がつくと、目が離せなくなっていた。
あの子はいったい誰?
その疑問には、自分の中で答えが出ていたように思う。
ただ、誰かに尋ねるのには憚りがあったから。
おそらく、自分の兄弟なのではないか、と。
異母兄弟ではないか、と。
だから、誰も自分に説明しないのではないか、と。
だから、母屋ではなく離れに住まわせているのではないか、と。
あの子供はそれを知っているのではないか、と。
だから、同じ家の敷地の中、決して自分には近づいてこないのでないか、と。
そう思えば、納得できることが多々あった。
それでも、学校へ行っていない理由と、たびたびどこかへ出かけていくところの謎は残るけれど。
誰にも聞けない以上、疑問は解消されない。
ただ、後者の理由は解消できる。
ある日、その子供が出かけるその後を、こっそりとつけることにした。
その子はいろんな所を曲がったり下ったり登ったり走ったり潜ったり。
ばれないようについていくので、その姿を見失うことも何度もあった。
平日に出る時は学校があるのでついてはいけない。
始終見張ってるわけでもないので毎度つけることもかなわない。
それでも、何度もその後をついていくうち、その子供がある場所の周辺へ向かっているのが察せられた。
そして、やっと尾行に成功したある日のこと、その子供が別の子供と会っているのを目にした。
衝撃を受けた。
その子供は、非常に楽しそうに笑い転げていた。
心底おかしそうに、笑っていた。
自分と方向は違うが、同じような存在だと思っていた子供が、ひどく遠くに感じた。
その子供を笑わせていたのは、一人のこれまた同じ年くらいの、無表情な顔の子供。
自分と同じ、表情のない顔。
ただ、自分とその子供では、決定的になにかが違うような気がした。
だからきっと、あの子供は楽しそうにしているのだ、と。
その二人から、目を離すことが出来なかった。
結局二人が帰路につくため別れるまで、じっと物陰から二人を見つめていた。
これは、僕が幼いころの記憶。
それは、僕、幸広雪路が辰巳雅紀を初めて見かけた日の記憶。
次回へ続きます。




