ふりかえり
今回短いです。
俺は赤ん坊のころ、あまりに泣かないのでまわりの人間は逆にどこか悪いんじゃないだろうかと心配したそうだ。主に父と姉。
母はなるよーにしかならないんじゃなーい? と言って楽観していたらしいが。
俺はしては、赤ん坊のころの記憶などあるはずもなく、ただ泣く気力もなかったんではないだろうか、と思っている。
そう、俺のこの気力のなさは生まれつきだ。
どうしてなのかは知らん。
生まれつき、元気な奴、泣き虫な奴、怒りっぽい奴、よく笑う奴、心配性な奴、おせっかいな奴、いろいろいるだろう?
俺はただ単に、そうだっただけだ。
幼いころ、あまりに無表情で動かないのでまわりの人間はどこかおかしいんではないかと心配したそうだ。主に父。
姉は自分もそのタイプであったし、母はそんなもんじゃなーい? と言って楽観していたらしいが。
そして俺が生まれた一年後、祐史も生まれた。
父は当時から仕事が忙しかったし、母も祐史が離乳でき次第仕事を再開した。
基本、父には時間がなく母は放任主義だった。
そこで、保護者としての自覚に火がついたのが姉だった。
姉は俺の四歳年上でしかない。
実際にはたかが知れてる。
だが、姉はよくやった。
俺と祐史を着替えさせ、散歩に連れて行き、おやつにミルクを飲ませ、風呂に入れ、絵本を読み聞かせ、寝るときに子守唄をうたってきかせる。
しかし姉は絶望的に音痴だった。
睡眠障害になるのでやめてほしいとなんど思ったことか。
しかし姉の頑張りを前にそんなことは言えない。
ぶっちゃけ言うのも面倒くさい。
俺はこのころからすでに子供らくしない子供だったな、と思う。
はっきり言って、可愛げねーわ。
そんな俺と異なり、祐史は子供のころから可愛い顔をした子だった。
器量がいいのはもちろん、愛想もいい。
いつもにこにこ笑っている子供。
姉と俺は無愛想なのに、誰に似たんだ、俺達は。
わりと父も母も表情に出る方だから、まじどうしてだろう。
ま、どうでもいいが。
そんな俺と祐史を、姉は差別することなく平等に扱ってくれたと思う。
祐史も、俺と姉にいつもまとわりついてきた。
ちょっとでも姿が見えないと、不安そうな顔をした。
ちなみに母親はいてもスルー、父親は誰だこいつという顔をして見てたそうだ。
あいつにとって、親というのはどんな存在だったんだろか。
もしかして俺と姉を親とでも思ってたんだろうか。
あのころはまだふてぶてしさもなくて可愛かったんだけどなー、しみじみ。
姉が料理らしい料理をしだしたのは小学校にあがってからだ。
俺と祐史にあたたかい出来立ての料理を食べさせたかったらしい。
今でも思い出す、姉のはじめての手料理の味。
その、味わった。
その、衝撃は。
この世にこんなまずいものがあったのか、という衝撃だった。
たつみん回想回です。
続きます。




