第五章 — 触れずに燃えるもの
朝は、来る。
選ばれなくても。
望まれなくても。
ヴァエロスの屋根の上に、薄い光が落ちた。
夜の名残が、まだ石に張り付いている。
◆ 残った場所
砕けた光の市場。
完全には戻っていない。
露店は少ない。
声も、低い。
でも、人は集まる。
集まってしまう。
リコは噴水の近くにいた。
昨日と同じ場所。
同じ縁。
足は、やっぱり届かない。
玩具の竜を膝に置いている。
欠けた角。
指でなぞる。
誰も声をかけない。
かけられない。
「……ここ、好きだったんだよな」
小さく、独り言。
噴水は答えない。
◆ 消えない話
粉売りの話は、まだ転がっていた。
昼前には形を変える。
尾ひれがつく。
数が増える。
「執行官が悪かった」
「売人が仕組んだ」
「最初から決まってた」
どれも、半分。
どれも、足りない。
ケトラは屋台を直していた。
木を打ち直し、釘を叩く。
いつもより、無口だ。
「……あのガキ」
独り言。
名前は出さない。
◆ 灰の気配
裏道。
銀の瞳の青年は、壁際を歩いていた。
人と距離を取る。
影を選ぶ。
でも、完全には消えない。
喉の奥が、朝から熱い。
夜より、はっきりしている。
「……近い」
何が、とは言わない。
言葉にすると、寄ってくる。
◆ 監察官の手
高い部屋。
ソリンは、窓を閉めた。
街の音が、少し遠くなる。
書記が、書類を差し出す。
「昨夜の報告です」
「置いて」
紙の山。
赤い印。
増えている。
灰の痕。
銀の目。
星刺繍。
「……揃いすぎ」
独り言。
彼女は、机の奥から一冊取り出した。
古い。
背が固い。
封印印。
しばらく、見つめるだけ。
まだ、開かない。
◆ 選ばれる前
屋根の影。
リリアは、街を見下ろしていた。
剣は背中。
抜く気はない。
でも、外せない。
昨夜の距離。
言葉。
「名を持たぬ火」
思い出すと、胸の奥がざわつく。
「……街が呼ぶ、か」
彼女は、息を吐いた。
◆ 竜の忠告
ハリックは、倉庫の裏でリコを止めた。
「今日は、ここまで」
「まだ昼だよ」
「だからだ」
尾が、ぴたりと止まる。
「街が、騒ぎたがってる」
リコは、竜を抱え直した。
「……昨日の人みたいになる?」
ハリックは、一瞬だけ黙る。
「違う」
「でも、近づくな」
リコは頷いた。
素直すぎるほどに。
◆ 名を呼ぶ音
午後。
風が変わった。
市場の上を、通り過ぎる。
軽い。
でも、冷たい。
銀の瞳の青年が立ち止まる。
喉の奥が、焼ける。
聞こえた気がした。
名を。
呼ぶ声を。
「……やめろ」
小さく言う。
返事はない。
でも、消えない。
火は、触れずに燃える。
そして、街はそれを好む。
◆ 動き出すもの
夕方。
ソリンは、封印印を解いた。
紙が、わずかに鳴る。
文字が、古い。
「名を持たぬ火は――」
そこで、止めた。
窓の外を見る。
煙。
薄い。
まただ。
彼女は、書を閉じた。
「……間に合えばいいけど」
誰にともなく。
◆ 静かな決定
夜。
リリアは、剣の柄に手を置いた。
抜かない。
でも、決める。
「見過ごせない」
それだけ。
街のどこかで、火が鳴った。
小さく。
確かに。
まだ、燃え広がらない。
でも。
ヴァエロスは、もう気づいていた。
触れずに燃えるものが、
中に入り込んでいることに。




