表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

第四章 — 灰より重い名

夜が落ちる。

ヴァエロスは、昼より静かだ。

だが、眠ってはいない。

灯りが点く。

一つ、また一つ。

窓の奥で、声が沈む。

扉の向こうで、足音が止まる。

街は、聞いている。

◆ 屋根の距離

リリアは屋根から屋根へ移っていた。

音を出さない。

出す必要がない。

風向き。

瓦の癖。

足が、勝手に覚えている。

少し前まで、あそこにいた。

銀の目の若者。

今は、いない。

視線だけが残る。

引っかかる感じ。

「……消えた、か」

呟くと、夜に溶けた。

逃げたのか。

誘ったのか。

どちらでも、厄介だ。

◆ 名を持たない部屋

安宿の裏。

狭い通路。

湿った石。

青年は、壁に背を預けて立っていた。

息は整っている。

心拍も、平ら。

でも、喉の奥が熱い。

逃げるつもりはない。

追われるつもりもない。

「……来る」

独り言。

名を持たない者の声。

数歩先。

空気が、わずかに動いた。

「逃げ足、悪くない」

屋根の影から、声。

リリアだ。

青年は振り返らない。

必要がない。

「追うの、好きだろ」

「場合による」

距離が、詰まる。

剣は抜かれていない。

でも、間合いは剣のそれだ。

「名前は」

リリアが言う。

青年は、少しだけ黙った。

「……持ってない」

「嘘はついてない、って顔ね」

「嘘は嫌いだ」

「じゃあ、真実は?」

「面倒だ」

リリアは、口元だけで笑った。

「同感」

◆ 灰の重さ

沈黙。

遠くで、鐘が鳴る。

一度だけ。

青年の喉が、また熱を持つ。

「それ」

リリアが言う。

「首」

青年は、指先で触れた。

灰の痕。

「見るな」

「見えるものは、見る」

青年は、ゆっくり息を吐く。

「……名前を呼ばれたことがある」

「さっきの女?」

「違う」

「もっと前」

リリアは、何も言わない。

待つ。

「呼ばれると」

「火が、目を覚ます」

「火?」

「そう呼ぶしかない」

また、沈黙。

リリアが一歩、下がる。

「なら、街に長居するべきじゃない」

青年は、初めて彼女を見る。

銀の目。

暗い。

「街が、俺を呼んでる」

リリアの眉が、わずかに動く。

◆ 監察官の灯り

その頃。

高い部屋。

ソリンは、灯りの前に立っていた。

書類の山。

赤い印。

「……また一つ」

灰の痕。

目撃情報。

位置。

線が、つながり始めている。

「名を持たぬ火」

小さく呟く。

古い記録。

封じられた頁。

彼女は、閉じた。

今は、読まない。

◆ 選ばれない選択

通路。

リリアは、剣から手を離した。

「私は、捕まえに来たわけじゃない」

青年は答えない。

「でも」

「放っておける気もしない」

青年が、かすかに笑う。

「奇特だな」

「昔から」

夜風が通る。

灰の匂いが、混じる。

「一つだけ、忠告」

リリアが言う。

「ヴァエロスは」

「名を取る街よ」

青年は、目を伏せる。

「……知ってる」

「なら」

リリアは、背を向けた。

「生き延びなさい」

足音が、遠ざかる。

青年は、その場に残る。

喉の奥で、火が鳴った。

小さく。

確かに。

街のどこかで、何かが動いた。

名を、探すみたいに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ