06 あなたと私は繋がって。
――さて。
猫に睨まれたネズミのように
小さくなって正座するルイ。
その向かい側に、
ちょこんとかわいらしく座っている
葉子。
葉子は見た目だけなら、
どこにでもいる普通の
かわいらしいおばあちゃんである。
ただ、
名家の裏舞台を仕切ってきた当主の妻
という肩書は
かわいいだけのおばあちゃんを生むわけはなく…
ルイが怯えているのも
そのあたりの理由からだ。
葉子は、なぜか
ライナも一緒に話を聞くように告げた。
そのライナは、
借りてきた猫のように、
豆粒のように小さくなったルイの横に
ちょこんと座っている。
ルイはちらっとライナを見やる。
――コイツさっきまでの図々しさは
どこへ行った…!?
何でお祖母様も、一緒に話を聞け、だなんて…
何が始まるんだ…???
ルイは何が起きているのかよくわからないまま、
祖母、葉子の言葉を待つしか無かった。
「私なんかが
一緒にお話伺ってもいいんでしょうか?」
言葉だけは、遠慮がちに、
その瞳には光がらんらんと灯り、
好奇心がだだ漏れすぎる表情でライナは、言った。
――コイツ完全に面白がってやがる…
ルイは横目でギロリとライナを睨んだが、
先ほどの怯えようを見たライナには、
全く効いていない。
ルイは完全に、主人の威光を失っていた。
そんなこんなしていると、
葉子が口を開いた。
「先日は、大変だったようね。」
ルイは、恐怖に全身の毛が逆立った。
――もう耳に入っているのか!?
ライナの手鏡から生まれた愛禍については、
まだ、連盟に正式な報告はしていない。
――まだ、知られてはいないはずだ。
いや、彼女には隠し事はできない。
彼女の目や耳は、そこら中に
蜘蛛の巣のように、一匹の虫も取り逃がさぬよう
張り巡らされているのだから――。
ルイは、俯いて、
自身の動揺を葉子に悟られない方法を、
必死に考えていた。
ルイが黙っているのを
ちらりと見やり、葉子は、言葉を続けた。
「ルイ、ライナさんに
彼女が見たものが何だったのか、
我が家の宿命が何か、
きちんとお話しなさい。」
いろんな言い訳を考えながら、
目を合わせないように俯いていたルイは
バッと、勢いよく顔を上げた。
「お祖母様!それは――!」
――桐ケ崎家だけでは決められない問題では…!?
と進言しようとした言葉は、
恐ろしい殺気を放つ
葉子の絶対的な服従を促す視線で、
言葉にならずに飲み込まれた。
「――っ!」
ライナは、驚きつつも勝ち誇った笑みを浮かべ
横目でこちらをうかがっている。
「あなたが、疑問に思うことは、
――すべて解決済みよ。
私の言う通りになさい。
この子には、
――その資格があるのだから。」
――え?資格がある…?
どういうことだ…?
クエスチョンマークで頭をパンパンにした
ルイには目もくれず、
葉子は、ライナの前に座り直した。
ライナも驚いた様子で、背筋を伸ばした。
「ライナさん、
今回は大変だったわね…。
ルイがこんなにそばにいたのに、
本当に申し訳ないわ……。
桐ケ崎家の代表として、
――心からお詫び致します。」
葉子は、作法の見本のような
誰もが見惚れるようなお辞儀をライナに向けた。
「い、いや!
待ってください!
大丈夫ですから――!
私がもっときちんと
ルイ様にお伝えしておくべきでした――!」
さすがに謝られるとは
微塵も思っていなかったライナは
ジタバタ慌てふためいている。
身体を起こした葉子は、
ライナに向かって本当の笑顔を向けて
先程までとは全く違う
ふわふわの毛布のような柔らかい声で話しかけた。
「――実はね、
あなたのおばあさま、――ミツさんとは
とても仲良しだったのよ。」
「――え!?」
――おばあちゃんの、友達…!?
「――だから、
ミツさんの宝物のあなたに会えて
本当にうれしいわ!
本当なら、ここに住んでほしいくらい。」
葉子は、にっこりとライナに微笑んだ。
「そ、そうなんですか!?
おばあちゃんとお友達だったんですね…
おばあちゃんのこと、
聞いてもいいですか!?」
「ええ、もちろんよ」
ふたりは笑顔で
旧友とやっと会えたかのように
楽しそうに話している。
その横でルイは、真っ青すぎてナスかよ!
というくらい青ざめていた…
――葉子とライナのタッグ……
最恐すぎる…
まずい…
ルイの頭の中では
大音量のサイレンが鳴り響いていた。
==============
「先生、質問です!」
「はい、どうぞ…」
先に言っておく。
ここは学校ではない。
俺は、先生ではない。
コイツは、生徒ではない。
しかし、
誰かにモノを教えると
勝手に先生という称号を与えるのは
――本当にやめてほしい。
『俺は先生などという器ではない。』
ルイは目の前のセーラー服を着た
現役女子高生を見ながら思った。
ルイの部屋の真ん中に、
折りたたみのテーブルを持ってきて、
ルイとライナは向かい合うように座っている。
ライナの前には、
念のため、
ノートとシャープペンシルが置いてあり、
ルイの前には、
愛用のノートパソコンが鎮座している。
昨日、
おばあさま、もとい葉子に命じられてから
仕事の合間を縫って、
ライナの質問に答えることにした。
授業なんてできるほど、
話し慣れていないルイは、
質問形式にしてもらわないと、
何を話していいかわからなくなり
美術館に鎮座している彫刻のように、固まってしまう。
あんなに文章は書けるのに?と言われても
話すのと書くのは違う。
「結局、おばあちゃんからもらった手鏡を
大切にしていたら、
愛禍というものに変身しちゃって
それがりんってこと?」
ライナは、葉子とタッグを組んだせいか、
ルイが失態を見せまくったせいか、
ライナは敬語を使うことをやめ、タメ口になった。
「主」というよりも、
近所のお兄さんといった風で、
ルイに主としての威厳は欠片もなくなっていた。
ルイは、
年上には敬語を使え、と言いたいが、
葉子への告げ口が恐ろしく、――言葉に出来ない。
「…ちょっと違うが、そんな感じだ」
「ちょっと違うって、どのへんが違うの?」
「……正確に言うと、
お前が大切にしていただけでは、
愛禍にはならない。」
「……じゃあ、どうしたらなるの?」
「……モノを大切にしたことによって、
モノに心が生まれ、
モノが持ち主を愛するようになると
愛禍になる」
「……よくわかんない。
心が生まれるモノと生まれないモノには
どんな違いがあるの?」
「……それは…。」
――うう…、しつこい……。
感覚で理解してきたルイにとって
当たり前の事を言語化するのは、
世界最高峰のチョモランマに
登山初心者が登るよりも
難しかった……。
「……それは、……わからん。
人間の思い入れの強さとかではないか、
と言われている。」
「でも、大切にしていても、
愛禍にならないものもあるよね?」
「……ああ」
「……じゃあ私が、正しく大切にしていたら
りんは
愛禍にならなかった、
ってこと?」
ライナは、心の奥の痛みを隠すように
無理やり作り上げた笑顔で聞いた。
――っ!そういうことか……。
ルイは、ライナの表情に気づかないフリをして、
なんでもないことかのように答えた。
「……それは…わからん。
ただ、モノたちとの距離感は、
誰でも間違えることがある、
ということだ。」
「……誰でも?」
「――誰でも。」
ルイは、スッと顔から感情を消した。
「――例え、
高位の想鎮士であったとしても、だ。」
「……ふうん。」
ライナはそれ以上突っ込んでこなかった。
ルイが作った壁の中に、
土足で踏み込んでくることはしなかった。
ルイだって、
聞かれたことには答えるが、
何もかもさらけ出す、というわけではない。
ルイにとって、
まだ、――過去にできない出来事もある。
――あの日、
祖父と父と母に起きた出来事は
まだ《過去》にするには、鮮やかすぎる。
ルイは無意識に唇を強く噛んだ。
「……ありがとうございます」
ライナは、今日はここまで、と悟ったようだ。
使わなかったノートとシャープペンシルを
いつものカバンに片付ける。
ルイはいつもの文机に移動するのも手間なので、
そのまま、小説の仕事に取り掛かる。
進んでいるかどうかは疑問だが、
ただ、キーボードを叩く音だけが、
夏の終わりの夕暮れの中、静かに響いていた。
ライナは、テーブルに腕と顔を乗せてもたれかかって
静かにその音を聞いていた。