04 鎮魂の祈りは愛
――暗い。
気がつくと新月の夜のような
星の灯一つない暗闇の中だった。
耳を澄ますと、楽しそうな笑い声が聞こえる。
――ここは何処だ…?
重いまぶたをなんとかこじ開けると、
そこは、おしゃれな洋風の四阿だった。
周りは、ベルサイユ宮殿の様な
整えられた西洋風庭園に囲まれている。
そこには、春の午後の穏やかな空気が流れていた。
驚いて周りを見渡すと、
「――やっと起きたか」
といつも通りの、穏やかで凛とした声がかけられる。
先ほどまでの荒々しい殺気は、一体どこにいったのか、
にこやかに穏やかに茶会を楽しむ
ルイが隣に座っていた。
服も燕尾服から
モーニングコートに変わっている。
純白のテーブルクロスの上には、
豪華なアフタヌーンティーセットが
準備されており、
華やかな紅茶の香りが漂っている。
こんな状況でなければ、
目を輝かせて我が物顔で頂いているだろう。
『相変わらず、ライナはかわいいわね』
ふふふと、上品な鈴の鳴る声で、
にこりと笑いながら話しかけてきたのは、
さっきまで地獄に響くような声を出していた、
りんではないか。
その服装は、先ほどの戦闘で乱れた着物ではなく、
貴婦人の纏う上品なエメラルドグリーンを基調とした
ドレスに変わっていた。
「は?え?ほぇ?」
全く頭が追いつかない。
全く頭が追いつかない。
二度言った。
もう一回言っていいだろうか?
さっきまで、オマエ殺したる勢いで
死闘を繰り広げていた二人が
なぜ仲良く茶会を過ごしているのか……。
よく見ると、ライナ自身も、
くたびれたセーラー服から
やや光沢のあるコバルトブルーのサテン生地に
銀糸の刺繍が施されたドレスに変わっていた。
こんなドレス着たことない。
鏡がないので見えないが、
飾りっ気のないショートボブにも
どうやら気の利いたヘアアレンジがされているらしい。
「さて、茶会を始めようか。
ライナは初めてだろう?」
「……初めて…というかなんというか、
そもそもここどこなんですか…?」
ライナは思考が追いつかない。
――何がどうなっているのだ?
「ここは、
私たち想鎮士が作り上げた
狭間の空間だ。
限られた者たちしか知らないが、
人が大切にしていた"モノ"たちが
主を想いすぎたあまり
愛禍という化け物になる。
想鎮士とは、
愛禍の最期を、
看取る者たちのことだ。
ここでは、
愛禍が、
彼らに愛された主と
最期の時間を過ごすことができる。
愛禍には、
主にすべてを話す権利があたえられ、
すべてを話し合えることができれば、
今世の縛りから解放される。」
「――はぁ…。」
分かったような分からないような……。
まだまだ、頭の上を
クエスチョンマークが飛び続けている
ライナを横目に
ルイはコホンと咳払いして先を続けた。
とりあえず、
詳しくは後で説明しようと思ったのだろう。
――物わかりが悪くて悪かったな…!
相変わらずの悪態を心のなかにとどめておく。
「と、前置きはこのくらいにして、
りん様のお話を伺えますか?
私、
お話を聞くのを
楽しみにしておりました。」
極上の笑みを浮かべたルイが声をかける。
言葉遣いも別物だ。
生身の人間がいたら、
男も女も関係なく骨抜きになるだろう。
案の定、
ここには愛禍とかいう化け物と
コイツの本性を知っているライナしかいない。
目の前で微笑まれたら、
陥落する可能性はゼロではないが、
今はこちらを向いていないので大丈夫。
……のはず。
『ありがとうございます。
私の話に、耳を傾けていただけるなんて
こんなにうれしいことはありませんわ。』
りんも、どこかの貴族かのような
丁寧な話し方になっている。
二人のあまりの変わりように
目をきょろきょろさせることしかできない。
ライナは、とにかく静かにしていることにした。
『私は、ライナの祖母ミツが
とある高貴な方から譲り受けたものでございます。
その方は、奥さまもご子息もある身でしたが、
女中として働いていたミツに
ほのかな恋心を抱かれたのです。』
――まじかよ!
おばあちゃんやるじゃないか!
なんて合いの手は心のうちに秘めておく。
りんは神妙な顔でとつとつと話した。
――時代も時代でございますから、
妾として、お屋敷に迎える
というお話もいただいたのですが
ミツ様は、首を縦に振ることはありませんでした。
本人はその気がなくても、
周りはそっとしてくださるわけもなく、
勝手な噂で持ちきりになり、
お屋敷の空気も悪くなってしまいました。
そこで、ミツ様は、
お屋敷を出ることを決意されたのです。
その際にご主人様から贈られたのが、
私でございます。
ミツ様は、お屋敷では毅然とされていましたが
旦那さまのことをお嫌いなわけでは
ありませんでした。
むしろ、好ましく思っていらっしゃったからこそ、
奥様とご子息の立場をお考えになって
その身を引かれたのです。
ですから、
本来何もいただくべきではなかったのです。
しかし、
いらなければ捨ててくれ、
と半ば押し付けるように手渡されたのが
私でございます。
ミツ様は、捨てられるわけもなく
心に秘めた想いとともに、
それはそれは大切にしてくださいました。
それこそ腹を痛めて産んだ我が子のように。
――ですから、
ミツ様にとって、同じくらい宝物のような存在である
ライナへ贈られたのでしょう。
ライナはおばあちゃん子でしたし、
私の扱いは、普通の十八歳と比べれば
誰よりも丁寧でございます。
私は新しい主人を得て、とてもうれしゅうございました。
――ただ、ライナは幸せそうには見えますが
実は心に小さな闇を抱えておりました。
孤独、
という闇でございます。
私は、
ライナの闇を照らしてあげたいと願いました。
声が届かなくとも、想いなら届くかもしれない。
ただの"モノ"である私が、ライナを守りたい、
などと考えるのは、大それた事でございます。
しかし、願うのをやめられませんでした……
そして、願って願って願い続けていたら
ライナの前に姿を現すことができたのです。
――しかし、しかし、その瞬間、
ライナを喰べたくて喰べたくて、
たまらなくなりました……
大事な大事なかけがえのない存在のライナ。
それなのに、衝動を抑えることができませんでした。
そんな自分が恐ろしくて恐ろしくて……
でも、ライナの甘美な香りの誘惑に
あがなうことは難しゅうございました。
――そして、
今にも喰らいつこうかという瞬間……、
ライナは、私の目を見て
話しかけてくれました。
「あなたは、りん、なの?」
と。
すると、
私の中のライナを喰らいたいという衝動が消え去り、
温かな想いが心を満たしたのです。
愛おしくてたまらないライナから
私の命を繋ぐ活力が流れてきたのを感じました。
これならば、
私の存在理由そのものであるライナと
共に生きて行けると歓喜に震えました。
それからは、ライナが必要としてくれるたびに
話を聞いておりました。
私は、
ライナの祖母であり、
母であり、
姉であり、
ライナに一番近い存在となったのです…
――私が存在し続けることで
ライナの睡眠と生気を奪っていることにも
気づいておりました。
しかし、やめられませんでした。
私がいなくなることで
かけがえのない存在であるライナが
再び「孤独」の闇の中に放り込まれるかもしれない。
そんなこと耐えられませんでした……
ライナは
――私の"唯一の拠り所"でしたので
りんは語りきったようだった。
その場を沈黙が包みこんだ。
――知らなかった。
私の唯一の友人だと思っていたりんが、
そんなにも私のことを想ってくれていたなんて。
私の孤独を、誰よりも理解してくれていたなんて。
そして、
その愛情が、彼女自身と、
――そして私を苦しめていたなんて。
「……ごめんね、りん」
気づいてあげられなくて、ごめん。
一人で抱え込ませて、ごめん。
ライナの口からこぼれたのは、
謝罪と感謝が入り混じった、小さな声だった。
ルイはちらりとライナを見つめて
りんに視線を戻した。
そして、
ルイは、りんをやさしく見つめた。
話しそびれたことはないか?
と尋ねているようでもあった。
りんは、その様子を見て、
ライナを春の日差しのようなまなざしで見つめた。
ライナは必死に涙をこらえていたが、
りんのほほえみに
堰を切ったように涙が頬をつたった。
その様子を温かく見守ったりんは
しばらくの後、
ルイに向き直って言った。
『私がお話したいことは、
これで全てでございます。
もう、自らの力では、
思いが募りすぎた主であるライナと
離れることができません。
誠に勝手ではございますが、
想鎮士であるあなたの力をお借りして、
もう主の害にしかならないこの身を
天へと葬ってくださいませ。』
そして、
スッとルイに向かって頭を下げた。
「そこまで、整理がついているのなら、問題ない。
しっかりと葬ってやる……。」
ルイは下げられた頭に右手をかざし、唱えた。
「お前の身は、
想鎮士であるこの私が保証しよう。
想いが募りすぎるほどの
主に恵まれたことを、誇れ。
その愛は、確かに届いた――
今ここに、愛禍の名を冠す魂よ、
縛鎖を断ち、
哀しみの檻を抜けよ。
我が言霊と銀印をもって命ず。
昇れ――《アモロス》。
光の果てへ、還れ。」
ぱちんと光が弾けた。
再び光の洪水が足元から舞い上がり、
三人を包みこんだ。
その瞬間、りんがライナに微笑んだ気がした。
そして、目を閉じると星がほどけるように
細く繊細な光の粒になって
天高く舞い上がっていった。
「ありがとう……」
かすかに届いたその声は、
風に溶けるように消えていった。
===========
――気が付くと、
見慣れた自分の部屋に立っていた。
目の前に、ルイを見つけなければ
夢だと信じて疑わなかったであろう。
ルイは静かに右手を胸元に添え、目を伏せた。
まるでその魂の重さを、自らの中に刻むかのように。
ライナは、ただその場に立ち尽くしていた。
それが何を意味するのかはわからない。
ただ、確かに
――りんは「救われた」と感じた。
ライナは、言葉を失ったまま、
右目から一筋だけ、温かい涙を流していた。
――いつの間にか、自分の手にあった手鏡を覗き込むと、
中にいるりんが、そっと目を閉じ、微かに微笑む。
それは、想鎮士と宿主が成し遂げた
最初の「鎮魂」だった。