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45 堕ちたルイと残された時間


愛禍(アモロス)を見た瞬間、

息が止まった。


――深夜、塀、黒猫、少年、白い糸、陣、ステッキ。


バラバラのピースが

ゆっくりと繋がる。





「そうだ。あの日――。」





俺は、

『藤凪リュウ』に会った。




そして、

この世に存在してはならない、

人を救うためのものではない、


ただ、

今を壊し、傷つける存在の

黒理式オブスキュラ・フォルマ

俺の紡具(スピンドラ)に刻まれた。




そのまま、意識を失った。






それから、丸一日――。






――俺に、




「残された時間は、





二日。」





時計の針が、重く一回だけ鳴った。





起き上がれないほどの倦怠感の中、

自分の余命を悟った時、







「……好きって言えばよかった。」







頭をよぎったのは、

あの太陽のように笑う少女の笑顔だった。







=========






――。




胸の奥を柔らかく、

しかし、確実に叩く音があった。




「――あれ?

また、誰かに呼ばれた?」





ぐにゃり。





手のひらの空気がねじれる。

形になろうとした光の立方体は、見る影もなかった。




「あ!やば!」




目の前には、

果たして、何かの部屋とは思えない

ぐにゃぐにゃした物体が

創り出されていた。




「あーくそーっ!!」


――何かに気を取られたらだめだな。




目の前の《茶室(ティールーム)》になるはずだった

ぐにゃぐにゃした物体を見ながら

ライナは、思った。


今もライナは、

相変わらず部屋で

想鎮律(ソーチュネート)と格闘していた。


鍛錬のおかげで

一メートル角くらいの空間は作れるようになってきた。


とにかく今は、

人が入れるサイズまで大きくすることが目標だ。


葉子の言う通り、

一度立方体を創るコツを身につければ、

大きくすることは数段易しかった。


しかし、

拡張するまでに時間がかかるため、

目的のサイズにするまでの間、

集中力を保つのが難しい。




『あんなバカでかい茶室(ティールーム)

一瞬で創るって

どんだけすごい想鎮士(ソメンター)なんだよ。

あのやろう!


あーもう!!』




自分が学べば学ぶほど、

師匠であるルイの存在が大きくなる。






――もっと時間が欲しい。






そう思っても、

残された時間は少ない。

それは、ライナの中の直感が告げていた。



『葉子さんには、

あとは練習あるのみ、

って言われたし……。』





ということで、とにかく回数を重ねているが、

如何せん時間が無さすぎる。






――私に、残された時間は、どのくらいだろうか?





そう思いながら、

左手のラブラドライトに触れる。

また、熱を感じるのかと思いきや……。





「……あれ?」





いつものルイの想鎮律(ソーチュネート)と何か違う。





「ルイ……?」






============







『……ルイ、お前。

何、隙つかれてんねん!』



電話の向こうで、

ミツキがなんとか声を絞り出すように呟く。



「それについて、なんの弁解もできないな。

ハハッ……。」


皮肉交じりに答えても、

声に力が入らない。


瀧佐賀(たきさか)ミツキに連絡を取りたい、

と松木に頼み、

何とか多忙なミツキを捕まえて、

黒猫の少年に出会ったところからの話をした。




そして、横にいる



――愛禍(アモロス)のことも。








『藤凪か…?』

「――そうだ。」





『名乗ったのか?』


「ああ。藤凪リュウ。次期当主だそうだ。」


『クソッ!ホンマそいつクソガキやな!!』




――まったくだ、と言おうとして、

自分があの歳くらいの頃を思い出した。


同じような目をして、

同じように世界を信じられなくて、

全てがくだらなく見えて、

毎日何か面白いことはないか、

と考えて過ごしてはいなかっただろうか。


そう考えると、アイツも、

この想鎮士(しがらみ)の犠牲者なのかもしれない。




そう考えて、

ルイは静かに目を閉じた。





『……とりあえず、お前のとこに行くわ。』




「そりゃ助かるな。

関西随一の想鎮士(ソメンター)直々に

茶会(ティータイム)を催してくれるとは。」




冗談のつもりの笑い声も、かすれてしまって

全く冗談に聞こえない。





『アホか!

お前の愛禍(アモロス)だぞ!!


俺に太刀打ちできるかどうかわからん……!』





「――それでも来てくれるんだろう?」




電話の向こうの音が一瞬消える。

その空白の中に、ミツキの覚悟が見えた。




『アホ抜かせ!

勝手に死ぬなボケ!!!


……すぐ行くから。

ちゃんと待っとれよ!アホ!

じゃあな!!』





ツー…ツー…ツー…





――まるで祖父のようではないか。





最強の想鎮士(ソメンター)と言われたが故に

その愛禍(アモロス)に三人もの命が奪われた。


強くあろうとしたのは確かだが、

決して、愛禍(アモロス)を顕現させないようにと

気を配っていたのに。





まさか《愛禍(アモロス)の顕現を誘導する陣》に

俺の紡具(スピンドラ)が――。





「あんな恐ろしい陣、外に出しては!」





――藤凪の当主は何をしている!!

それほどまでに息子に興味がないのか……!?





怒りが身体を駆け巡るが、

身体を操ることはできない。

そして、

思考は巡るが、うまく整理できない。



ぐったりとしたルイの横で

ひび割れたガラスの仮面の愛禍(アモロス)

歪んだ愛で満たされた瞳をこちらに向けていた。






「お前なんか、すぐに断罪してやるからな。」





ルイは精一杯の強がりをぶつける。





『フフフッ。

できる人はいるのかしら?』


愛禍(アモロス)は楽しそうに微笑んだ。





ルイが、愛禍(アモロス)に喰われるまで

あと二日も残されていなかった。






=============






――なんてこと!


静かな別邸に、焦りと怒りを滲ませた足跡が響く。





葉子は本邸から連絡をもらい、

別邸をすぐに飛び出した。


十年前の後悔が頭をよぎる。

鮮明な記憶に吐き気をもよおした。

そんな場合ではないと、

ぎゅっと目をつむり、ゴクリと飲み下す。





「今度こそ、戦わなくては……!」





葉子は、十年前の雪辱を晴らすのはこの時しかないと、

自分を奮い立たせた。





ルイを……、

ルイすら守れないなんて、

天国の三人――夫、タクト、菜摘子(なつこ)さんに、

どれだけ馬鹿にされるかたまったもんじゃない。




自分もまだあちらへ渡るつもりはないし、

ルイだって渡らせない。




葉子が桐ケ崎家を護りきらなければ、

誰が護るのだ?





=========================




準備もそこそこに、逸る気持ちと共に

葉子が本邸に到着したのは、日も傾き始めた頃だった。




ルイの部屋に入ると、

そこには、

夫の愛禍(アモロス)を凌ぐ

禍々しくも美しい、恐ろしいエネルギーを秘めた

愛禍(アモロス)が我が物顔でくつろいでいた。


その女は、硝子の仮面を被っていた。

割れた隙間から覗く瞳が、ルイの頬に映る。

その瞳が、恋人を見つめるように、穏やかに狂っていた。




葉子の大切なルイの頬を、愛おしそうに撫でながら。





葉子はその愛禍(アモロス)の禍々しさに

背中の嫌な汗が止まらなかった。


ぐっと腹の底に力を入れ

ルイのそばに寄る。





「ルイ、葉子よ。

話はできる?」



「……ああ…お祖母様。

少しずつなら……。」





――かなり衰弱してきている。




葉子は焦る。

残された時間が確実に減ってきていることに。



「藤凪が噛んでいると聞いたのだけど――。」

葉子の声に殺気が滲む。




「……そう…ですね。

わざわざ名乗られましたので。」


「何のためか、予想が付いてる?」


「……はっきりとは。


ただ――。」


「――ただ?」



ルイは一息はいてから口を開いた。


「ライナを傷つけたいのだと。

そのために私を利用する、と。」


「――え。」


「ライナと…私を……、

結びつけた理由はわかりませんが


大方、偵察にでも、

うちに勤めていることを突き止めさせたのでしょう。


ただ、その、リュウとやらが、

ライナを知っているということは、


藤凪当主との関係も知っているのではないかと――。」


「なるほどね。」





沈黙が部屋を包み込む。

部屋に差し込む光は、もう夕焼け色に染まっている。

その色と相反して、

空気は冷たくピンと緊張感を孕んでいる。





「ミツキくんが来てくれるんでしょう?」


「……はい。」


想鎮士(ソメンター)ではない私には、

ここにいても何もできないわ。



ただ、

十年前のように、ただ見ているだけなんて

まっぴらごめんよ!」


そう言って葉子は正座した自分の膝を

拳で叩く。




「……お、お祖母様?」


いつもの冷静な葉子と違う様子に

ルイが戸惑う。





葉子はスッと立ち上がる。





「――私は、私の、戦いをします。」





そういった葉子の目は、

鋭い光を放っていた。

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