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02 愛しい雇い主と大切な鏡


お試しの一週間、最終日。

今日もライナは叫んでいた。

――心の中で。




『――くそったれ!』




今日何回目か

もう数えたくないほどの悪態をついていた。



『静かで、的確に仕事を指示してくれて

特段文句も言わないいい顧客』

(すえ)さん談



合っている。

一ミリたりともズレていない。

むしろど真ん中を突いている。

さすがは、大大大ベテランである。


ライナは、

突き返された仕事の山を見ながら思った。


コノヤロウと思って、

そこにいるであろうルイを見やると

開け放たれた襖の向こうで

こちらをチラとも見ずに

机に向かって何かを書いている。


積み上げられた着物に視線を戻すと

一つ一つご丁寧に、

突き返した理由を明確に記載した紙が、添えられている。



一つずつ。

細かすぎるほど細かに。



その横には、何か図形のようなもの、

何語かわからない文字たちが書き殴られた紙が

山ほど積んである。


――着替えはともかく、なんなんだこの図形…?

なんか漫画に出てくる魔法陣見たいな…。


ライナには、


全く関係ないモノ、


ということだけわかる。


こちらも几帳面に、

シュレッダーだの、燃えるゴミだの、

細々振り分けてある。



このように、

言葉をかわさないから、静かである。

話さないから、文句も言わない。

(書いてはいるが…)


ライナは

(すえ)さんの言葉を噛み締める。

こういうことだったのか、と。




――さて、仕事に戻ろう。




とりあえず、この仕事を片付けなくては。

ルイに自分を認めてもらうには、それしかないし、

認めてもらえなければ、宿無しになる身である。



――親なんだからそこまではしないでしょ?



と思ったみなさん。

甘い。大甘である。


母マキは、やる。――200%やる。

全財産賭けてもいい。

手元には二千円しかないけれど……。


なぜ、そんなに強い母が出来上がったのか。



『……きっと父さんが早くに死んだから。』



父は十四年前に死んだ。



事故、だった気がする。

不明確なのは、まだ自分が四歳だったことと、

その頃の記憶がどうも曖昧だからだ。

母には、『事故だった』と聞いているので

そうなのだ、と思うことにしている。




人の記憶なんて曖昧だ。




それからの十四年。

母は、社長として、母として

死に物狂いで生きてきた。


少し厳しいけれど、

片親ということで、周りに劣等感を抱かずに、

ここまで生きてこれたことには、感謝しかない。




――だからこそ、


母のために私ができることはやりたい、


と思っているのだが…


たまには、

突発的に、かなりクセのある顧客のもとへ派遣される、

ライナの身にもなってほしいものである。


ひたすら細かく、掃除のチェックを入れまくる

一人身のおじさんとか。

対人恐怖症すぎて、

会話が、全て置き手紙のユーチューバーとか。

(動画ではマシンガントークなので、

明るい人かと思いきや真逆)

毎夜、飲み会という名の婚活、もとい合コンに繰り出す

五十代独身女性とか。




濃ゆすぎるだろう…




今回も例に漏れない、

すんばらしい個性の持ち主である。


この仕事をやっていて、身についたことは

石の上に百年は座れるほどの忍耐力と

どれほどの悪態でも、

決して口には出さないスキルである。


ライナは、ふとポケットから手鏡を出した。

創業者の祖母からもらった、大切なものだ。


今どき流行らない、

漆塗りの持ち手があるタイプのものだが、

元々良いものなのか、

まだまだしっかりしている。


大きさは十センチ程度で、

深い朱色は、大切にされてきた年月を感じさせる。

鏡の裏には、淡い白で、梅の花が描かれている。


ライナはそれをひとなでして、

再びポケットにしまう。




『よし、元気出た』




その様子を、ルイが探るような目で見ていたことに

ライナは気づかなかった。



================



今日の仕事を、ものすごい勢いで片付けて

そろそろお暇しよう、

と荷物をまとめていたところ

呼び出された。




言わずもがな、ルイ様とやらである。




和泉(いずみ)です。

お呼びでしょうか?」



ライナは正座して、丁寧なお辞儀をしながら

いつものように問いかけた。


その声に応えるように、ルイは

机に肘をかけたまま、面倒くさそうに振り返る。

その何気ない仕草が妙に絵になる。




「お前は、その手鏡を持ち始めてから

何かおかしな(・・・・)ことは起きていないか?」




すっかり仕事の件だと思っていたライナは

ガバっと起き上がり


「ほえ?」


と間抜けな声を上げた。


途端に、ルイの眉間に深い深いシワが刻まれる。

ルイは、自分の質問に明確で的確な回答がないと

すぐに腹を立てる。


そのことにこの六日で気づき、

試行錯誤して

うまく切り抜けてきたのに、

一週間の最終日にこれかよ!


なんて、

相変わらず心のなかで、悪態をついてしまった。


サッと顔をよそ行きモードに戻し、

質問を頭の中でリピートし、

回答を組み立てる。


「――い、いや何も。」


「そうか……。

今も持っているな…?


お前のポケットの方が

ざわざわとうるさい(・・・・)…。」


――う、うるさい?

何言ってんの?コイツ。


ライナは、疑問に思いながらも

ポケットから手鏡を取り出す。



「は、はい。こちらですか?」



ルイに見えるように、両手の上に置いて

手鏡を差し出す。



「祖母から譲り受けたものです。

古いですが、それほど珍しいものではないかと…」



ルイは、何も言わず、

じっと手鏡を見つめている。



「祖母からか…


しっかり手入れされているな。

少し借りるぞ。」



返事を待つことなく、手鏡を手に取り、

探るような目つきで

隅から隅まで舐め回すように確認した。

それこそ、髪の毛の細さほどの

小さな傷まで見落とさないように。




ライナは突然のことに

何がなんだかわからなかった。




そもそも、

ライナが手鏡を持っていることを、どこで知ったのか。



他人にとっては、なんの変哲もないただの古い手鏡に

どうしてそんなに興味を持たれるのか、

その理由に全く想像がつかなかった。



――人は、

答えのない問いが、頭を埋め尽くしている時

やたらと時間が長く感じる。




ライナも例に漏れず、

ルイが手鏡を手に取っている時間が

果てしなく長く感じた。


一通り、確認したあと、

ルイはスッとライナに手鏡を差し出した。



「大丈夫そうだな。返しておく。」

「ありがとうございます…?」



ここで自分が、なぜありがとうと言っているのか、

そもそも向こうが、ありがとうでは?などと

またとりとめのない事を考えていると

ルイが口を開いた。




「さて、今日で約束の一週間だが、どうだった?」


「――ど、どうだった…ですか…?」




――こちらが査定される側なのに

なぜこちらに問いかけるのか?


先ほどの手鏡に加えて

頭の中でクエスチョンマークが大渋滞を起こしている。


ライナは、素直なことが自分の長所と信じて、

思ったことをそのまま、伝えることにした。


「仕事は多かったですが、指示が明確だったので、

効率的に作業できました。

周りのみなさんにも大変よくしていただきました。

私としては、今後もお勤めさせていただきたいです。」





本音だった。





どのみち変な客しか当たらないのだ。

そう考えると、

ここは時給もいいし、

周りの人も優しいし、

少し主人が偏屈なところを除けば

派遣スタッフ人生の中で、最も過ごしやすい場所だった。


嘘はついていないぞ、

とルイを下から見上げるように伺うと

ルイもこちらを見下ろしていた。


バチッと視線が合うと、

しばらく初日のような睨み合いが始まった。


とりあえず負けるものかと、目をそらさずにいると

突然ルイが目を細めて

くっくっ、と手の甲を口に押し当てて

笑いだした。


初めて見る表情に、

ぽかんと口を開けていると





「合格だ。

明日からもよろしく頼む。」





といつもの聞き惚れる声でそっけなくいうと、

また机の方を向いて、仕事を始めてしまった。



「し、失礼します…」



なんとかそれだけ口にして、部屋を立ち去る。

とりあえず合格したらしい。


ライナは、

どこに笑う要素があったのか、

全く思いあたらなかったが、

明日からもここで働けるならいいではないか

と深く考えることをやめた。


何事もすんなり受け入れられる、

適応能力の高さもまた、

ライナの長所である。




============





ガチャガチャ

キイッ

鍵を回して扉を開ける。




「ただいま…」




つぶやきのような言葉は、

誰もいない部屋の暗闇に溶けた。


『今日は取引先と接待だったっけ?』


鍵がかかっていた時点で

母が帰っていないのは分かっていたが、

小さい頃からのクセで

つい声をかけてしまう。


母は、ライナがある程度

自分のことが一人でできるようになると

途端に、仕事にのめり込むようになった。


単純に、仕事が面白くてたまらないのだろう。

ただ、ライナとしては

誰もいない真っ暗な部屋に帰るのは、

楽しいものではない。


少し肩を落として、自分の部屋に向かう。




「ご飯はもういらないな…」




一人で食べるご飯ほど味気ないものはない。

それに、一人分の食事を準備するのが手間で

食べないことも多い。

まあ、死なないから大丈夫なんだろう。


ポケットの手鏡をベッドの上に大切に置き、

ダラダラと着替えを済ませる。

お風呂だけは入らないと。

お風呂の準備をし、お湯が沸くまでの二十分。


眠ってしまわぬように、ライナは手鏡に話しかけた。





「りん、出てきてくれる?」





それに答えるかのように

手鏡は、端のほうからガラスの粒のように細かくなり

雪が降るように、上から降り積もりながら

新たな形を編んでいく。


瞬く間に、美しく、哀しく、

壊れる寸前のガラスのような繊細さを持つ

『人』が現れた。


顔に目をやれば、

女性とも男性とも判断がつかない

中性的な整った顔をしている。

頬の部分には、ガラスにヒビが入っているかのように

一筋の亀裂があり、それが儚さを際立たせていた。


髪は無造作に一つに束ねてまとめられている。

着物を着ている様子からすると、

この手鏡が作られた頃の女性たちが

イメージになっているのだろう。




『ライナ、おかえり』




鈴の音が鳴るような、か細いが凛と響く声で

彼女は言った。


「りん、ちょっとだけお話しよう?」

『もちろんよ』





約一ヶ月前、突然りんが目の前に現れた。




その時のりんは、

妖怪のようなもっとおどろおどろしい姿だった。

ライナは息ができないほどの恐怖の中、

殺されることを覚悟した。


しかし、

りんはライナが話が通じることがわかると

今のように普通の女性の姿になり、

時々、こうやって話を聞いてくれるようになった。


一人の時間が寂しいなんて

言える年齢ではなかったライナにとって

りんはかけがえのない友人となった。




「今日、お客さんにりんのこと見つかるかも、

って思ってドキドキしたよ。」


ライナは、今日あったことを話した。


『ああ、なんかジロジロと見て、失礼なやつがいたわね』


ちゃんと、りんからも見えていたらしい。

人型でなくとも、意識があるのだと知った。


「そうなんだよ。

突然だったから、一瞬、りんのことって、

わからなかったんだけど…


おおっぴらに出したりしてなかったから

どこで気づいたんだろう…」


『そう…』


りんは、考え込むようにあごに手を当て

足元へと視線をそらした。




『ライナ、明日からは私を持ち歩くんじゃなくて、

カバンの中に入れておいてくれる?』


「ええー、りんは私のお守りなのにぃー」



りんは、しっかりもののお姉さんみたいで

ついライナは甘えてしまう。


『お願い。ちょっと探りたいことがあって。』

「うん?わかったぁ。寂しいけどがんばる…」


と、その時、聞き慣れた電子音が聞こえ、

お風呂が沸いたことが告げられた。


「あ、お風呂沸いた。りん、またね。おやすみ」

『おやすみ、ライナ』


そう言った後に、りんが、再びガラスの結晶になり

手鏡の姿に戻ったのを確認してから、

ライナは風呂に入ることにした。


明日もこき使われることが決定したし、

りんを持ち歩けないのなら

せめて睡眠だけはしっかり取らねば――。





この一ヶ月くらい、

原因不明のたちくらみや

眠気がひどいのだから――。

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