19 愛禍《アモロス》とライナの交点
ライナは、着替えを借りることにした。
そのままルイへの挨拶を言付けて、
帰って着替えてもよかったが、
そのまま電車に乗るのは、松木さんに大反対された。
お仕着せを借りようと思ったら、
松木さんに突然何かが降臨し、
「……妙案があります…。」
などと、初めて訪れる部屋に連れて行かれた。
――誰の部屋なんだろう…?
きちんと掃除はされているが、
なんだか生活感のない部屋だった。
その箪笥の一つから、松木が選んだのは、
普段のライナとは全く雰囲気が異なる浴衣だった――。
「――こんなの、私が着ていいんですか……?」
「問題ありません。」
ピシャリと即答した松木女史の勢いに
ライナは従うしかなかった。
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――その頃、部屋中をのたうち回っていた
アラサー男はというと…
妄想の世界と戦っていた……。
「……ピンクかぁ…。
若くないと付けれない色だなぁ……。」
――はっ!!!!
「いかんいかん!!!」
パァン!
そうして、自分の頬を自分ではたく。
先程からこれを延々と繰り返していた……。
その時、
「ルイ様、ライナです。
着替えてまいりました。
入ってもよろしいでしょうか?」
――はっ!!
「――あ、え、と!
……コホン…入れ。」
「……?
…失礼します。」
スッと襖を開けて入ってきた、
ライナが着ていたのは、紫紺の浴衣だった。
強い意志を感じさせる白い矢絣がよく映えている。
普段は明るく、どこか抜けている彼女が、
今夜はまるで別人のように
――静かに、美しかった。
「――っ!」
――なんでライナがそれを着てるんだ……?
それは、亡き母が好んで袖を通していた、想い出の一着。
月の光を浴びて、浴衣の紫が、
夜にとけていくようだった。
言葉をなくしたルイの目に映ったのは、
過去と現在が、ほんの一瞬、重なった光景だった――。
「……ルイ様…??」
「――あぁ…。
だ、誰から、その浴衣を……」
「……あ、えーと、松木さんが、
貸してくださいました。
に、似合わないですか…?」
ライナは眉根を寄せて、ちょっと不安そうに聞いた。
「……いや…よく似合っている…。」
その紫紺の浴衣の正統な持ち主かのように、
しっくりとなじんでいる。
「……よかった、ありがとうございます…。」
ライナはひまわりが咲いたかのようにニッコリと笑った。
こう見ると、全く――母と似ていない…。
「……母が…よく着ていた着物だったのでな…。
一瞬、母かと思って…。」
ルイはそう言うと、寂しそうに笑った。
「……ルイ様のお母様って…」
「ああ、十年前に、俺が十八の時――。」
ライナがひゅっと息を呑む……。
ルイは、それだけ言うと口をつぐんだ。
「――そう、なんですね…。
……そんな大切な浴衣を、断りなくお借りして
申し訳ありません……。」
申し訳なさそうに謝るライナを見て、
ルイはハハッと笑った。
「……いや、服も着てもらったほうが喜ぶだろう。
母のことは、もう、昔の事だし、
お前と母のイメージが結びつかなかったのでな。
――思わず固まってしまった。ははっ。
きれいに着こなしているな。」
そんな言葉を正面からかけられたら、
ライナの心臓は
身体の中を飛び跳ねて止まらなくなってしまった。
――落ち着け!!
私が『きれい』な訳じゃなく、
着こなしが『きれい』なんだってば!!
その時、
――りりん。
鈴の音がなった、とライナは思った。
「……ちっ…またか…。」
「……どうかされましたか?」
ライナは、ルイの視線の先を見やる。
そこには、古めかしい懐中時計があった。
ルイが蓋を開いて、何か、確認している。
「……それは?」
「……ん?ああ、お前には教えてもいいか…。
これは、導魂時計といい、
愛禍の顕現を知らせてくれるものだ。」
ルイは、簡単に説明しながら、
手早く出かける準備を整えている。
「最近多いんですか?」
「……多いな…毎日のように『鳴く』。」
「――『鳴く』?」
「……愛禍の鳴き声のようだからな。」
――そういうことか。
そう答えている間に、ルイは準備を整えた。
「……お前も服が乾いたら、俺を待たずに帰れ。
なんだか最近、物騒だ――。」
そう言い残して、ルイは出かけてしまった。
ライナは、ルイの言葉に、
胸の奥がざわざわと揺れた――。
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――このあたりか…?
導魂時計が指し示しているあたりに到着し、
あたりを見回す。
見たことがある風景だ。
記憶をたどる――。
――ライナの家が、この近くじゃないか?
そう思った瞬間、
愛禍の波動を感じた。
ザッと振り向くと、
そこに悲しげな表情をまとった
愛禍が立っていた…。
――まだ顕現したばかり゙か…?
まだ、それほど能力値は高くなさそうだ。
導魂時計にも、欠点がある。
同時に、一体の愛禍しか反応しない。
そして、能力値が低すぎると反応しない。
今のところ、複数顕現はしていないと願いたい…。
能力値が低すぎる場合、
主を喰らうまでには至らず、
消滅する場合も多いので、そちらは気にしていない。
ルイは魔法陣を描き、茶会へ召喚する。
その時、小さな違和感が頭をよぎった。
――先日もこのあたりで
愛禍が顕現しなかったか…?
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――それほど手こずる相手ではなかったが、
それにしても、ああ連日だと、さすがに疲れた……
疲労の濃い身体を引きずるように帰ると
まだ、ライナが部屋にいた。
「……おかえりなさいませ。」
――驚いた。
すっかり、家に戻っていると思っていた。
服は乾いたらしく、見慣れたセーラー服に着替えている。
――浴衣姿、もう少しみていたかった…
「……なっ!」
慌てて自分の頭に浮かんだ言葉を打ち消す。
いや、ちょっと最近思考がおかしい!
やっぱり疲れている…!
――脳内で『静粛に!!』が鳴り響いている。
「――ど、どうかしたのか?」
上擦った声がでた。
――なんて怪しいやつだ、おれ。
「……少し、気になることがありまして…」
ライナは、心なしか沈んだ声で、つぶやいた。
――なんだ…?
不穏な空気が部屋を包む。
「……着替えながらでもいいか?」
面と向かって聞いた方が良いに決まっているが、
――なぜだか早く聞いた方が良い気がした。
「……想鎮士って、
愛禍が顕現したら…
その…何となくわかっちゃったりするんですか…?
――なんかうまく言えないんですけど…」
「……ある。」
実際、『りん』に気付いたのは、直感だ。
ただ、しっかりと確認しなかったルイの落ち度は、
かなりあるが……。
「や、やっぱり!
じゃあ、わ、私も想鎮士の素質ある?」
「――どういうことだ?」
「……さ、最近、家の近くで、
なんか『りん』に似た気配を感じることが多くて…
あれが愛禍なら、
ちょっと気をつけないとと思って――」
「――ちょっと待て。今なんて言った?」
「……え?
『りん』似た気配を感じる…って…」
「違う!」
ライナがビクッと肩を震わせる。
――ちっ。俺が焦ってどうする…
「――家の近く、と言ったか?」
「……う、はい…。」
「ちょっとこれを広げてくれ。」
いつものテーブルに地図を広げる。
デジタル地図も便利だが、
こういう時はアナログが把握しやすい。
その地図に、
導魂時計の履歴を書き出し、
照らし合わせていく。
「――えっ…。」
その点は、
ライナの家を取り囲むように配置されていた――。




