17 藤凪家の憂鬱
――くっそつまんねえよな。
毎日毎日、修行だなんだって、
一人、部屋に閉じ込められてよー
彼奴等マジで頭おかしいんじゃないの…?
皇居にほど近い、高級マンション最上階の一室。
光だけは、天国にいるかのように降りそそぐのに、
部屋の中は、常に淀んでいる。
藤凪リュウは、
いつものように、この部屋に押し込められ、
いつものように、この部屋で一日を過ごしていた。
「――大体、学校とか行かせないでもいいのかよ…」
――リュウは、今年十二歳。
普通なら小学校に通っている年だ。
大人達は、色んな理由をつけて、
リュウが学校に行かなくてもいいようにしているらしい。
幼稚舎の頃に、友達と遊んだ想い出が、
頭をかすめる。
もう、友達なんて一人もいない。
ここから出られず、
誰とも連絡できない。
もちろん、スマホなんて持っているわけがない。
テレビもない。
パソコンはあるが、基本的にネットにつながらない。
――どれだけ、孤立させる気だよ。
「――俺って《籠の中の鳥》みたいだな。」
部屋の壁を見ると、ずらりと並んだ、本。
藤凪の歴史から、
想鎮士とは何か、
愛禍とは何か、
茶会とは……
家業に関わることばかり
小難しそうな本が山程並んでいる。
その中に、基礎教育的な本もあるが、
どれもつまらない……
十二歳のリュウが全く興味のかけらもない本の中に、
一冊だけ、休憩時間に読んでみたいと思える本があった。
『蒼穹龍譜』
他の本よりもかなり読み込まれてくたびれた本は、
書棚のどの本よりも、
リュウの興味をそそった。
申し訳無さ程度に与えられる休憩時間に、
こっそりと読み進めていた。
竜なんていないと知っているが、
その本の中の竜はどれも生き生きと描かれていて
それこそ本から飛び出して、
リュウの横に座ってきそうだった。
「……リュウ様、続きを始めましょうか。」
相変わらず全く表情が読めない
蛇のような家庭教師がぬるりと入ってきた。
「わかりました。」
慌てて、本を書棚に戻す。
――そのとき、一枚の写真が、はらりと床に落ちた。
「――あっ…!」
本に挟まっていたのだろうか?
全然気が付かなかった。
拾った写真には、おそらく若い頃の父と…
父によく似た――小さな女の子が写っていた。
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今日も今日とて、
いつもの部屋で、
いつもの机を挟んで、
いつもの二人は向かい合っていた。
「茶会って絶対必要なの?」
「――基本的には必要だ」
「……基本的ってことは絶対ではないんですね。」
「……そうだな。」
「うーん…。
見てすぐに、危険だって判断したときは
すぐに『断罪ノ門』を開くってこと?」
「――そのとおりだ。
俺の判断としては……
既に主を喰い殺す寸前、
または
――食い殺している最中……だな。」
「――ふうん……」
――ライナは自頭が良い。
ルイの答えから、深掘りして、仮説を立て、
それを検証する。
そして、その仮説は、ほぼ百パーセント正解だ。
よく見ると、
関東有数の進学校、東名高校の制服を着ている。
……賢いはずだ。
ちなみに、ルイの母校でもある。
二度言おう。
――ルイの母校である。
葉子が言う、無駄な高スペックである。
小説家業などやっていれば、
学歴なんて全く役に立たない。
と、ルイは今気づいた。
そして、改めてライナの制服を見て思う。
――はて…?
「――そう言えば、
なぜ夏休みなのに毎日制服なんだ?」
ライナがノートから顔を上げる。
きちんとメモを取っている。真面目だ。
「……服持ってないから。」
――は?
「――えっ?」
「――他の子は、毎日違う服着てるけど、
そんな持ってないし、
また同じ服?って言われるのが嫌だから。
出かけるときは制服にしてる。」
「……へぇ。」
――なるほど、女の子同士だとそんなことも
気にするのか……
「……すまなかった。」
「――え?」
「……その…配慮が足りず…」
ライナはきょとんとルイを見つめている。
――なんかマズイこと言ったか…?
沈黙に押しつぶされそうなルイは、
涼しい顔で、首から下に滝汗をかいていた。
「――ぷ。」
「――ん?」
「ぷははははっ!!!!!」
「……な、何がおかしい!?」
ライナはヒイヒイ言いながら、
笑いを必死に抑えようとしている。
小馬鹿にされている気がする……
「……い、いや。
そんなに真面目に謝られると、思ってなくて…」
アハハハハッとまた笑い出した。
逆に、ルイの方がきょとんとしてしまった。
「……特に気にしてないから大丈夫。
別にそんなに着飾ることに興味ないし。
それより、お金稼ぎたいし。」
「……そうか。」
母一人、子一人。
ルイが想像できない苦労も多いのだろう。
アラサーになっても
最高級の衣食住が、何もせずとも与えられる
ルイなんかには、全く想像できない苦労が。
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――あの子は誰だ?
リュウは、真面目に授業を受けるふりをしながら
ずっと考えていた。
タイミングが悪く、あの写真は蛇先生に見つかり、
没収されてしまった。
名前は忘れた。
いつもいつも、ねっとりとした見下す目で
俺を見てくる。
コイツは、父の味方であって
俺の味方ではない。
ここに縛り付けて俺を服従させて、
父から褒められたいだけだ。
そうわかっていても、
俺はこいつから逃れられないし、
俺の力でねじ伏せることもできない。
父に聞けば、すぐに分かるのだろうが、
あいにく、雑談ができるほど、
父との距離は近くない。
――むしろ、父はリュウのことを息子というよりも
『後継者』という《モノ》として
扱っているのではないだろうか?
それくらい、父とリュウの関係は――冷えていた。
「それでは、今日はここまで。」
どんだけ詰め込むんだよ、
と悪態をつきたくなる授業が終わった。
時計の針は二十一時を指していた。
リビングに行くと、食事が用意されていた。
どれだけ豪華な食事でも、
一人でこんな場所で食べたら、
クソまずいことこの上なしだ。
「……リュウ様…」
いつものお付の男がテーブルに
小さく折りたたんだ紙を置いた。
リュウはチラリと見やり、報告を促す。
「……どうやら、
――ライガ様の隠し子のようです。」
「……!
……わかった、下がれ。」
――隠し子だと…?
リュウの胸の奥に、
熱いものがドロドロと渦を巻き始めた。
足元から這い上がってくるのは、
ただの怒りではない。
嫉妬、憎悪、裏切られたという感覚
――それら全てが混じり合い、
まるで体の内側を焼き尽くそうとしている
かのようだった。




